第28話 結心さんの覚悟

文字数 2,998文字

 要するに、結心さんと天野さんは、岡山空港で愛を誓って、恋人宣言をしたのだ。もう電光石火の早業としか言いようがない。

 出会ったのが土曜日。それで、火曜日には恋人宣言。たった4日で? 付き合うとかはラインで済ませたことになるのか。確かに、私の家で2時間、喫茶店で3時間。ラインで15時間以上は話をしているみたい。合計20時間程度の付き合いだ。そして一気に恋人関係になってしまった。20時間というと、1回のデートが3時間と仮定すれば、7回のデートに相当するのか。1週間に1回のデートなら2か月近く交際したと言えなくもないか。ま、それならいいか。――私が良いも悪いも言えないのだけどね。数値を指標にしてしまう悪い習慣が出てしまった。

 時間だけが全てではないかもしれないけど、この20時間程度でお互いを――というか重要なポイントを――納得できるまで話し合った上での合意なのだ。二人とも頭の回転が速い。だから、要点を押さえることができたのだろう。そこで、二人が恋人になったことで、どう変わっていくのかを聞いてみた。

「恋人になると宣言することで何が違うの?」
 私は初心者として質問した。

「う~ん、正直に言って、別に言葉そのものが重要じゃないのよね」
 結心さんは説明しにくそうに言った。
「重要な言葉じゃないなら、何?」
「例えばね、恋人になったら、優先権が貰えるでしょ? ――これ気持ちの問題なんだけど――そうすると声を聞きたいときに、いつ電話してもいいのよ。一言『今忙しい』って言われて切られてもいい。それでも落ち込む必要はない。それが恋人。説明の仕方が悪いかなぁ?」
「どういうこと? ――よく分からない」
「お互いに遠慮しなくていいのよ。短い言葉で分かりあえる。そういう信頼関係を結ぶことができたのよ」

「恋人宣言だけで信頼が得られるの?」
「そうじゃなくて、そういう信頼関係を結べるとお互い認め合ったことが大切なの。信頼関係ができたから恋人関係」
「それを《恋人》という言葉に(まと)めたということ?」
「そう。私たち、考えていることが殆ど同じというか、思考パターンが同じだから、それだけで分かりあえる」
「超能力者なのか?」と思わず言ってしまった。
「違うわよ。でも、他人から見たら、そんな風に思えるかも。でも、普通に言葉で理解しあうのは同じよ。次に相手がどう答えるかが想像できてしまうだけ」

 なんだか、煙に巻かれたような説明だった。そうすると、「恋人」ってなあに? この前「性的関係」だって言ってたよね?

「恋人になると、不倫することになるのじゃない?」
 とストレートに聞いた。
「この前、抱きしめるくらいなら不倫じゃないってなったよね?」
「うん、だから、それ以上にはならないってこと?」
「それは、彼に任せようと思ったの。私は、どちらでもいい」
 結心さんが踏み込んできた。
「え~? そうなの?」と私は驚いた。
 この数日で結心さんの考えが変化した?

「今は、そこまでの関係になるかどうかは分からないというか、考えてない。でも、私は覚悟できているのよ」
 結心さんがまたまた爆弾発言。
「ちょっ、ちょっと! こんなに早くそういう関係になる覚悟をしたということ?」
 私は、驚きっ放しだ。
「まだ分からないのよ。でもこの先、抱きしめられたり、キスをしたりすると、もっと先に進みたいと思うかも知れないでしょ?」
「よ、良くは分からないけど、……そ、想像はできる気がする」
 私は何故かオロオロしてきた。私には刺激の強すぎる会話だ。

「私がそういう気持ちになるかも知れないし、彼がそういう気持ちになるかも知れないでしょ? そのときに、私はどうしたらいいのか? と考えておくべきだと思うのよ。だって、相手は妻子ある男性だよ? いわゆる《不倫》を覚悟しなくちゃならないわけだよね? そんな覚悟がなくて、交際しようなんて踏み切れるわけがない」
「う~ん、そうだよねぇ。……覚悟かぁ……」
 私には相手がいないから、その覚悟そのものがぼんやりしている。
「だから、今はまだそんな関係を想定してはいないけど、覚悟だけはしておく必要があると思ったの」
 結心さんが当然のように呟いた。
 結心さんは本気で天野さんを好きになってしまったのだ、と確信した。

「私ね、男性と付き合ったことはたくさんあるけど、手を握られた程度なの。それ以上の経験はない」
 結心さんが初めて告白した。
「あはは、私は、男性と付き合ったことすらないから、手を握られたこともない」
 私も正直に告白。
 二人で顔を見合わせて、
「私たちヴァージンなのよねぇ」
 と言いながら、笑ってしまった。

「不倫の話の前に、まず『ヴァージン』という言葉について話していい?」
 と結心さんがリードする。
「うん」
「ヴァージンって大切なもの?」
「う~ん、分からない。でも男性には大切なもの? 今は、あまりそういう話を聞かないよね?」
 学生たちを身近に見ている私は思う。
「恋人のためにとっておくとかなら大切かもね。自分にとっては、必要ある?」
 と結心さんが聞く。
「別にあってもなくても関係ないな、私には」
「そうだよねぇ。特に、もう結婚したいと思わない私たちにとっては、全く無意味なものだよねぇ」
 結心さんがあっさりと言う。

 確かに、無意味。
 将来会えるかどうかも知れない幻の彼氏のためにとっておく? 死守する?
 時代は変わっているのだ。昔の貞操観念がいけないというのではなく、男女ともに重要視しなくなっているのだ。

「だから、この人になら《ヴァージン》を捧げてもいいと思ったら、迷わず捧げたらいいと思う。私にとっては、それが彼なのよ」
 結心さんが宣言した。
「なるほど! 私も結心さんの意見に賛成するわ」
 私も吹っ切れたような気がした。――私には、その《彼》が見えてないけど。

「その上で、《不倫》について、私の気持ちを整理したの」
 結心さんが、またもや爆弾宣言の雰囲気を醸した。
「不倫をするのね?」と私は突っ込む。

「いや、そういう言い方をされると答えにくいのだけど、結果はそうかもしれない。でもね、天野さんにも言ったけど、引き際をわきまえた上でのことなのよ。相手の家庭は壊さない。結婚したいとは言わない。もしばれたら、潔く身を引く覚悟を持って付き合う。これができないなら――自信ないなら――不倫してはいけないと思う。天野さんが『男にとって都合のいい女になってしまうから、それはいいとは言えない』って。でも、そうしないと、私たちが付き合える男性は、もういないよ?」
 結心さんが真剣な顔をして言った。

「そうなのよねぇ。元々男性と付き合いたいとは思っていなかったけど、もし、付き合おうとしたら、もういないのよねぇ」
 少し自嘲気味な私。いや結婚したいわけじゃないし、関係ないのだけど、結心さんの話に従えばそうなる。

「だから、愛人じゃなくて――対等な関係である――『恋人』でいたいの。お互いを理解し合えて、尊重しあえて、楽しい時間を共有できさえしたらいい。もしそこにセックスが存在することになれば、そこで、《不倫》の覚悟を持ってさっき言った条件を理解した上で一歩先に進むかどうかを判断すればいい」
 結心さんが真剣に考えた結論を話してくれた。

 私たちの年令の独身女性は、こういう恋愛しかないのだろうか?
 ――相手の家庭の幸せを奪う権利なんてないのだから。
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登場人物紹介

矢野 詩織 《やの しおり》

大学准教授

近藤 克矩 《こんどう かつのり》

大学教授

天野 智敬 《あまの ともたか》

ソフトウェア会社社長

森山 結心 《もりやま ゆい》

パン屋さんの看板娘

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