第30話 ケーキ食べ損ねた
文字数 2,982文字
火曜日、近藤先生が院生たちにショートケーキをたくさん買ってきた。みんなでお茶を飲みながら食べようということ。当然のことだが、院生たちは大喜びでお茶の用意を始めた。お茶といってもコーヒーだけど。院生の一人が私のところにやってきて、「先生もご一緒に如何ですか、と近藤教授が言われています」と言った。いよいよ、計画どおり次の作戦段階に入ってきたのだな、と思った私は咄嗟に断る理由を考えた。
「あぁ、ありがとう。……私はいいわ。最近お菓子を食べ過ぎているから、遠慮しとく。近藤先生に、よろしく言っておいてね。コーヒーだけ私の部屋に持ってきてくれたら嬉しいな」
と答えて、デスクに座ったまま目線で近藤先生に軽く会釈だけしておいた。そう簡単に思い通りにはならないぞ、と気持ちを引き締めた。デスクの書類を片付けて手に持ち、教授室に向かうべく立ち上がった。
すると、近藤先生も素早く立ち上がり、こちらに向かってきた。
「先生、すみません! 勉強会に食べ物を持ってきて申し訳ありません。いつも学生たちの世話になっているので、軽くお礼の気持ちで持ってきました。ここで食べさせていただいて構いませんでしょうか?」
「あ、大丈夫ですよ。お気を使って頂いてありがとうございます。私は最近ちょっと菓子類を食べないことにしているので、私が食べないで見てるのも食べにくいでしょうから、あちらの部屋に移りますね。気にせずゆっくりお楽しみください」
とにこやかに返事をして教授室に入った。
近藤先生、ショートケーキたくさん買ってきて、院生たちのご機嫌取りを兼ねて私との懇親を謀ろうとしたのは間違いない。それくらいは、想定の範囲内。
結果論だけど、私を教授室に追いやってしまったので「しまった!」と焦ったのだろう。慌てて、私のところへ挨拶にきたのだ。だって、ここは私の研究室なのだから。
――女を口説くのは簡単じゃないのだと、思い知らせてあげないとね。うふふ。
その点、天野さんは何もしないのに、あっという間に結心さんを口説いてしまった。いや、口説いてないよね、あれ。――結心さんに口説かれたんだわ。
そう言えば、前に、口説いた経験はあまりなくて口説かれるほうだったと言ってたけど、本当だったんだ。でも、イケメンのオーラは出てないし、何がモテる要素なんだろう? 私には男を見る目がない? それとも、単純に私との相性がよくないだけのことかも知れない。今度、結心さんに聞いてみよう。いや、結心さんは「恋は盲目」状態になってるからなぁ、当てにならない。まあ、天野さんのことは関係ないから研究する必要はないか。
結心さんは日曜日がお休みだから、デートは土曜の夜とか日曜日なのかしら? ウィークデイもデートしてるのかなぁ? この前は火曜日だったよねぇ。その後、パンを買いに寄ったときは、他のお客さんが数人いたから話をしなかったのだけど、ちょっと気になるから、帰りに寄って聞かないと。
でも、お母さんには天野さんの話をしてないだろうから、店ではその話はできないな。彼女の携帯に電話して聞くほどのことじゃないし。いや、聞くほどのことなんだけど、間違いなく私の興味本位のことだから、聞きにくいのだ。
帰りに寄ってみよう。大きな変化があったら教えてくれるだろうけど、大きな変化って、二人の関係が一歩前に進むってことなんだろうなぁ。そしたら、もうそんな話は流石にしてくれないわよねぇ。この前、キスくらいはしたと思ったけど、手を握っただけみたいに胡麻化されたもの。
あ、今日のケーキの話は、ブレーンたち二人に報告しないといけないよねぇ? 天野さんに直接言わないでも、今度からは結心さんに言えば、伝わるのよね。ちょっと便利になったみたいな……私が情報時代に遅れているのは分かっているけど、携帯持たないのは私のポリシーだから。今回の話は、わざわざ来て貰って相談するような話ではないから報告だけでいい。これは、お店で結心さんに伝えて、そこからは結心さんに任せたらいいわね。
夕方。――結心さんのお店。
お客様が他に居なかったので、レジの横に座ってお母様が出してくださったコーヒーを飲みながら、今日のケーキの話をした。
「ケーキを食べたかったのだけどねぇ。惜しいことをした。……でも、想定どおりの対応ができたと思うわ」
「そりゃ残念じゃったなぁ。代わりに私が今度、天野さんと食べにいっておいてあげるわ」
結心さんが憎たらしいことを言う。
ちょっと声を落として、お母様に聞こえないように、結心さんに確認した。
「天野さんのこと、お母様に話してるん?」
「茶のみ友達だって言ってあるよ。実際そうだもん」
結心さんは平気な顔。
「あ、そうだよねぇ。誤解されないようにしないとね」
「大丈夫。もう、そんな話に干渉してこないもの。今の時代はね」
結心さんは堂々としたものだった。
「そうかぁ、そうなんよねぇ、今の時代、親は子供に干渉できなくなってるものねぇ」
「欧米の感覚に、どんどん近付いているのよね。日本の慣習を維持しながらも、少しずつ変わってきている」
結心さんは評論家みたいだ。
「それと、このケーキの話は、天野さんにも伝えておいてね。集まって検討しないといけない事件じゃないから」
結心さんに伝言を頼んでおいた。
「うん、分かった。今夜にでも伝えておくよ。ちょっと待ってね」
情報機器スマホを持つ結心さんは当然のように引き受けてくれた。
結心さんはスマホを手に持つと、電話を掛けた。え? 天野さんに電話してるの?
「こんばんは~! 今、電話大丈夫? …… うん。詩織さんから伝言あるのだけど、今日はコーヒー行ける? …… うん。じゃ、あとでね」
え? もう連絡してくれたのよね? で、それを口実に会うのね? それにしても、電話の話ぶりは、もう親しくて遠慮のない関係だよねぇ。いいなぁ。
「今夜、会うことにしたから、会ってから詳しく報告しとくね。それで、何か対応が必要なら、聞いておくよ」
結心さんはてきぱきとこなす。
「ありがとう! いいなぁ、なんでも話せる人がいて」
と思わず呟いた。今の電話を聞いて、本当にそう思った。私も彼氏を探すかなぁ。
独身を謳歌しつつ、なんでも話せる恋人がいるなんて、理想形だと思った。ちょっとだけ不倫の匂いがするけれど、そこは見ないでおこう。
「それと、その後の話も色々と聞きたいんだからね? その内、家に来てね」
最新ニュースを要求しておいた。
「うふふ、最近は夜遊びで忙しいからなぁ」
結心さんはうそぶく。
「え~? 私のこと捨てるの?」
縋 る振りをする私。
「だって、今は大して変化ないじゃない」
結心さんは冷たい。
「じゃ、ニュースを作ろうか?」
と返す私。
「わざわざ作ってどうするのよ?」
結心さんに言われて、二人で笑った。
それはともかく、この前、結心さんの覚悟を聞いて、彼女の燃えるような愛の炎を見たように思った。普通は好きになったら、結婚して子供を産んで、と夢を見るのが普通かもしれない。
少しでも一緒にいたいと思うだろうに、この歳になったせいでもあるのだろうけど、「迷惑にならない程度の一瞬だけ愛をください」と歯を食いしばって健気に割り切ろうとする気概のようなものを感じる。
恋は、涙が出るほど切ない。恋には覚悟がいるのだ。
「あぁ、ありがとう。……私はいいわ。最近お菓子を食べ過ぎているから、遠慮しとく。近藤先生に、よろしく言っておいてね。コーヒーだけ私の部屋に持ってきてくれたら嬉しいな」
と答えて、デスクに座ったまま目線で近藤先生に軽く会釈だけしておいた。そう簡単に思い通りにはならないぞ、と気持ちを引き締めた。デスクの書類を片付けて手に持ち、教授室に向かうべく立ち上がった。
すると、近藤先生も素早く立ち上がり、こちらに向かってきた。
「先生、すみません! 勉強会に食べ物を持ってきて申し訳ありません。いつも学生たちの世話になっているので、軽くお礼の気持ちで持ってきました。ここで食べさせていただいて構いませんでしょうか?」
「あ、大丈夫ですよ。お気を使って頂いてありがとうございます。私は最近ちょっと菓子類を食べないことにしているので、私が食べないで見てるのも食べにくいでしょうから、あちらの部屋に移りますね。気にせずゆっくりお楽しみください」
とにこやかに返事をして教授室に入った。
近藤先生、ショートケーキたくさん買ってきて、院生たちのご機嫌取りを兼ねて私との懇親を謀ろうとしたのは間違いない。それくらいは、想定の範囲内。
結果論だけど、私を教授室に追いやってしまったので「しまった!」と焦ったのだろう。慌てて、私のところへ挨拶にきたのだ。だって、ここは私の研究室なのだから。
――女を口説くのは簡単じゃないのだと、思い知らせてあげないとね。うふふ。
その点、天野さんは何もしないのに、あっという間に結心さんを口説いてしまった。いや、口説いてないよね、あれ。――結心さんに口説かれたんだわ。
そう言えば、前に、口説いた経験はあまりなくて口説かれるほうだったと言ってたけど、本当だったんだ。でも、イケメンのオーラは出てないし、何がモテる要素なんだろう? 私には男を見る目がない? それとも、単純に私との相性がよくないだけのことかも知れない。今度、結心さんに聞いてみよう。いや、結心さんは「恋は盲目」状態になってるからなぁ、当てにならない。まあ、天野さんのことは関係ないから研究する必要はないか。
結心さんは日曜日がお休みだから、デートは土曜の夜とか日曜日なのかしら? ウィークデイもデートしてるのかなぁ? この前は火曜日だったよねぇ。その後、パンを買いに寄ったときは、他のお客さんが数人いたから話をしなかったのだけど、ちょっと気になるから、帰りに寄って聞かないと。
でも、お母さんには天野さんの話をしてないだろうから、店ではその話はできないな。彼女の携帯に電話して聞くほどのことじゃないし。いや、聞くほどのことなんだけど、間違いなく私の興味本位のことだから、聞きにくいのだ。
帰りに寄ってみよう。大きな変化があったら教えてくれるだろうけど、大きな変化って、二人の関係が一歩前に進むってことなんだろうなぁ。そしたら、もうそんな話は流石にしてくれないわよねぇ。この前、キスくらいはしたと思ったけど、手を握っただけみたいに胡麻化されたもの。
あ、今日のケーキの話は、ブレーンたち二人に報告しないといけないよねぇ? 天野さんに直接言わないでも、今度からは結心さんに言えば、伝わるのよね。ちょっと便利になったみたいな……私が情報時代に遅れているのは分かっているけど、携帯持たないのは私のポリシーだから。今回の話は、わざわざ来て貰って相談するような話ではないから報告だけでいい。これは、お店で結心さんに伝えて、そこからは結心さんに任せたらいいわね。
夕方。――結心さんのお店。
お客様が他に居なかったので、レジの横に座ってお母様が出してくださったコーヒーを飲みながら、今日のケーキの話をした。
「ケーキを食べたかったのだけどねぇ。惜しいことをした。……でも、想定どおりの対応ができたと思うわ」
「そりゃ残念じゃったなぁ。代わりに私が今度、天野さんと食べにいっておいてあげるわ」
結心さんが憎たらしいことを言う。
ちょっと声を落として、お母様に聞こえないように、結心さんに確認した。
「天野さんのこと、お母様に話してるん?」
「茶のみ友達だって言ってあるよ。実際そうだもん」
結心さんは平気な顔。
「あ、そうだよねぇ。誤解されないようにしないとね」
「大丈夫。もう、そんな話に干渉してこないもの。今の時代はね」
結心さんは堂々としたものだった。
「そうかぁ、そうなんよねぇ、今の時代、親は子供に干渉できなくなってるものねぇ」
「欧米の感覚に、どんどん近付いているのよね。日本の慣習を維持しながらも、少しずつ変わってきている」
結心さんは評論家みたいだ。
「それと、このケーキの話は、天野さんにも伝えておいてね。集まって検討しないといけない事件じゃないから」
結心さんに伝言を頼んでおいた。
「うん、分かった。今夜にでも伝えておくよ。ちょっと待ってね」
情報機器スマホを持つ結心さんは当然のように引き受けてくれた。
結心さんはスマホを手に持つと、電話を掛けた。え? 天野さんに電話してるの?
「こんばんは~! 今、電話大丈夫? …… うん。詩織さんから伝言あるのだけど、今日はコーヒー行ける? …… うん。じゃ、あとでね」
え? もう連絡してくれたのよね? で、それを口実に会うのね? それにしても、電話の話ぶりは、もう親しくて遠慮のない関係だよねぇ。いいなぁ。
「今夜、会うことにしたから、会ってから詳しく報告しとくね。それで、何か対応が必要なら、聞いておくよ」
結心さんはてきぱきとこなす。
「ありがとう! いいなぁ、なんでも話せる人がいて」
と思わず呟いた。今の電話を聞いて、本当にそう思った。私も彼氏を探すかなぁ。
独身を謳歌しつつ、なんでも話せる恋人がいるなんて、理想形だと思った。ちょっとだけ不倫の匂いがするけれど、そこは見ないでおこう。
「それと、その後の話も色々と聞きたいんだからね? その内、家に来てね」
最新ニュースを要求しておいた。
「うふふ、最近は夜遊びで忙しいからなぁ」
結心さんはうそぶく。
「え~? 私のこと捨てるの?」
「だって、今は大して変化ないじゃない」
結心さんは冷たい。
「じゃ、ニュースを作ろうか?」
と返す私。
「わざわざ作ってどうするのよ?」
結心さんに言われて、二人で笑った。
それはともかく、この前、結心さんの覚悟を聞いて、彼女の燃えるような愛の炎を見たように思った。普通は好きになったら、結婚して子供を産んで、と夢を見るのが普通かもしれない。
少しでも一緒にいたいと思うだろうに、この歳になったせいでもあるのだろうけど、「迷惑にならない程度の一瞬だけ愛をください」と歯を食いしばって健気に割り切ろうとする気概のようなものを感じる。
恋は、涙が出るほど切ない。恋には覚悟がいるのだ。