第29話 計画的だった金曜告白事件

文字数 2,986文字

 金曜日。近藤先生と院生たちとの勉強会が始まって10日ほど経った。毎日ではないが、ぼちぼちと進んでいるらしい。何だか、勉強会なのか交流会なのか分からないような雰囲気になり始めた。あの先生、あんなに人気があるなんて思ってもいなかった。何が良いのか分からないけれども、学生たちの意識が近藤先生のほうに向いてるような気がして、何だか変な気持ちになる。

 焼きもちとかそういうのではない。どこの研究室か分からなくなるような感じであると同時に、本来の研究テーマが疎かになっては困るという意味で、頻繁に来られても困るのだ。私にとっては、嫌でも顔を合わす機会が増えるので落ち着かない。まあ、私が避けてるだけなのだから、文句は言えないのだけれども。場合によっては、週2日以内とするように言ったほうが良いかも知れない。

 研究室は、廊下に沿って細長くなっている。教授室は隣にあるのだけれど研究室の端にも教授室へのドアがあり、そのドアの隣に私のデスクが1つ置いてある。学生たちの動きが見えるように、そして打ち合わせがしやすいように。昼間は私も研究室側のデスクに座ることが多い。デスクの向きは、研究室の全体がよく見えるように、部屋の真ん中に向けて置いてある。

 日頃は私が研究室のデスクに座ることが多いから、言ってみれば研究室の全体を私が見ていることになる。近藤先生が来られて院生と話を始めると、必然的に私も近藤先生と顔を合わす機会が増えた。まさに、天野さんが推測した「勉強会」のパターンとその目的どおりだ。予測されていたとおり院生たちと仲良くなり、きっと私の情報が少なからず漏れているに違いない。

 天野さんとの打ち合わせでは、よく分からないから検討からは外したけれども、天野さんもこのパターンが近藤先生にとってベストの選択になるという話だった。そうなってみると、確かにそうだ。これ、断りようがないし着々と目的を達成されているのに、私には打つ手がない。予測した天野さんも凄いけれど、それを実際に実行してみせた近藤先生も敵ながら天晴れというしかない。


 そして、顔を合わす機会が増えた結果、私の心が変化していることに気が付いた。今までは、よく知らなかったこともあり、《金曜告白事件》以来どちらかというと、怖いとか気持ち悪いという気持ちが強かった。ところが、学生たちが自然に談笑しているし、私も会えば会釈くらいはするから、不思議なことに慣れてきたというべきか抵抗感が少しずつだが和らいできたような気がする。自然に挨拶できるようになってきた。

 もちろん、まだ近くに寄ろうとは思えないし、天野さんとの関係みたいに空気みたいな会話はできない。でも、何だか、「とにかく拒否!」みたいな感覚は、薄らいできたような気がする。考えてみると、元々は普通に接していたと思う。原因は、あの金曜日の事件があったからだ。必要以上に警戒感を持ってしまったし、私の心が怖がって正常な判断とか思考力の低下を招いてしまった。

 そもそも、あんな「金曜告白事件」なんかしないで、普通に今回の研究テーマの持ち込みをして教えて欲しいと院生を巻き込んで仲良くしていたら、私もこんな拒否反応だったり心のバランスを崩さなくてもよかったのではないかと思う。人騒がせな先生だ。でも、こんなパターンを考え付いたくらいなら、何故あんな「金曜告白事件」を起こしたんだろう? 落ち着いて考えてみたら不思議だということに気が付いた。

 あれは、出来心? 計画的犯行ではなく、帰り際に、本当に自然に漏れて出た言葉だったのだろうか? いや、そんなことはないはずだ。あの先生は、理論派でとおしているし、今回の動き方を見ても分かるように、計画的に行動しているのだと思う。だって、天野さんの予測パターンにピッタリ(はま)っていたのだから、計画に沿って動いているのは間違いない。

 ということは、「金曜告白事件」は計画的犯行だったのだと考えるのが自然だ。計画した上での行動であるのなら何故、最初に驚かせるようなことをしたのだろう? ここに何らかの思惑があったのだ。今までは、この事件に関しては思考力が停止していたように思って悔しかったのだが、私の心に変化があってから、少しは考える力が回復してきたような気がする。だから、こんな疑問に気付くことができた。

 何故、安全で成功率の高い勉強会からスタートしなかったのか? その結果、何を得られたのか? 推理小説じゃないけれど私なりに考えてみる。
 この「金曜告白事件」によって、私はどうなったのか? ――驚き、思考力が低下し、必要以上にあの先生を怖がってしまった。
 彼は元々私の認識対象外だったから良くは知らなかった。だから、好きでも嫌いでもなかった。それなのに何故わざわざ怖がらせたのか? 彼の目的は何なの?

 天野さんから、好きかどうかと聞かれて、考えたこともなかったから気持ち悪いと答えた。そうしたら、天野さんから「完全に嫌いじゃないみたい」と言われて抗議したことを思い出した。そうか! このことを天野さんが言ってたのか! 私は、嫌いなわけではなく、好きではなかったというだけの感情だったのだ。それは認識外だったことを意味する。今ごろになって私は天野さんの言った意味を理解した。

 嫌いではないから好きになる可能性があるということを含めて、私の心が変化する可能性を天野さんに指摘されたのだった。だから対応が難しいと言われた。――それをあの時に詳しく説明されていたら、私に先入観を植え付けることになったかもしれないから――時が来たら説明すると。天野さんて、かなり先まで予測して話しているのだなぁと改めて感じた。――結心さんがあっという間に惚れ込んだのも分かるわ。

 安全な手順――勉強会――で仲良くなったとしても、普通に考えると、彼に対する私の気持ちは相変わらず認識外だったかもしれない。それを、リスキーな手順にした――私に大きなショックを与えた――ことで、私は近藤先生のことを考えるようになってしまった。いや、もう私の頭の中には近藤先生のことが常にある。――つまり近藤先生を意識するようになってしまったのだ。

 そして、今、そんな恐怖心が薄らいできて、落ち着きを取り戻しつつある。――好きじゃないけど、見直した部分もあるし、抵抗感がなくなってきているのだ。これが、近藤先生の狙いだったに違いない。つまり、リスキーな方法だったかも知れないが、歯牙にもかけて貰えなかったものが意識の中に留まっているのだ。そこに目的があったのであれば、彼の計画は成功しつつあることになる。

 今の時点で、私の近藤先生に対する気持ちは「別に好きになったわけじゃない。頭の良い人で、分析なんかが得意みたい」と評価は上がっている。でも、それだけだ。人格とかも分からないし、それ以上ではない。

 悔しいけれども、私は彼の術中に嵌まってしまっているのではないだろうか?
 これって、ショックで軽いPTSD状態みたいになって、そのあとじわじわとマインドコントロールされてる?
 疑いだしたらきりがないけれど、天野さんや結心さんと連絡をとりあいながら、変なことにならないように注意しないといけない。

 でも、この発見は凄い!
 ――自力でここまで考えられたのだから、もう大丈夫なのではないだろうか?

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登場人物紹介

矢野 詩織 《やの しおり》

大学准教授

近藤 克矩 《こんどう かつのり》

大学教授

天野 智敬 《あまの ともたか》

ソフトウェア会社社長

森山 結心 《もりやま ゆい》

パン屋さんの看板娘

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