第17話 平穏な日々に一石
文字数 2,756文字
私は、天野さんと結心 さんという優秀な二人の協力者――ブレーン――の知力を借りて万全な対策を立てたから、余裕綽々 だった。何が起きても怖くないと思っていた。
そもそもの発端である『告白』事件は、さらりと躱 すことができたので、何事もなかったかのように静かな日常が続いていた。考えてみたら、何も焦る必要はなかったのだ。これは、やはり私が男性とお付き合いをした経験がなかったからなのだと思う。天野さんから「彼氏がおらんからじゃ」と言われたのに少しショックというか悔しい思いをしたのも、別に彼氏のいないことが悔しかったのではなくて、いないことが原因で、本来なら簡単に断ることができたはずの言葉が出てこなかったという事実にショックを受けたからだ。
でも、二人のマイブレーンと相談して、このあと手紙がくる可能性は高いかも知れないものの、それには『私彼氏いますので』と軽くいなしたらいいことで落ち着いた。
平穏な生活が続いて、もう忘れかけていたとき突然、近藤先生が私の研究室にやってきた。今度は、夕方ではなく院生たちが作業している午後の放課後みたいな時間帯だった。
研究室は、窓際には窓の高さに沿って本棚のような物置台が並んで続いている。反対側の廊下側には背の高い書棚がずらりと並んでいて、本や書類でいっぱいだ。その隙間には打ち合わせ用のデスクが3つと椅子がたくさんあって、学生たちが、そこで各自の作業や研究をしたり、適宜打ち合わせをしたりしている。私は教授室への入口付近のデスクで調べ物をしていた。
大きな分厚い封筒を抱えた近藤先生は、研究室に入ってくると「先生居られますか?」と入口近くに座っている院生の一人に尋ねてからこっちを見た。
「はい。なんでしょうか?」と私は思わず立ち上がって、笑顔で、でも何時ものようにクールな声で答えた。
「突然申し訳ありません。お忙しいでしょうか? ちょっと食物アレルギー関係の資料のことで、教えていただきたいのですが」
「どういったことでしょう?」と空いている打ち合わせ用デスクの椅子を勧めて、私も座った。
「ちょっと、食物アレルギーとアトピーのこととか、子供の給食への配慮に関するものとか、具体的なメニューへの対応についての考え方を教えていただけないかと……」
院生の子たちも興味がある話題なので、聞き耳を立てながら自分たちの作業をしている。一人の子がお茶を淹れて近藤先生に「どうぞ」と茶托にのせた茶碗を置いた。近藤先生は「ありがとう」と言って、すぐ手を伸ばした。きっと口が乾いていたのだと思う。
「ご存じのように、食物アレルギーとアトピーは必ずしも一致するわけじゃないですし、給食ともなると、本当に千差万別なので基本的には個別に情報を収集して共通項を確認していく地道な作業をしていくことになります。それで、何を調べていらっしゃるのですか?」と、つい、踏み込んでしまった。
「ありがとうございます! ちょっと、この資料を見ていただきたいのですが、厚労省の資料の中で興味深いデータがあったので、私なりに情報を整理してみたのです」
「わぁ! 結構な量がありますねぇ! お急ぎですか? 私はすぐには読むことができないので、あそこで何だか興味を示しているあの子たちに読ませてみてもいいですか? これは、ちょうど院生の研究テーマにも繋がっているかも知れないので」
と、聞き耳を立てている院生たちを見た。院生たちは、頭をぴょこんぴょこんと縦に振っていた。
「も、もちろんです! 急ぎの事案ではないので、院生みなさんの意見も含めて、いろいろとお聞きできれば嬉しいです!」
と近藤先生も振り返りながら嬉しそうな顔をしていた。え? もしかしたら、そっち――学生たち――が狙い? 管理責任あるかも知れないから注意しないといけないわね。
「わかりました。では、そういうことで、一旦この書類は預からせていただきますね」
と言って、私は立ち上がった。
「ありがとうございます! よろしくお願いいたします!」
と近藤先生は、頭を院生たちにも下げながら帰っていった。
近藤先生がドアを閉めると、すぐに院生たちが資料のところにやってきた。
「2~3人で読んでみて、そのあと私に要点を説明してくれる? 誰がやる?」
というと、みんなが手を揚げた。え? そんなに興味深い資料なの? こんな話は基本の基本として、昔から議論されてきたでしょ? マジックなんてないのだからね。ただ、独自の情報整理をしたというので、まあ、ちょっと興味はあるけど。
「あなた達、なぜ、そんなに興味を示すの?」
と聞くと、口々に返事が返ってきた。
「だって、理論的な話をする教授で有名ですよ」
「授業とってないから、話したことないし」
「コンピューターに詳しいらしいですよ」
「優しい教授だそうです」
「知的雰囲気がステキ」
などなど、男の先生だからか、何だか学生の人気がいいみたい。実際に近藤教授の授業をとったことないはずなのに、みんな興味津々。
「なんだ、テーマとかへの興味じゃないの?」
と聞いたら、慌てて訂正してきた。
「あ、そうじゃないですよ! 私たちが、すぐに直面するテーマなんですから、みんな興味あります!」
「じゃ、貴方たちで、適当に決めて頂戴。任せるわ」
というと、わいわいとやりだした。
「ちょっと! 今やっている作業のスケジュールが遅れないようにしてね? 本末転倒はいやよ?」
というと、一瞬静かになったけど、またわいわい。
もう! なんなのよ! 今どきの学生たちは!
近藤先生の動きは想定外だった。でも、仕事がらみの話だし、なぜあの先生がこんな資料を研究しているのかも疑問なのだけれど、学部が同じなら知らん顔もしにくい。たまたま院生たちがいて彼女たちも興味を示していたから院生たちも巻き込めたし、私が単独で対応するわけじゃないから気持ちは楽。ここまでの対応は失敗してないというよりかなり上手く処理したと思う。
念のため、今度の金曜日の夜か土曜日に天野さんと結心さんにマンションへ来てもらって、解析と対応策を練ってもらおう。今日は木曜日だから、電話してスケジュールを確保して貰わないと。
あ、天野さんと結心さんは初めてだから、結心さんが嫌だというかも知れないなぁ。そのときは、天野さんに相談して分析してもらってから、その分析を基に結心さんと相談すればいい。まあ、二人とも、気楽な人たちだから大丈夫だろう。
天野さんは、可愛い子がくると言えば、二つ返事できてくれるはずだ。あのひと、女に弱いはず。それにしては、私には上から目線だなぁ。まあ、姉に対してもそうだから、ああいう人なのね、きっと。でも、結局は来てくれるから、まあいいの。取り敢えず、先に結心さんへ連絡しなくっちゃ。
そもそもの発端である『告白』事件は、さらりと
でも、二人のマイブレーンと相談して、このあと手紙がくる可能性は高いかも知れないものの、それには『私彼氏いますので』と軽くいなしたらいいことで落ち着いた。
平穏な生活が続いて、もう忘れかけていたとき突然、近藤先生が私の研究室にやってきた。今度は、夕方ではなく院生たちが作業している午後の放課後みたいな時間帯だった。
研究室は、窓際には窓の高さに沿って本棚のような物置台が並んで続いている。反対側の廊下側には背の高い書棚がずらりと並んでいて、本や書類でいっぱいだ。その隙間には打ち合わせ用のデスクが3つと椅子がたくさんあって、学生たちが、そこで各自の作業や研究をしたり、適宜打ち合わせをしたりしている。私は教授室への入口付近のデスクで調べ物をしていた。
大きな分厚い封筒を抱えた近藤先生は、研究室に入ってくると「先生居られますか?」と入口近くに座っている院生の一人に尋ねてからこっちを見た。
「はい。なんでしょうか?」と私は思わず立ち上がって、笑顔で、でも何時ものようにクールな声で答えた。
「突然申し訳ありません。お忙しいでしょうか? ちょっと食物アレルギー関係の資料のことで、教えていただきたいのですが」
「どういったことでしょう?」と空いている打ち合わせ用デスクの椅子を勧めて、私も座った。
「ちょっと、食物アレルギーとアトピーのこととか、子供の給食への配慮に関するものとか、具体的なメニューへの対応についての考え方を教えていただけないかと……」
院生の子たちも興味がある話題なので、聞き耳を立てながら自分たちの作業をしている。一人の子がお茶を淹れて近藤先生に「どうぞ」と茶托にのせた茶碗を置いた。近藤先生は「ありがとう」と言って、すぐ手を伸ばした。きっと口が乾いていたのだと思う。
「ご存じのように、食物アレルギーとアトピーは必ずしも一致するわけじゃないですし、給食ともなると、本当に千差万別なので基本的には個別に情報を収集して共通項を確認していく地道な作業をしていくことになります。それで、何を調べていらっしゃるのですか?」と、つい、踏み込んでしまった。
「ありがとうございます! ちょっと、この資料を見ていただきたいのですが、厚労省の資料の中で興味深いデータがあったので、私なりに情報を整理してみたのです」
「わぁ! 結構な量がありますねぇ! お急ぎですか? 私はすぐには読むことができないので、あそこで何だか興味を示しているあの子たちに読ませてみてもいいですか? これは、ちょうど院生の研究テーマにも繋がっているかも知れないので」
と、聞き耳を立てている院生たちを見た。院生たちは、頭をぴょこんぴょこんと縦に振っていた。
「も、もちろんです! 急ぎの事案ではないので、院生みなさんの意見も含めて、いろいろとお聞きできれば嬉しいです!」
と近藤先生も振り返りながら嬉しそうな顔をしていた。え? もしかしたら、そっち――学生たち――が狙い? 管理責任あるかも知れないから注意しないといけないわね。
「わかりました。では、そういうことで、一旦この書類は預からせていただきますね」
と言って、私は立ち上がった。
「ありがとうございます! よろしくお願いいたします!」
と近藤先生は、頭を院生たちにも下げながら帰っていった。
近藤先生がドアを閉めると、すぐに院生たちが資料のところにやってきた。
「2~3人で読んでみて、そのあと私に要点を説明してくれる? 誰がやる?」
というと、みんなが手を揚げた。え? そんなに興味深い資料なの? こんな話は基本の基本として、昔から議論されてきたでしょ? マジックなんてないのだからね。ただ、独自の情報整理をしたというので、まあ、ちょっと興味はあるけど。
「あなた達、なぜ、そんなに興味を示すの?」
と聞くと、口々に返事が返ってきた。
「だって、理論的な話をする教授で有名ですよ」
「授業とってないから、話したことないし」
「コンピューターに詳しいらしいですよ」
「優しい教授だそうです」
「知的雰囲気がステキ」
などなど、男の先生だからか、何だか学生の人気がいいみたい。実際に近藤教授の授業をとったことないはずなのに、みんな興味津々。
「なんだ、テーマとかへの興味じゃないの?」
と聞いたら、慌てて訂正してきた。
「あ、そうじゃないですよ! 私たちが、すぐに直面するテーマなんですから、みんな興味あります!」
「じゃ、貴方たちで、適当に決めて頂戴。任せるわ」
というと、わいわいとやりだした。
「ちょっと! 今やっている作業のスケジュールが遅れないようにしてね? 本末転倒はいやよ?」
というと、一瞬静かになったけど、またわいわい。
もう! なんなのよ! 今どきの学生たちは!
近藤先生の動きは想定外だった。でも、仕事がらみの話だし、なぜあの先生がこんな資料を研究しているのかも疑問なのだけれど、学部が同じなら知らん顔もしにくい。たまたま院生たちがいて彼女たちも興味を示していたから院生たちも巻き込めたし、私が単独で対応するわけじゃないから気持ちは楽。ここまでの対応は失敗してないというよりかなり上手く処理したと思う。
念のため、今度の金曜日の夜か土曜日に天野さんと結心さんにマンションへ来てもらって、解析と対応策を練ってもらおう。今日は木曜日だから、電話してスケジュールを確保して貰わないと。
あ、天野さんと結心さんは初めてだから、結心さんが嫌だというかも知れないなぁ。そのときは、天野さんに相談して分析してもらってから、その分析を基に結心さんと相談すればいい。まあ、二人とも、気楽な人たちだから大丈夫だろう。
天野さんは、可愛い子がくると言えば、二つ返事できてくれるはずだ。あのひと、女に弱いはず。それにしては、私には上から目線だなぁ。まあ、姉に対してもそうだから、ああいう人なのね、きっと。でも、結局は来てくれるから、まあいいの。取り敢えず、先に結心さんへ連絡しなくっちゃ。