第41話 私は口説き落とされた?

文字数 2,994文字

 今日は木曜日。私は、ときどき現在進行中のことを振り返って確認することにしている。ときどき、思わぬ発見があったり、反省点が見つかることもあるのだ。

 火曜日に、天野さんと結心さんの二人に学校へ来て貰った。そして、近藤先生と会って貰った。学生のパソコンにアクセスは入ってないことが分かって、近藤先生の予定が少し変わったみたいな感じだけれど、天野さんはそのままもう少し近藤先生との繋がりを保ってくれる。
 
 最近は、近藤先生と話をする機会がすごく増えてきた。最初の頃の忌避感のようなものは薄れてきたので大丈夫なのだが、どう考えても近藤先生の計画どおりに進んでいるみたいで、悔しい。この悔しいという気持ちは、正に彼の手の平の上で転がされているみたいなことに対する悔しさなのだ。私が優位にリーダーシップを保持できていないことに対する無念さと言えばいいのかも知れない。負けず嫌いなのだと言われると、そうかも知れない。
 
 今回の事件「金曜告白事件」を発生から順を追って再度振り返ってみる。

 まず発端の事件発生では、パニックに陥ったが、姉の先輩天野さんに相談して「無視する」とアドバイスを受けて、軽く受け流すことができた。この対応結果は成功したので、失敗していない。近藤先生は、効果がなかったとがっかりしたはずだ。

 次に、音楽会のチケットを持って来たが、これも軽く断ってあっさり撃退した。ただ、断るときに彼氏が存在することを(ほの)めかしていれば、これ以降の接触は回避できていたかも知れないという点で、成功とも言えないのが残念だ。でも、失敗ではない。

 その次は、研究テーマについての相談を持ってきた。これは、天野さんや結心さんとも想定はしていたけれども、仕事関係なので細かい予測は立てられず「複数人が絡むだろうから、成り行きの自然体しかない」としていた。それでも、勉強会のようなものは近藤先生との接触機会が増えるかも知れないと心配はしていたのだ。――その一番心配していたパターンが発生するとは正直思わなかった。

 しかし、これは咄嗟に私の判断で院生たちに振ることとしたため、研究室に近藤先生が頻繁に来られることにはなっても私には左程影響はないと少し安心していた。ところが、突然パソコンでのデータ処理に関する提案を持ってこられて、私の苦手な分野でもあることと天野さんという専門家の得意分野であることから、天野さんたちを近藤先生に会わせるチャンスだと思ってすぐに対応してしまった。これは、一旦検討してみると言って、天野さんにしっかり相談してから動くべきだったと反省はしている。それでも、天野さんが上手くこなしてくれているので、失敗ではない。

 その結果、天野さんたちが会うことはできたのだが、講習会とかレッスンとかの話になって天野さんに負担を掛けることになると同時に、近藤先生と私が頻繁に打ち合わせをするようになってしまった。これは、最初に天野さんと打ち合わせをしていたら、院生たちを巻き込まずに近藤先生への個人レッスンのみの紹介として、天野さんと近藤先生の直接取引にしてしまったら良かったのだ。天野さんも、報酬を得られていただろうに。ここは、失敗だった。

 今回は確かに近藤先生の計画どおりに進んでいるかもしれないけれども、私が専門家の天野さんを連れてきたので、私のほうが優位に立っているはずだ。そして、講習会を私の決めた流れ――実際に決めたのは天野さんなのだが――で進むことになったし、近藤先生に《貸し》を作ったことになる。そういうわけで、結果的には、失敗ではない。天野さんには《借り》を作ったかも知れないが、結心さんを引き合わせてあげたのだから、まあいいことにしよう。


 前にも書いたが、この「金曜告白事件」の首謀者たる近藤先生は、計画的に「金曜告白事件」を発生させたのだ。そして、着々と計画どおりに私への接触機会を増やし、そして私の頭の中に近藤先生の存在を強力に植え付けてしまった。私はまんまと乗せられて近藤先生のことを『これだけの緻密な計画を立てて実施して成果を上げるほど頭がいい、コンピュータが得意らしいし真面目で律儀なところもある、気配りができる上学生たちの人気もいい、悪い人じゃないみたい』などと思い始めて好感度を上げてきているのだ。

 近藤先生と院生たちとの研究会は、もうすぐ終わりにさせる積もりだから、そう気を揉むこともない。パソコンの件も、天野さんが適当に上手く完了させてくれると思うから、心配はしていない。それよりも問題なのは、最近の私は近藤先生のことを考えることが多くなってしまっていることだ。確かに、色々と打ち合わせなどで会う機会が増えているのは事実なのだが、そうではなくて、ぼんやりと近藤先生のことを考えているような気がする。

 結心さんのように明らかな「恋」の感情とは違う。では、この感情は何なんだろうか?
 少し冷静になって、今夜は、私の心の奥をじっくりと見詰め直してみなくてはいけない。
 仮説としてまず思い付くのは、結心さんの恋愛に感化されて、恋に憧れているのではないだろうか? まだ、経験したことのない、初恋に。

 今、私の周りに恋愛対象として考えられる候補は、近藤先生しかいない。身近な男は近藤先生しかいないのだ。彼は、私の恋愛の対象になるのだろうか? 私に対して好意を持ってくれているのだから、悪い気はしないと思うようになってきた。今はまだ、恋愛感情とは程遠いが、検討してみてもいいかも知れないと、心の奥底で考えているのではないだろうか? 自分の心のことなのだけど、深層心理としてはそう考えるのが妥当だと思う。

 つまり、恋をしてみたいと思うようになって、恋愛対象を無意識の内に探しているのだ。そして、近寄ってきた近藤先生をターゲットに仮置きしてみているのに違いない。心の奥底では既婚者は不倫になるから拒否しているのに、「別れを前提として割り切ればいい」と、もう一人の私がきっと思っているのだ。別に結心さんのせいにする積もりはない。結心さんの恋を応援する私がいるのは事実なのだから、もう一人の私が受け入れているのは間違いないのだ。

 これが、最近の私が近藤先生のことを考えていることが増えた原因なのではないだろうか? 恋していないはずなのに、なぜか考えてしまうというのは、これに違いない。他に考えられない。結心さんのように純粋な恋をしてしまったのとは明らかに違う。つまり、私は近藤先生をターゲットにして恋をしてみようと考えているのだろう。不謹慎かも知れないが、私はきっと恋をしてみたくなったのだ。でも、まだ自分から動こうとは思わない。あくまで受け身の恋なのだ。

 それならば、近藤先生とお茶を飲んだり、お話したりしてみてもいい。お茶程度なら、たまにはお付き合いしてあげても悪くない。あくまで、お付き合いしてみてあげるのだ。私からは声を掛けない。これは私のプライドがそうさせるのだ。自分でも面倒な女だと自覚はしているけれど、私みたいな女がいてもいいのではないか? やっぱり近藤先生のことが嫌なら恋愛対象から外せばいい。簡単なことだ。

 あれ? これって、結局、近藤先生の計画どおりになってるわけ? 私は口説かれてしまったの? 何が私のプライドよ!
 天野さんと結心さんを集めて、緊急会議をしなくっちゃ!
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登場人物紹介

矢野 詩織 《やの しおり》

大学准教授

近藤 克矩 《こんどう かつのり》

大学教授

天野 智敬 《あまの ともたか》

ソフトウェア会社社長

森山 結心 《もりやま ゆい》

パン屋さんの看板娘

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