01話:はじまりは突然に
文字数 4,476文字
【東京都練馬区某所】
「!?」
男は、壁に貼られたこの都市のシンボルマーク、東京タワーがドンと構えるポスターの前で、声にならない声を上げて驚いた。便器の中が赤い。よもや血尿を出す程までに自分の体は限界だったのかと、ただただ嘆く。
ここ最近は、漫画家を目指し上京したはいいが、アシスタントにアルバイト、そして自身の作品を夜なべで描くハードスケジュールを送りすぎ、半月前に腱鞘炎になっていたのだ。
そして、ただでさえ肉体的・精神的にきついというその状況で、さらに追い打ちをかけるべく、初めて付き合った年下の彼女に心変わりしたので別れてほしいと告げられ、失恋のショックも加わった。
気力が湧かなければ、利き手も満足に動かせない。三食レトルトカレーのみで凌ぐ日々を送り、盛大に体を壊したという訳だ。
男が水洗レバーに手を伸ばす。
しかし、すぐに違和感を覚え、改めて便器を覗き込む。
「?」
先ほどまで赤みの強かった便器内に、黒く澱んだ何かが見えた。
最初、男は自分の髪色が水に反射したのだと思った。しかしそれは、男が顔を近づけたと同時にゴポンと音を立て、勢いよく便器から飛び出し、容赦なく男を襲った。
「――っ!?」
水では無い、ドロドロとした液体が顔面にへばり付く。
次第に、男がいままで味わった事の無い“甘ったるくも苦々しいような味”が口の中を支配し、意識は深い闇へと落ちていく――。
【???】
(俺は、あれからどうなった? 俺は……確か、そう便所で……)
彼が意識を取り戻した時、どれだけ時間が経ったと思わせる程、辺りは闇に包まれていた。
「……ぅ!」
そして起きた瞬間、自身を包む強烈な臭 い匂 いが鼻を突き、吐き気を催す。よもやあのまま便所で昏倒していたのだろうかと、男は慌てて体を起こすが、そこでまず異変に気が付いた。
(え? なんで俺、裸……っていうか、なんだこのぬめぬめしたの――?)
何故か下着一枚さえも身に付けておらず、その代わりに全身に“ドロリとした妙な何か”がまとわりついていたのだ。
彼にはそれが何かは分からなかった。
何故なら辺りは真っ暗で、何も見えないからだ。
一体何がどうなっている? 混乱した頭を抱え、手当たり次第に手を伸ばす。すると――。
「ゴルルルル……」
低い重低音が、今度は足先から聞こえた。
それが鼓膜を震わし、骨を伝い、ビリビリと全身に巡っていく。
「どわっ!」
けれど、その音の正体に気が付く前に、彼は頭から落ちるような感覚に襲われた。途端、冷たい空気と硬い岩肌のような感触が体にぶつかり、そして急激に体温を奪っていった。
「へ?」
恐る恐る目を開けると、それはもう目の前に居た。
そして、やっと先程まで自分が“居たであろう場所”の全容をようやく知る事となる。
「ゴルルルル……」
その声の主は、大きな翼を持ち、全身が黒い鱗に覆われていた。大きく裂けた口には、鋭い牙がびっしり並び、垂れたヨダレを毒々しいまでに紫色の長い舌ですくい取り、舌なめずりをして彼を見ている。
「ええええええええ!?」
そう、彼は今の今まで空の上、それもドラゴンの口の中に居たのだ。
「なんだこれ⁉ なんで俺っ、意味分かんねぇ~~!」
寒さと恐怖、もうどちらが原因で体が震えているのか分からない。何故自分はこんな状態に見舞われているのだろうか。考えようにも状況が異質過ぎて、完全なるパニックに陥っていた。
「うわっ!」
そんな混乱の中、彼を両手に抱えたドラゴンの手が、今にも握りつぶさんとばかりに力を強めた。
その時だ、風の音に混じり、雷が落ちた時のような、そんな轟音が遠くの空で鳴り響く。
「嘘だろ……」
彼はゴクリと息をのむ。
檻のように固く閉じられた爪の隙間から彼が見たもの、それは別の赤いドラゴンだった。前方からくるそれに、黒いドラゴンが咆哮を上げる。それに向こうのドラゴンも応えるように炎を吐く。
「うわっ!」
その炎が黒いドラゴンの体をかする。冷えた大気が一瞬で熱くなり、息をすれば肺が焼けそうになる位、それは凄まじいものだった。しかし黒いドラゴンはその攻撃を受けても逃げ惑うばかりで、反撃する事はない。
「ピシャアアアアアア!」
背後からまた炎が迫る。
「避け――!」
彼が叫ぶ。けれど叫んだと同時にドラゴンの手は緩み、次の瞬間には体は宙を舞っていた。その直後、黒いドラゴンの体に炎が直撃し、全身から煙が上がる。悲痛そうな黒いドラゴンの鳴き声。彼はその光景を見ながら、重力に抗うことも出来ず、ただただ落ちる他なかった。
「っ――!」
人間こうなるともう自分の運命を受け入れるしかないと諦めた。
そう思うのも当然だ。彼が雲の切れ目から見たものは、見渡す限りの森と大きな湖で、きっともう何秒か後には、体は地面か水面に叩きつけられるのだろうからと、自らの死を悟ったのだ。
(……え?)
しかし、その予想はすぐに外れてしまう。
彼の体がふわりと急に浮き、そのままゆっくり降下を開始したからだ。
「ど、どうなって……」
温かな空気の層に包まれながら、訳も分からず辺りを見渡した。すると岸辺に人影を見つけた。白い大きな帽子とマントを羽織った桃色の髪の少女が、焦った様子で彼に向かって小さな白い杖を振り上げていた。
「――!!」
少女は懸命に何かを叫ぶ。
しかし、空気の層に包まれた彼に、その声は届かない。
そんな少女の必死の形相を見て、彼はハッとした。
(俺、今真っ裸だ!)
自分の姿を思い出し、慌てたが、少女の険しい顔は一層増すばかりだった。
そして杖が振り上げられ、反射的に男が目を閉じた瞬間。空気の層は割れ、爆発音と熱風、それに大量の水が後ろから押し寄せ、体が岸へ押し出されるように水平に飛ぶ。真後ろに、先ほどまで上空で争っていたドラゴン達が落ちたのだ。
「でぇえええええええ!?」
このままでは少女にぶつかってしまう。それも全裸で。と考えるその瞬間にも、二人の距離は見る見るうちに縮まっていく。
「――っ我を守護する精霊よ!彼 の者に風を運びて舞い上がれ!」
焦った少女がそう叫んだ。
すると彼の眼前に、青白い魔法陣が広がった。
「ま、間に合って良かった」
「死っ死ぬかと思った……」
少女にぶつかる寸前、彼の体はまたふわりと宙に浮き、その勢いは止まった。
しかし、衝突こそ免れた二人だったが、今度は別の問題が発生していた。それを受け止めた少女を下敷きに、彼は少女に覆いかぶさってしまっていたのだ。
「ごごっごめん!!」
慌てて身をよじり、少女の上から体を退ける。
けれど少女はそんな彼に目もくれず、急いで後方を確認すると、立ち上がりざまに彼の手を取った。
「お話は後です! とにかくここを離れましょう!」
「えっ!?」
少女はそう叫ぶように言うと、今もなお、湖の中で荒れ狂う二匹のドラゴンを残し、走り出した。
***
「我を守護する精霊よ。我と彼の者に導きの光を」
少女がそう唱えると、暗闇の中に無数の小さな光が散らばった。
彼が連れてこられたのは、湖から少し離れた場所にある洞窟のような場所で、落ち着くまでここにいてはどうかと提案されたのだ。
「良かったらこれ、使って下さい」
「ご、ごめん。ありがとう」
目のやり場に困ったのか、少女は羽織っていたマントを彼に手渡す。そして枝を拾ってくるといい、すぐに戻ってくると焚き火を炊いてくれた。少女の胸元に着けられた、大きな逆十字の装飾具に、焚き火の炎が反射してゆらゆら揺れる。
「あの、ずっと気になっていたのですが。どうして……その、そんな格好であんな場所に? それにあのドラゴンは一体……」
少女がもっともな事を訊く。
しかし彼にとっても、今自分に何が起きているのか分からないと、目が覚めた時にはすでに空の上、ドラゴンの口内に居たのだと正直に少女に話した。
「それって……何か事件に巻き込まれたとか、そういう……。あ、あの、警察に行ってみてはどうでしょうか」
警察。その単語を聞いた途端“公然わいせつ罪”という罪状が脳裏をよぎる。
「いやーほら、俺今こんな格好だし。それにこれが夢じゃなかったら、多分……ちょっと信じられないかもしれないけど……そういうんじゃないと思うから」
「そういうのじゃない、とは?」
「えーと、その……」
(参ったな、説明が難しい)
今の状況を現地人にどう話せば理解してもらえるのか、彼は悩んだ。
そう、これが夢ではなく現実であるなら、彼は所謂“異世界転移”をしてしまっているからだ。
(転移方法は随分とまぁ雑だったが、きっとそうに違いない)
彼は確信した。
火を噴くドラゴンに、宙に展開された魔法陣。火種もない状況で杖を振り、言葉一つで火を起こす少女。そんな夢みたいな展開は、物語の中にしか存在しないからだ。
「あのさ……」
結局、こういう事は早めに言ってしまった方がいいかもしれないと判断し、実は自分がこの世界の住人では無い事、こんな姿で行き場が無い事を正直に少女に話す事にした。しかし、思いのほか少女は驚かず「なるほど」と軽く理解した事に、彼は逆に驚かされることになる。
「お、驚かないのか?」
「特には。でもこの辺りに黒竜 は生息していないはずなので、もしかしたら最初に貴方が飛ばされた場所は別の場所なのかもしれませんね」
「へ、へぇ」
彼としては、もっとリアクションが欲しかったところだが、そんな事はつゆ知らず、少女は冷静に分析していた。曰く、この世界ではそう珍しい事ではないらしく、彼女の周りにも何人か異世界からやってきた人間が居るという。
「その人達は、結局元の世界に帰れてたりするのか?」
「私の知る限りでは、皆さんこちらで生活されてますね」
「そう、か……」
彼はあからさまに肩を落とす。その様子に少女は慌て、ちゃんと探せば元の世界に帰る方法が見つかるかもしれないと慰めた。
「ま、なるようになるか」
「ですです!」
物語ならばここはまだスタート地点。
絶望するにはまだ早いと、気持ちを切り替える事にした。
「そういえば、そっちはどうしてこんな森に? 家が近い、とか?」
「私は、あの湖周辺に生息するスライムの汚染が最近特に激しいとのことで、それを浄化しに来たんです。でも……」
ドラゴンの激しく争うあの鳴き声と姿を見て、驚いているところに彼が落ちてきたという。
「ビックリしました」
「だよな。俺もだ」
自然と笑みがこぼれる。
少女の纏う穏やかな雰囲気が、彼には心地が良かったのだ。
「!?」
男は、壁に貼られたこの都市のシンボルマーク、東京タワーがドンと構えるポスターの前で、声にならない声を上げて驚いた。便器の中が赤い。よもや血尿を出す程までに自分の体は限界だったのかと、ただただ嘆く。
ここ最近は、漫画家を目指し上京したはいいが、アシスタントにアルバイト、そして自身の作品を夜なべで描くハードスケジュールを送りすぎ、半月前に腱鞘炎になっていたのだ。
そして、ただでさえ肉体的・精神的にきついというその状況で、さらに追い打ちをかけるべく、初めて付き合った年下の彼女に心変わりしたので別れてほしいと告げられ、失恋のショックも加わった。
気力が湧かなければ、利き手も満足に動かせない。三食レトルトカレーのみで凌ぐ日々を送り、盛大に体を壊したという訳だ。
男が水洗レバーに手を伸ばす。
しかし、すぐに違和感を覚え、改めて便器を覗き込む。
「?」
先ほどまで赤みの強かった便器内に、黒く澱んだ何かが見えた。
最初、男は自分の髪色が水に反射したのだと思った。しかしそれは、男が顔を近づけたと同時にゴポンと音を立て、勢いよく便器から飛び出し、容赦なく男を襲った。
「――っ!?」
水では無い、ドロドロとした液体が顔面にへばり付く。
次第に、男がいままで味わった事の無い“甘ったるくも苦々しいような味”が口の中を支配し、意識は深い闇へと落ちていく――。
【???】
(俺は、あれからどうなった? 俺は……確か、そう便所で……)
彼が意識を取り戻した時、どれだけ時間が経ったと思わせる程、辺りは闇に包まれていた。
「……ぅ!」
そして起きた瞬間、自身を包む強烈な
(え? なんで俺、裸……っていうか、なんだこのぬめぬめしたの――?)
何故か下着一枚さえも身に付けておらず、その代わりに全身に“ドロリとした妙な何か”がまとわりついていたのだ。
彼にはそれが何かは分からなかった。
何故なら辺りは真っ暗で、何も見えないからだ。
一体何がどうなっている? 混乱した頭を抱え、手当たり次第に手を伸ばす。すると――。
「ゴルルルル……」
低い重低音が、今度は足先から聞こえた。
それが鼓膜を震わし、骨を伝い、ビリビリと全身に巡っていく。
「どわっ!」
けれど、その音の正体に気が付く前に、彼は頭から落ちるような感覚に襲われた。途端、冷たい空気と硬い岩肌のような感触が体にぶつかり、そして急激に体温を奪っていった。
「へ?」
恐る恐る目を開けると、それはもう目の前に居た。
そして、やっと先程まで自分が“居たであろう場所”の全容をようやく知る事となる。
「ゴルルルル……」
その声の主は、大きな翼を持ち、全身が黒い鱗に覆われていた。大きく裂けた口には、鋭い牙がびっしり並び、垂れたヨダレを毒々しいまでに紫色の長い舌ですくい取り、舌なめずりをして彼を見ている。
「ええええええええ!?」
そう、彼は今の今まで空の上、それもドラゴンの口の中に居たのだ。
「なんだこれ⁉ なんで俺っ、意味分かんねぇ~~!」
寒さと恐怖、もうどちらが原因で体が震えているのか分からない。何故自分はこんな状態に見舞われているのだろうか。考えようにも状況が異質過ぎて、完全なるパニックに陥っていた。
「うわっ!」
そんな混乱の中、彼を両手に抱えたドラゴンの手が、今にも握りつぶさんとばかりに力を強めた。
その時だ、風の音に混じり、雷が落ちた時のような、そんな轟音が遠くの空で鳴り響く。
「嘘だろ……」
彼はゴクリと息をのむ。
檻のように固く閉じられた爪の隙間から彼が見たもの、それは別の赤いドラゴンだった。前方からくるそれに、黒いドラゴンが咆哮を上げる。それに向こうのドラゴンも応えるように炎を吐く。
「うわっ!」
その炎が黒いドラゴンの体をかする。冷えた大気が一瞬で熱くなり、息をすれば肺が焼けそうになる位、それは凄まじいものだった。しかし黒いドラゴンはその攻撃を受けても逃げ惑うばかりで、反撃する事はない。
「ピシャアアアアアア!」
背後からまた炎が迫る。
「避け――!」
彼が叫ぶ。けれど叫んだと同時にドラゴンの手は緩み、次の瞬間には体は宙を舞っていた。その直後、黒いドラゴンの体に炎が直撃し、全身から煙が上がる。悲痛そうな黒いドラゴンの鳴き声。彼はその光景を見ながら、重力に抗うことも出来ず、ただただ落ちる他なかった。
「っ――!」
人間こうなるともう自分の運命を受け入れるしかないと諦めた。
そう思うのも当然だ。彼が雲の切れ目から見たものは、見渡す限りの森と大きな湖で、きっともう何秒か後には、体は地面か水面に叩きつけられるのだろうからと、自らの死を悟ったのだ。
(……え?)
しかし、その予想はすぐに外れてしまう。
彼の体がふわりと急に浮き、そのままゆっくり降下を開始したからだ。
「ど、どうなって……」
温かな空気の層に包まれながら、訳も分からず辺りを見渡した。すると岸辺に人影を見つけた。白い大きな帽子とマントを羽織った桃色の髪の少女が、焦った様子で彼に向かって小さな白い杖を振り上げていた。
「――!!」
少女は懸命に何かを叫ぶ。
しかし、空気の層に包まれた彼に、その声は届かない。
そんな少女の必死の形相を見て、彼はハッとした。
(俺、今真っ裸だ!)
自分の姿を思い出し、慌てたが、少女の険しい顔は一層増すばかりだった。
そして杖が振り上げられ、反射的に男が目を閉じた瞬間。空気の層は割れ、爆発音と熱風、それに大量の水が後ろから押し寄せ、体が岸へ押し出されるように水平に飛ぶ。真後ろに、先ほどまで上空で争っていたドラゴン達が落ちたのだ。
「でぇえええええええ!?」
このままでは少女にぶつかってしまう。それも全裸で。と考えるその瞬間にも、二人の距離は見る見るうちに縮まっていく。
「――っ我を守護する精霊よ!
焦った少女がそう叫んだ。
すると彼の眼前に、青白い魔法陣が広がった。
「ま、間に合って良かった」
「死っ死ぬかと思った……」
少女にぶつかる寸前、彼の体はまたふわりと宙に浮き、その勢いは止まった。
しかし、衝突こそ免れた二人だったが、今度は別の問題が発生していた。それを受け止めた少女を下敷きに、彼は少女に覆いかぶさってしまっていたのだ。
「ごごっごめん!!」
慌てて身をよじり、少女の上から体を退ける。
けれど少女はそんな彼に目もくれず、急いで後方を確認すると、立ち上がりざまに彼の手を取った。
「お話は後です! とにかくここを離れましょう!」
「えっ!?」
少女はそう叫ぶように言うと、今もなお、湖の中で荒れ狂う二匹のドラゴンを残し、走り出した。
***
「我を守護する精霊よ。我と彼の者に導きの光を」
少女がそう唱えると、暗闇の中に無数の小さな光が散らばった。
彼が連れてこられたのは、湖から少し離れた場所にある洞窟のような場所で、落ち着くまでここにいてはどうかと提案されたのだ。
「良かったらこれ、使って下さい」
「ご、ごめん。ありがとう」
目のやり場に困ったのか、少女は羽織っていたマントを彼に手渡す。そして枝を拾ってくるといい、すぐに戻ってくると焚き火を炊いてくれた。少女の胸元に着けられた、大きな逆十字の装飾具に、焚き火の炎が反射してゆらゆら揺れる。
「あの、ずっと気になっていたのですが。どうして……その、そんな格好であんな場所に? それにあのドラゴンは一体……」
少女がもっともな事を訊く。
しかし彼にとっても、今自分に何が起きているのか分からないと、目が覚めた時にはすでに空の上、ドラゴンの口内に居たのだと正直に少女に話した。
「それって……何か事件に巻き込まれたとか、そういう……。あ、あの、警察に行ってみてはどうでしょうか」
警察。その単語を聞いた途端“公然わいせつ罪”という罪状が脳裏をよぎる。
「いやーほら、俺今こんな格好だし。それにこれが夢じゃなかったら、多分……ちょっと信じられないかもしれないけど……そういうんじゃないと思うから」
「そういうのじゃない、とは?」
「えーと、その……」
(参ったな、説明が難しい)
今の状況を現地人にどう話せば理解してもらえるのか、彼は悩んだ。
そう、これが夢ではなく現実であるなら、彼は所謂“異世界転移”をしてしまっているからだ。
(転移方法は随分とまぁ雑だったが、きっとそうに違いない)
彼は確信した。
火を噴くドラゴンに、宙に展開された魔法陣。火種もない状況で杖を振り、言葉一つで火を起こす少女。そんな夢みたいな展開は、物語の中にしか存在しないからだ。
「あのさ……」
結局、こういう事は早めに言ってしまった方がいいかもしれないと判断し、実は自分がこの世界の住人では無い事、こんな姿で行き場が無い事を正直に少女に話す事にした。しかし、思いのほか少女は驚かず「なるほど」と軽く理解した事に、彼は逆に驚かされることになる。
「お、驚かないのか?」
「特には。でもこの辺りに
「へ、へぇ」
彼としては、もっとリアクションが欲しかったところだが、そんな事はつゆ知らず、少女は冷静に分析していた。曰く、この世界ではそう珍しい事ではないらしく、彼女の周りにも何人か異世界からやってきた人間が居るという。
「その人達は、結局元の世界に帰れてたりするのか?」
「私の知る限りでは、皆さんこちらで生活されてますね」
「そう、か……」
彼はあからさまに肩を落とす。その様子に少女は慌て、ちゃんと探せば元の世界に帰る方法が見つかるかもしれないと慰めた。
「ま、なるようになるか」
「ですです!」
物語ならばここはまだスタート地点。
絶望するにはまだ早いと、気持ちを切り替える事にした。
「そういえば、そっちはどうしてこんな森に? 家が近い、とか?」
「私は、あの湖周辺に生息するスライムの汚染が最近特に激しいとのことで、それを浄化しに来たんです。でも……」
ドラゴンの激しく争うあの鳴き声と姿を見て、驚いているところに彼が落ちてきたという。
「ビックリしました」
「だよな。俺もだ」
自然と笑みがこぼれる。
少女の纏う穏やかな雰囲気が、彼には心地が良かったのだ。