23話:この手が触れるその距離で
文字数 2,459文字
あっという間であった。
咄嗟にステラの袖を引き、前に出たアスターは、ゴルボに腕を掴まれ、まるで玩具を放り投げるように、バスの前方に投げ捨てられてしまった。その衝撃で座席の角で頭を切り、砂埃でザラついたバスの床に、額から流れ出た血が道を作る。
車内はまさに阿鼻叫喚。老婆は天に祈りを捧げ、子供は泣き喚き、釣られてその母親や、若い女性も涙を浮かべ悲鳴を上げた。
「アスターさん!」
ステラは、すぐに彼に駆け寄った。
しかし、その夥しい出血量を見てまたパニックに陥ってしまう。
「大丈夫、だ。派手に血が出て見えるだけで、大した傷じゃないと思うから……」
「で、でもっ!」
アスターは、額から流れる血を手で拭う。
けれど血は止まる事無く、サラサラと流れ続けた。
「ほんと大丈夫だから……お前は、落ち着け……」
「っ……!!」
彼が握ったステラの手は、やはり震えていた。
その顔も、唇を噛みしめ、今にも零れそうな涙を、必死に堪えているような状態だ。
「なぁ、あの人のアレ、ライネックだよな……」
「は、はい。そう、だと思います」
ライネックは寄生した宿主を凶暴化させる。
だからきっとこれも本望では無く、その人なりに中で戦っているかもしれない。しかし、このまま手をこまねいていても、問題は解決せず、被害は増える一方だろう。これ以上人を傷つけてしまう前に、どうにか出来ないか? とアスターは続けた。
「や、やってみます」
未だ震える手を握りしめ、ステラは杖を手に取った。
ゴルボが座席にはまり、身動きが取れていない今が絶好のチャンスだ。
「我を守護する精霊よ。彼の者の戒めの枷となれ!」
「ガッ!?」
詠唱が終わると同時に、杖から放たれた光の球体が、ゴルボの足や腕を締め上げ、自由を奪う。
「運転手さん、今すぐバスを停めてっ、皆さんを降ろしてください!」
ステラがそう叫ぶと、運転手は慌てて路肩にバスを寄せ、降車ドアを開放した。乗客は次々バスを降りて行き、残されたのは、運転手を含む彼等二人と、後部座席に取り残されたサブとゴルボの五人だけになった。
ガランとした車内。
エンジン音が響く中、攻防は静かに続く。
「ひぃ……!」
「大丈夫、ゆっくりでいいですから、慌てず進んでください!」
通路にはゴルボがいるため、サブは座席の上を伝って進むしか道は無かった。いくら術で拘束されているとはいえ、すぐ傍でゴルボが鼻息を荒くしていると思うと、サブは気が気ではなく、恐ろしさで力がうまく入らない。まるでナマケモノにでもなったかのように、ゆっくり、ゆっくり手足を動かし、常にぎこちない。
(もう少し、あと少しで……)
サブの足が、やっと床に着地したところで、ステラはホッと安堵した。
「お願いします! アスターさんを、後ろに居る子を連れて降りてくださいっ!」
「!」
そう懇願する彼女の声は悲鳴にも似ていた。
けれどサブの視界に彼は入っていない。ただただ自分が助かる事ばかりを考え、極度の緊張でガチガチに固まった足腰を無理矢理動かし……。最悪な事に、サブはステラを道連れに転倒してしまう。そのせいで彼女の気が削がれ、術が緩む。
「ゴガァアア!!」
ゴルボが一際大きな雄叫びを上げた。
そして、力任せに術を破ると、ステラとサブの足を掴み、二人を車内後方へ思いっきり投げ飛ばした。
「っ!」
「グェッ!」
バス後方のガラスに、まず彼女がぶつかり。その上からサブの背中が直撃した。壁とサブに思いっきり挟まれたステラは、そのまま後部座席に落ち、動かない。
「ステラ……!」
(くそっ、今すぐアイツの元へ駆け寄りたいのに、心臓はこんなにも激しく脈打っているのに!)
額を切ってからというもの、彼の体は力が抜ける一方であった。
床に頬を付け、その光景をただ見る事しか出来ない今の状況が、アスターにとって何より腹立たしく、自分がいかに無力であるかを痛感する瞬間である。
「っ……バスを出して! 俺達を人気 のない所に運んでくれ!」
アスターが渾身の力を振り絞り叫ぶ。
彼女が救った命が、これ以上脅かされることのないように、被害を最小限にするためだ。
「くそっ……くそぉ――!」
せめて元の姿でいたならば、状況は変わっていたかもしれないのにと、今更後悔するがもう遅い。飴はステラの鞄の中、どれだけ手を伸ばしても、今は届かぬ場所にあるからだ。
( 人気のない所に行ったとして、それからどうする……俺は、何をしたら――)
「だめ……だ……」
目の前がチカチカ白く光り、瞼 が鉛のように重たく落ちる。彼の意識は、ここで一度途絶えている。
***
【星室庁通信指令部・中央指令センター】
壁一面に広がる巨大モニターを目の前に、男は呟く。
「このバスはどこに向かっている……。ドライバーとの連絡は?」
「通信機器にトラブルが起こっているらしく、連絡はついていません」
男は切れ長の目を、さらに細め、顔を顰める。そんな男に、その横に立つ髪の長い女が淡々と資料を読み上げていく。全身真っ白の制服に身を包み、背中に正義の六芒星を背負う彼等は、魔道士や魔術師、そして異種族を裁く事が出来る唯一の警察機関“星室庁”の人間だ。
「司令、これより問題車両を誘導すると警察 より連絡がありました」
オペレーターの一人が、振り向きざまに報告する。
「誘導先は?」
「セントラル・パーク第六駐車場です」
「あそこか……まあ、やりやすい立地ではあるが……、スターチスのところにはもう出動要請はかけたのか?」
「はい」
「“ナインズ”は?」
「間もなく到着予定です」
「そうか」
男は短くそう返すと、再びモニターに視線を戻す。
一見すると緊迫した様子の室内であるが、何故か男の口元は、若干の笑みを含んでいた。
咄嗟にステラの袖を引き、前に出たアスターは、ゴルボに腕を掴まれ、まるで玩具を放り投げるように、バスの前方に投げ捨てられてしまった。その衝撃で座席の角で頭を切り、砂埃でザラついたバスの床に、額から流れ出た血が道を作る。
車内はまさに阿鼻叫喚。老婆は天に祈りを捧げ、子供は泣き喚き、釣られてその母親や、若い女性も涙を浮かべ悲鳴を上げた。
「アスターさん!」
ステラは、すぐに彼に駆け寄った。
しかし、その夥しい出血量を見てまたパニックに陥ってしまう。
「大丈夫、だ。派手に血が出て見えるだけで、大した傷じゃないと思うから……」
「で、でもっ!」
アスターは、額から流れる血を手で拭う。
けれど血は止まる事無く、サラサラと流れ続けた。
「ほんと大丈夫だから……お前は、落ち着け……」
「っ……!!」
彼が握ったステラの手は、やはり震えていた。
その顔も、唇を噛みしめ、今にも零れそうな涙を、必死に堪えているような状態だ。
「なぁ、あの人のアレ、ライネックだよな……」
「は、はい。そう、だと思います」
ライネックは寄生した宿主を凶暴化させる。
だからきっとこれも本望では無く、その人なりに中で戦っているかもしれない。しかし、このまま手をこまねいていても、問題は解決せず、被害は増える一方だろう。これ以上人を傷つけてしまう前に、どうにか出来ないか? とアスターは続けた。
「や、やってみます」
未だ震える手を握りしめ、ステラは杖を手に取った。
ゴルボが座席にはまり、身動きが取れていない今が絶好のチャンスだ。
「我を守護する精霊よ。彼の者の戒めの枷となれ!」
「ガッ!?」
詠唱が終わると同時に、杖から放たれた光の球体が、ゴルボの足や腕を締め上げ、自由を奪う。
「運転手さん、今すぐバスを停めてっ、皆さんを降ろしてください!」
ステラがそう叫ぶと、運転手は慌てて路肩にバスを寄せ、降車ドアを開放した。乗客は次々バスを降りて行き、残されたのは、運転手を含む彼等二人と、後部座席に取り残されたサブとゴルボの五人だけになった。
ガランとした車内。
エンジン音が響く中、攻防は静かに続く。
「ひぃ……!」
「大丈夫、ゆっくりでいいですから、慌てず進んでください!」
通路にはゴルボがいるため、サブは座席の上を伝って進むしか道は無かった。いくら術で拘束されているとはいえ、すぐ傍でゴルボが鼻息を荒くしていると思うと、サブは気が気ではなく、恐ろしさで力がうまく入らない。まるでナマケモノにでもなったかのように、ゆっくり、ゆっくり手足を動かし、常にぎこちない。
(もう少し、あと少しで……)
サブの足が、やっと床に着地したところで、ステラはホッと安堵した。
「お願いします! アスターさんを、後ろに居る子を連れて降りてくださいっ!」
「!」
そう懇願する彼女の声は悲鳴にも似ていた。
けれどサブの視界に彼は入っていない。ただただ自分が助かる事ばかりを考え、極度の緊張でガチガチに固まった足腰を無理矢理動かし……。最悪な事に、サブはステラを道連れに転倒してしまう。そのせいで彼女の気が削がれ、術が緩む。
「ゴガァアア!!」
ゴルボが一際大きな雄叫びを上げた。
そして、力任せに術を破ると、ステラとサブの足を掴み、二人を車内後方へ思いっきり投げ飛ばした。
「っ!」
「グェッ!」
バス後方のガラスに、まず彼女がぶつかり。その上からサブの背中が直撃した。壁とサブに思いっきり挟まれたステラは、そのまま後部座席に落ち、動かない。
「ステラ……!」
(くそっ、今すぐアイツの元へ駆け寄りたいのに、心臓はこんなにも激しく脈打っているのに!)
額を切ってからというもの、彼の体は力が抜ける一方であった。
床に頬を付け、その光景をただ見る事しか出来ない今の状況が、アスターにとって何より腹立たしく、自分がいかに無力であるかを痛感する瞬間である。
「っ……バスを出して! 俺達を
アスターが渾身の力を振り絞り叫ぶ。
彼女が救った命が、これ以上脅かされることのないように、被害を最小限にするためだ。
「くそっ……くそぉ――!」
せめて元の姿でいたならば、状況は変わっていたかもしれないのにと、今更後悔するがもう遅い。飴はステラの鞄の中、どれだけ手を伸ばしても、今は届かぬ場所にあるからだ。
( 人気のない所に行ったとして、それからどうする……俺は、何をしたら――)
「だめ……だ……」
目の前がチカチカ白く光り、
***
【星室庁通信指令部・中央指令センター】
壁一面に広がる巨大モニターを目の前に、男は呟く。
「このバスはどこに向かっている……。ドライバーとの連絡は?」
「通信機器にトラブルが起こっているらしく、連絡はついていません」
男は切れ長の目を、さらに細め、顔を顰める。そんな男に、その横に立つ髪の長い女が淡々と資料を読み上げていく。全身真っ白の制服に身を包み、背中に正義の六芒星を背負う彼等は、魔道士や魔術師、そして異種族を裁く事が出来る唯一の警察機関“星室庁”の人間だ。
「司令、これより問題車両を誘導すると
オペレーターの一人が、振り向きざまに報告する。
「誘導先は?」
「セントラル・パーク第六駐車場です」
「あそこか……まあ、やりやすい立地ではあるが……、スターチスのところにはもう出動要請はかけたのか?」
「はい」
「“ナインズ”は?」
「間もなく到着予定です」
「そうか」
男は短くそう返すと、再びモニターに視線を戻す。
一見すると緊迫した様子の室内であるが、何故か男の口元は、若干の笑みを含んでいた。