03話:これが噂のご都合主義か
文字数 3,960文字
「一緒の部屋になりますが、大丈夫ですか?」
ホテルのフロントで飛び出たステラの言葉に、アスターは思わず仰け反った。
あれから森近くの街までやってきた二人だったが、時間的な理由と、アスターの体力的な理由からステラの家に帰る事が出来ず、今晩はこの街で宿を取る事になった。しかしアスターの服一式を揃えた事により、二部屋取るにはステラの手持ちが足りない事が先ほど判明した次第である。
「ほんとごめん。結構な額使わせちまって」
「どうせ必要な物ですし、気にしないでください」
そう言われてしまうと、もう何とも言え無いアスターだった。
「で、でもアレだな。この世界はかなり文明が発達してるんだな」
街では普通に車が走り、道行く人間は当たり前のように携帯機器を操作している。そしてフロントマンの手元にはパソコンが二台。全くと言っていいほど現代的で、異世界にいるという気がしないと彼は思っていた。
「異世界って、かなり遅れた文化ってイメージだったよ」
「ふふふ。世の中は日々進化するものですよ~」
「まあ、そうなんだけどもさ。……なんか、ファンタジーってのは、案外ファンタジーしてないんだなーってビックリしたわ」
「?」
「あ、こっちの話ね」
その後、チェックインと食事を済ませた二人が部屋に戻った頃、時計の針は午後十時を回っていた。それから先にアスター、後にステラの順番で風呂に入る。そして今は、ステラの番だ。
「……」
アスターは部屋に戻ってきた時からずっと落ち着かずにいた。それは何故かと言うと、彼も健全な男だからだ。
「なんでよりによってベッドが一つなんだ……」
二つあると思っていたベッドが、一つしかなかった。おいしい展開と言えばおいしいのかもしれない、しかしこういった経験の浅い彼にとって、これは非常事態なのである。
「お待たせしました~」
「いっ!」
そうこうしている内にステラが戻る。
さっきまで子供だ、子供だと思っていたが、風呂上りのガウン姿を見て、彼は彼女が完全に女であると意識してしまった。このままではマズイ。自分は床で寝るとアスターは主張するが、ステラは気にしない笑う。
「俺が気にするの! 大体っ、嫁入り前の娘が会って間もない、それもよく分からない男をそうホイホイ信用するもんじゃない!」
そう切に言い聞かせる彼に、彼女は「誠実な方なんですね」と微笑んだ。
結局アスターは、毛布を敷いて床で寝る事にした。
上は一枚しかない掛け布団を半分床に落とす事で無理やり解決した形だ。
「明かり消しますね」
「ん」
照明が消されるも、月明かりで淡く照らされる室内。
シーツが擦れる音と、時折引っ張られる布団が、彼の何かを掻き立てる。
「……あの」
暗がりの中、ステラがアスターに声を掛けた。
「ずっと考えていたのですが、アスターさん、行くとこ無いんですよね。それでその、良ければなんですけど……生活が安定するまでの間、家に来ませんか?」
「えっ!?」
「部屋は余っていますし、不便は無いと思うんです。それに、困った時はお互い様といいますし……」
(この子はアレかな、天使かな?)
ありがちなドッキリハプニングが頭に過ぎり、彼はテンションが上がった。しかし同時に得体の知れない男を、こうも簡単に家に招くとは大丈夫だろうか? と彼女の貞操観念について不安になった。
「家族も反対しないと思います」
「あ、ご家族とお住まいで」
少し残念に思いつつも、彼は心から安堵した。
「あのさ、俺も……寝る前に一つ、訊いてもいいか?」
「私で答えられる範囲でしたら」
「ラ、ライ……なんだっけ、あの黒いトゲトゲ、結局あれって何なんだ?」
「ライネックですね。ライネックは――」
実の所、彼女も詳しく分かっていないと言う。
彼女が分かっている事といえば、その存在が確認されたのはここ数年であるという事と、朝から昼過ぎの、日が高い時間帯しか活動しないという謎の活動サイクル。それと魔物や異種族と呼ばれる、人ならざる者に寄生し、魔力や生命力を奪い、寄生された宿主は理性を失い凶暴化するという事のみだと言う。
「そんなものが俺に……」
正直それを聞いた彼はゾッとした。
「“人”に寄生したという事例は、まだ聞いたことが無いのですが……でも、あんなに大きなライネックは見た事がありませんし、もしかしたらライネックも進化しているのかもしれませんね……」
「え……お、俺大丈夫なの?」
「一応全部剥がしたので、多分大丈夫だと思うんですが、貴方が身に着けていた物も置いてきましたし」
一応、多分、思う。
なんと不安になる言葉のチョイスだろうと彼は思った。
しかし今は何ともないのだ、きっと大丈夫だと自分に言い聞かせる。
「あ、そうだ。それとは別に――」
「?」
ライネックの事以外にも、寝る前に彼が是非とも聞いておかなければならない事が一つあった。この状況が万が一、億が一でも、彼がこの世界に飛ばされた事に“何か”別の意思が働いている場合の事。つまり、彼が勇者である可能性だ。
「この世界にはその、ま……魔王とかいる?」
「いますねぇ」
「やっぱり!?」
(となると、やはりあれか? 俺は今から仲間を集めて冒険するわけか?)
なんて下らない妄想に彼が胸躍らせている横で、彼女は淡々と言葉を続ける。
「そうですねぇ……五〇〇とか、それ以上は居ると思います」
「――多くない?」
意識を持っていかれる程の数字に、彼は間抜けな声を出す。
しかし彼女に聞く限り、別に魔王と人が争っているというような事もなく、世界は平和そのもので勇者も居ないらしい。
「勇者なんて、絵本や物語の中だけですよ」
(えぇ……)
この言葉が、彼の中で、この日一番腑に落ちなかったのは言うまでもない。
「はぁ……」
すっかり意気消沈していまい、アスターは天井を見つめていた。
すると隣から可愛らしい寝息が聞こえる事に気が付いた。
(寝たのか?)
やましい気持ちでは無く、確認の意味で彼女の顔をチラリと覗く。しかし彼はその寝顔を見たことをすぐに後悔してしまう。何故かというと、彼女の目元から一筋の涙が流れていたからだ。
アスターは急いで顔を伏せた。
(よくよく考えれば、俺は森の中をほぼ全裸で彷徨っていたド変態だし。実は泣くほど嫌だったんじゃ――?)
などと思い始める。
その後、興奮は罪悪感に変わり、鬱々した気持ちのまま朝を迎える事になった。
「おはようございます」
「お、おはよう……」
その日の晩、アスターはまったく寝付けなかった。そのせいで顔色が優れず、随分心配されたのは言うまでもなく、自分は本当に世話になってもいいのか、嫌なら断ってくれていいとステラに確認を取った。
「何だってまた急に」
「だって夜中、その、泣いてたし……」
「ああ、なるほど」
ステラはポンと手を叩いた。
そして笑いながら言い放つ。
「私、そういう体質なんです」
「体質ぅ!?」
よもやそんな体質があるとは、過去の自分に教えてやりたいとアスターは思った。
「俺の純情を返せ……」
「え?」
「もういい……」
その後、二人はバスに乗り、彼女が暮らす街“セントラル”へ向かった。
移動時間は約三十分。着くまでの間、アスターは昨日の分を取り戻してやろうと、これでもかという程、惰眠を貪っていた。
「――ターさん、アスターさん」
「んあ?」
心地よい眠りの中、アスターは彼女に揺り起こされた。
「そろそろ着きますよ」
「おー、おおー?」
眠気眼のまま窓の外を眺めるアスター。
その目に西洋式の街灯や、大小の船が航行する大きな運河がキラキラ映る。
「おー!」
渡航経験が全く無いアスターにとって、異国の景色は新鮮で、とても素晴らしく思えた。
「あれ?」
そんな中、彼は視界の端でソレを捉える。
「んんん!?」
見間違いか、それとも幻覚かとアスターは驚き、何度も目を擦る。しかし、目が痛くなるばかりで、それはちっとも擦れることなく、堂々とそびえ立っていた。彼が驚いた物、それは記憶の奥底に、根深く刻まれた馴染みのシンボル。
「ビッグ・ベン!?」
イギリスの首都、ロンドンでお馴染みの時計塔、ビッグ・ベンが建っていたのだ。
街で見かける看板が英語表記な事もあり、ここが英語圏だという事はどことなく感じていた彼だったが、ビッグ・ベンまであると流石に動揺は隠せない。
「ここイギリスか!? ロンドンなのか!?」
「ロン……? セントラルですけど」
「そうなんだけど、そうじゃなくてっ」
なんて言えばいいのか分からず、アスターはジタバタと小さく地団駄を踏む。そんな彼にお構いなしに、ステラはそれを指差し、今からそこに行くのだと説明した。
そこへバスのアナウンスが流れる。魔道士協会前とハッキリ発音するそれを聞いて、そこで初めて彼の中で疑問が浮かぶ。
ここに来た時からずっと、彼女をはじめ、周りの人間が喋っている言葉を普通に聞き取り、アスターもまた普通に会話しているという事だ。
さらに言うと、街のあちこちに掲げられた英語表記の看板も、習った事の無い単語もあるはずなのに普通に読めてしまう状態だった。そこでアスターは、一つの結論を導き出した。
「これが……ご都合主義って奴なのか……?」
(噂には聞いていたが、実際に体験するとは……)
まったく酷い世の中だと、彼は頭を抱えた。
ホテルのフロントで飛び出たステラの言葉に、アスターは思わず仰け反った。
あれから森近くの街までやってきた二人だったが、時間的な理由と、アスターの体力的な理由からステラの家に帰る事が出来ず、今晩はこの街で宿を取る事になった。しかしアスターの服一式を揃えた事により、二部屋取るにはステラの手持ちが足りない事が先ほど判明した次第である。
「ほんとごめん。結構な額使わせちまって」
「どうせ必要な物ですし、気にしないでください」
そう言われてしまうと、もう何とも言え無いアスターだった。
「で、でもアレだな。この世界はかなり文明が発達してるんだな」
街では普通に車が走り、道行く人間は当たり前のように携帯機器を操作している。そしてフロントマンの手元にはパソコンが二台。全くと言っていいほど現代的で、異世界にいるという気がしないと彼は思っていた。
「異世界って、かなり遅れた文化ってイメージだったよ」
「ふふふ。世の中は日々進化するものですよ~」
「まあ、そうなんだけどもさ。……なんか、ファンタジーってのは、案外ファンタジーしてないんだなーってビックリしたわ」
「?」
「あ、こっちの話ね」
その後、チェックインと食事を済ませた二人が部屋に戻った頃、時計の針は午後十時を回っていた。それから先にアスター、後にステラの順番で風呂に入る。そして今は、ステラの番だ。
「……」
アスターは部屋に戻ってきた時からずっと落ち着かずにいた。それは何故かと言うと、彼も健全な男だからだ。
「なんでよりによってベッドが一つなんだ……」
二つあると思っていたベッドが、一つしかなかった。おいしい展開と言えばおいしいのかもしれない、しかしこういった経験の浅い彼にとって、これは非常事態なのである。
「お待たせしました~」
「いっ!」
そうこうしている内にステラが戻る。
さっきまで子供だ、子供だと思っていたが、風呂上りのガウン姿を見て、彼は彼女が完全に女であると意識してしまった。このままではマズイ。自分は床で寝るとアスターは主張するが、ステラは気にしない笑う。
「俺が気にするの! 大体っ、嫁入り前の娘が会って間もない、それもよく分からない男をそうホイホイ信用するもんじゃない!」
そう切に言い聞かせる彼に、彼女は「誠実な方なんですね」と微笑んだ。
結局アスターは、毛布を敷いて床で寝る事にした。
上は一枚しかない掛け布団を半分床に落とす事で無理やり解決した形だ。
「明かり消しますね」
「ん」
照明が消されるも、月明かりで淡く照らされる室内。
シーツが擦れる音と、時折引っ張られる布団が、彼の何かを掻き立てる。
「……あの」
暗がりの中、ステラがアスターに声を掛けた。
「ずっと考えていたのですが、アスターさん、行くとこ無いんですよね。それでその、良ければなんですけど……生活が安定するまでの間、家に来ませんか?」
「えっ!?」
「部屋は余っていますし、不便は無いと思うんです。それに、困った時はお互い様といいますし……」
(この子はアレかな、天使かな?)
ありがちなドッキリハプニングが頭に過ぎり、彼はテンションが上がった。しかし同時に得体の知れない男を、こうも簡単に家に招くとは大丈夫だろうか? と彼女の貞操観念について不安になった。
「家族も反対しないと思います」
「あ、ご家族とお住まいで」
少し残念に思いつつも、彼は心から安堵した。
「あのさ、俺も……寝る前に一つ、訊いてもいいか?」
「私で答えられる範囲でしたら」
「ラ、ライ……なんだっけ、あの黒いトゲトゲ、結局あれって何なんだ?」
「ライネックですね。ライネックは――」
実の所、彼女も詳しく分かっていないと言う。
彼女が分かっている事といえば、その存在が確認されたのはここ数年であるという事と、朝から昼過ぎの、日が高い時間帯しか活動しないという謎の活動サイクル。それと魔物や異種族と呼ばれる、人ならざる者に寄生し、魔力や生命力を奪い、寄生された宿主は理性を失い凶暴化するという事のみだと言う。
「そんなものが俺に……」
正直それを聞いた彼はゾッとした。
「“人”に寄生したという事例は、まだ聞いたことが無いのですが……でも、あんなに大きなライネックは見た事がありませんし、もしかしたらライネックも進化しているのかもしれませんね……」
「え……お、俺大丈夫なの?」
「一応全部剥がしたので、多分大丈夫だと思うんですが、貴方が身に着けていた物も置いてきましたし」
一応、多分、思う。
なんと不安になる言葉のチョイスだろうと彼は思った。
しかし今は何ともないのだ、きっと大丈夫だと自分に言い聞かせる。
「あ、そうだ。それとは別に――」
「?」
ライネックの事以外にも、寝る前に彼が是非とも聞いておかなければならない事が一つあった。この状況が万が一、億が一でも、彼がこの世界に飛ばされた事に“何か”別の意思が働いている場合の事。つまり、彼が勇者である可能性だ。
「この世界にはその、ま……魔王とかいる?」
「いますねぇ」
「やっぱり!?」
(となると、やはりあれか? 俺は今から仲間を集めて冒険するわけか?)
なんて下らない妄想に彼が胸躍らせている横で、彼女は淡々と言葉を続ける。
「そうですねぇ……五〇〇とか、それ以上は居ると思います」
「――多くない?」
意識を持っていかれる程の数字に、彼は間抜けな声を出す。
しかし彼女に聞く限り、別に魔王と人が争っているというような事もなく、世界は平和そのもので勇者も居ないらしい。
「勇者なんて、絵本や物語の中だけですよ」
(えぇ……)
この言葉が、彼の中で、この日一番腑に落ちなかったのは言うまでもない。
「はぁ……」
すっかり意気消沈していまい、アスターは天井を見つめていた。
すると隣から可愛らしい寝息が聞こえる事に気が付いた。
(寝たのか?)
やましい気持ちでは無く、確認の意味で彼女の顔をチラリと覗く。しかし彼はその寝顔を見たことをすぐに後悔してしまう。何故かというと、彼女の目元から一筋の涙が流れていたからだ。
アスターは急いで顔を伏せた。
(よくよく考えれば、俺は森の中をほぼ全裸で彷徨っていたド変態だし。実は泣くほど嫌だったんじゃ――?)
などと思い始める。
その後、興奮は罪悪感に変わり、鬱々した気持ちのまま朝を迎える事になった。
「おはようございます」
「お、おはよう……」
その日の晩、アスターはまったく寝付けなかった。そのせいで顔色が優れず、随分心配されたのは言うまでもなく、自分は本当に世話になってもいいのか、嫌なら断ってくれていいとステラに確認を取った。
「何だってまた急に」
「だって夜中、その、泣いてたし……」
「ああ、なるほど」
ステラはポンと手を叩いた。
そして笑いながら言い放つ。
「私、そういう体質なんです」
「体質ぅ!?」
よもやそんな体質があるとは、過去の自分に教えてやりたいとアスターは思った。
「俺の純情を返せ……」
「え?」
「もういい……」
その後、二人はバスに乗り、彼女が暮らす街“セントラル”へ向かった。
移動時間は約三十分。着くまでの間、アスターは昨日の分を取り戻してやろうと、これでもかという程、惰眠を貪っていた。
「――ターさん、アスターさん」
「んあ?」
心地よい眠りの中、アスターは彼女に揺り起こされた。
「そろそろ着きますよ」
「おー、おおー?」
眠気眼のまま窓の外を眺めるアスター。
その目に西洋式の街灯や、大小の船が航行する大きな運河がキラキラ映る。
「おー!」
渡航経験が全く無いアスターにとって、異国の景色は新鮮で、とても素晴らしく思えた。
「あれ?」
そんな中、彼は視界の端でソレを捉える。
「んんん!?」
見間違いか、それとも幻覚かとアスターは驚き、何度も目を擦る。しかし、目が痛くなるばかりで、それはちっとも擦れることなく、堂々とそびえ立っていた。彼が驚いた物、それは記憶の奥底に、根深く刻まれた馴染みのシンボル。
「ビッグ・ベン!?」
イギリスの首都、ロンドンでお馴染みの時計塔、ビッグ・ベンが建っていたのだ。
街で見かける看板が英語表記な事もあり、ここが英語圏だという事はどことなく感じていた彼だったが、ビッグ・ベンまであると流石に動揺は隠せない。
「ここイギリスか!? ロンドンなのか!?」
「ロン……? セントラルですけど」
「そうなんだけど、そうじゃなくてっ」
なんて言えばいいのか分からず、アスターはジタバタと小さく地団駄を踏む。そんな彼にお構いなしに、ステラはそれを指差し、今からそこに行くのだと説明した。
そこへバスのアナウンスが流れる。魔道士協会前とハッキリ発音するそれを聞いて、そこで初めて彼の中で疑問が浮かぶ。
ここに来た時からずっと、彼女をはじめ、周りの人間が喋っている言葉を普通に聞き取り、アスターもまた普通に会話しているという事だ。
さらに言うと、街のあちこちに掲げられた英語表記の看板も、習った事の無い単語もあるはずなのに普通に読めてしまう状態だった。そこでアスターは、一つの結論を導き出した。
「これが……ご都合主義って奴なのか……?」
(噂には聞いていたが、実際に体験するとは……)
まったく酷い世の中だと、彼は頭を抱えた。