19話:ミルクの味は、鉄の味

文字数 4,499文字

「あの子を室長が連れ出してくれて良かったわ」
「はい……」
「この先は、あまり聞かせたくないものね」

 あれから、パステルブルーのベビー服一式に包まれたアスターは、まるで初孫を迎えた爺のようにウキウキなスターチスによって、散歩に連れ出されてしまった。一方、医務室に残った二人はというと、術式検査を終えてからというもの、表情を曇らせたままだった。

「あの(おびただ)しい程の術式……、一体何なのかしら」
「……」

 アスターの体には、通常では考えられない量の術式が施されていた。

「ステラちゃんの専門……古代語よね?」
「はい」
「じゃあ、あの術式がどういう(たぐい)のものか、分かるわね?」

 ステラは短く返事をして、唇を噛む。彼に施されていた術式は、不完全な物から高位の物まで様々だった。それも、どれも人に施すには悪質な物ばかりが目立っていた。

「まるで、試すだけ試したって感じ……」
「はい……」

 人権なんて微塵も感じられない、非人道的な術式の痕。そもそも、術式を施すという事は、肉を焼き、鋭利なナイフで皮膚をえぐるのと同等の苦痛を伴う。いっそ死んでしまいたいと思うような、耐え難い痛みである事を彼女は知っている。

「……っ」

 思い出すだけで胃液がこみ上げ、嗚咽し、身震いさえしてしまう。忘れたくても忘れられない彼女の記憶。

「大丈夫?」
「……はい」

 心配するルドラの声に、ステラは肩をビクつかせ、深く息を吸う。

「でも、これでハッキリしました。やっぱり記憶、弄られたんですね」
「そうね、でも何か変じゃない? 何で“自分の名前”まで忘れているのかしら?」
「確かに……記憶の消去、改ざんをするにあたって。不都合な事を知られてしまった。だからその部分を消したという事であれば説明は付きます。ですがアスターさんの場合は、誰かに名前を呼ばれた記憶や、何かに書き記した記憶までも綺麗さっぱり抜かれている。これって凄く不自然ですよね」

 そもそも、そこまで部分的に弄る事が可能なのか。二人は口を揃えて頭を捻る。
 記憶に関する術というのは実に曖昧で、範囲を指定する事は難しいと言われている。少しだけと思っても、五年、十年という膨大な量になってしまったり。逆に一分程度であったり、振り幅が広いのが難点なのだ。

「まったく。どこの魔道士だか魔術師か知らないけどあんな……ステラちゃんごめんなさい。ここまで術式を重ねられると、解析にも時間が掛かるし、解術となると、私でもちょっと難しいかも」
「そう、ですか……」
「記憶に関しても、今はそっとしてあげるのが一番かもしれないわね。多分、一生思い出したくないような……辛い記憶でしょうから」
「ええ……そうですね……」

 気落ちするステラに、ルドラは何か分かればすぐに連絡すると伝え、今は彼の体が幼児化していく問題をどうにかする方が先決だと言葉を続けた。

 ルドラは暫くカルテを眺め、思考する。
 アスターの体に施された膨大な術式。その中に、体を幼児化させるような類の術は見受けられなかった。次にライネックが人に寄生したという、にわかに信じがたい事実。そしてその際、ステラが彼に“魔力供給している”という事を、様々な検査結果を踏まえ、線で結んでいく。

魔力(マナ)欠乏症?」

 異種族や魔道士の中には、稀に魔力不足で容姿に変化が起こる体質の者がいる。その主たる要因としては、足りなくなった魔力を補おうと体が判断し、生命力(オド)を魔力に変換してしまうことから起こるものである。

「私も……あの人の魔力が、日に日に弱まっていくのが気になって……」
「貴女、そういうの“分かる子”だものね」
「はい、だからお守りを通して、定期的に魔力供給が出来るようにしていたのですが……私、余計な事をしてしまいました」

 彼女は唇を噛み、涙ぐむ。
 そんなステラに、ルドラはカルテを見せた。

「魔力を与えた事で、術のどれかを発動させたかもって思ってるのね?」
「はい……」
「見た所、それは無いと思う。断言するわ。だから安心して、貴女がやっていた事は決して余計な事じゃない、むしろあの子の為になる事よ」

 そう言って、彼女の零れかけた涙を指で拭う。 

「でも……」

 それでは何故、アスターに与えた魔力がこうも早く減っているのか、ステラは尋ねた。

「もっと詳しく検査してみない事には、正確な答えは出せないと思うけど。私の見解としてはね。単純に彼、自分の力を制御できてないだけじゃないかしら」
「え?」
「よくいるじゃない? そういう不器用な子。ま、暫くは様子見ね」

 その言葉を聞き、明らかにホッとした彼女の額を、ルドラは軽く指でつく。

「――そ・れ・よ・り♪」
「ふぇ??

 不敵な笑みを浮かべ、自分の肩を抱くルドラにステラは戸惑った。

「貴女があの子にどうやって魔力供給したのか。お兄さん、今はそっちの方が気になるわぁ~♪」

 ステラの顔が一気に赤く染まる。

「ななな、なっ!」
「やっぱり口からなのかしら~?」
「だっ、だだだだって、あの時は時間が無かったから!」
「あら、やっぱり口からなのね。で、どうだった? 優しくしてくれた?」
「もっ、もう! からかわないでください!」

 口を尖らせ、プイとそっぽを向くステラに、ルドラは一層肩を揺らしケタケタ笑う。

「いいじゃないもう。そういう事なら、この際またやっちゃえば? 相手が貴女なら、あの子も嫌がらないでしょうに」
「~~~~っ!」
「なんてね、冗談よ」
(あぁ、もう本当、可愛いわぁ~)

 未だ顔を真っ赤に、あたふた慌てるステラに、ルドラはおもむろにデスクの引き出しを開け、フリーザーバッグを手渡した。

「えと、これは……?」
「んふふ~、新作♪」

 フリーザーバッグには、個別包装された飴が入っていた。
 外装にはマーカーで『忙しい貴方に即チャージ! ~生命力補強ドロップ~』と記されている。

 実はこの男、ルドラ・ヴィンヤードは、呪術医であると同時にセントラルでも一、二を争う大手製薬会社ヴィンヤード社の社長令息でもある。諸事情により現在は家を出た身ではあるが、この第二医務室に勤務する傍ら、怪しげな薬を作っては人で試そうとする、はた迷惑な趣味を持っていた。しかし、この趣味により、協会職員は怪我をしても、この第二医務室に近付こうとしないのが難点だ。
 
「自分でも試してみたけど……質だけは保証するわ。うん、質だけはね」
(味は……美味しくなかったんですね……)

 その言動から察したステラは、苦笑しながら礼を言う。

「これで戻るようなら、魔力欠乏症でほぼ決まりね」
「ですね」
「まぁ根本的な解決になってないけど」

 これを与えても、本人がどうにかできなければ同じことだ。だが本当にそれだけなのか。前例が無い分、事は慎重に動かなければならないのではないか。二人の表情は浮かないままである。

「とりあえず、術式についての解析作業はこっちで進めておくから、この件は暫く様子を見ましょうか。あ、この事、室長に報告するわよね? もし貴女が言いにくいなら、後でこっちに来てくれれば、一緒に話してあげるけど」
「ありがとうございます。では後ほど……すみません、よろしくお願いします」
「はいはーい。――あ、でも、本人への報告はお任せするわね」
「はい……」

 けれど、彼女が彼にそれを言えるわけがなかった。
 誰よりも、その痛みが分かる彼女だから……。

 


***

 散歩が終わり、医務室ではなく、談話室の方へ連れ戻されていたアスターは、黒服の少女達に囲まれていた。

「ぶえぇ……」
 訳:まずい……。

 屈辱ながらも哺乳瓶からミルクを貰い、彼はその鉄臭さに嗚咽混じりに涙する。

「ちょっ! 吐いてる! 吐いてる!」
「うーん。お気に召さなかったかぁ」
「リ、リサ。それ早く拭かないとシミになっちゃうかも……」

 嫌がるアスターに、先ほどから無理やり哺乳瓶を突っ込んでいる、このはちみつ色のツインテールに、パッチリ開いた柿色のツリ目が特徴的なパーカー娘は、リサこと、メリッサ・ガルディだ。

「えっ!? ちょっ、クロエっパスパス!」
「ぶえぇ……」
「こらこら、人を物みたいに扱わない!」

 スターチスに軽く怒られながら、次に彼を受け取ったのは、クロエ・ミラビリス。肩まである深い緑色の髪に、赤いラインの入った黄色いリボンを後ろに付け、細いフレームの丸眼鏡を掛けた、胸の大きな女子職員だ。

「ど、どうやって……抱っこしたらいいの……?」
(あ、圧が凄いっ!)

 クロエの胸はバインバインだった。

「こ、こうかな?」
「!」
「わわっ!」
「危なっ!」

 ばいーんと思いっきり胸に弾かれたアスター。クロエは反動でバランスを崩し、驚いたメリッサが叫んだ。しかしその危機に素早く動いたのは、意外なことにリドだった。頭から落ちそうになった彼を寸でで受け止め、リドはくるりと抱き直す。その仕草は手馴れていて、スターチスの次に安心出来ると色んな意味で彼は思った。

「ご、ごめんね。リド君」
「いや、いい。それより、いくら姿が赤ん坊とは言え、流石にこれは嫌なんじゃないか……?」

 リドは卓上の哺乳瓶を指さした。
 それにアスターも全力で肯定し、嫌だ嫌だと主張する。

(大体、プライド以前の問題で、滅茶苦茶鉄の味がするし、粉っぽくて飲めたもんじゃないんだよ!)

「当たりみたいね」
「そ、そうね。なんだか凄く必死……」

 彼の主張がやっと通じた瞬間である。
 
「流動食ならいけるんじゃないか……?」

 リドは彼を抱えたまま、ソファに立てかけていた自分の鞄から何かを取り出した。手にしたものは、リンゴ味のゼリー飲料である。

「あうあ! あうあうう!」
 訳:それだ! それがいい!

「凄い喜びっぷりだわ」
「ほ、本当……目の輝き方が違うね」

 渡されたゼリー飲料は常温だったが、中身は十分砕かれており乳幼児の彼でも飲みやすく、最高だった。そんな彼を見ながら、メリッサはぼそりと呟く。
 
「でもさ、それだと栄養足りなくない?」
「まぁ補助食品だから、主食にはならないだろうねぇ」
「やっぱり、こっちをあげた方がいいんじゃない?」

 メリッサは哺乳瓶を手に、ぐいっとリドに突き出した。 

「ぶぶぶ、ぶぶぶぶ!」
「あ、嫌がってる」

 これを取り上げないでくれと、彼はゼリー片手に精いっぱい拒否したが、それを聞いたリドは少し考え、答えを出した。

「じゃぁ……混合で」
!?

 まだ数口分しか飲んでいないゼリー飲料を、リドはスっと取り上げテーブルに置くと、問答無用で哺乳瓶を口の中へねじ込んだ。

「お、おぎゃああああああああああ!!

 彼は、天国から地獄へ落とされた気分だった。
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登場人物紹介

【アスター】

人生ハードモードを地で行く、本作の主人公。

色々あって魔力が切れると幼児化してしまう謎体質に悩まされている。

しかしてその正体は……。

【ステラ・メイセン】

森の中、全裸姿の主人公に出会っても臆することなく、冷静に状況を判断し、救いの手を差し伸べてくれた悟り系ヒロイン。 家事全般が得意で精霊魔法の使い手であるが、わけあってその身に“古の魔女”を宿している。

【リド・ハーツイーズ】

協会所属の民間警察官であり国家魔道士。普段は冷静沈着でいたって真面目な性格をしているのだが、惚れた相手が絡むと途端にポンコツ化したりチョロすぎる一面を見せたり超不器用。剣術と氷結魔法が得意。

スターチス・カーター】

協会所属の民間警察官室長であり国家魔道士。ステラにとっては後見人のような立場であり、娘のように大事にしている。とある事情により吸血鬼になってしまったがもともとは人間。影の魔法を得意とする。

【メリッサ・ガルディ】

協会所属の民間警察官だが、スターチス達とは違い、国家魔道士免許は持っていない。キツイ性格で口より先に手が出るタイプだけど、たまにデレが……出るときもある(頻度少な目)錬金術と接近戦闘術が得意。

【クロエ・ミラビリス】

協会所属の民間警察官であり国家魔道士。植物と対話が出来、情報収集に長けているので、主に街の見回りを担当している。いつもおどおど引っ込み思案な性格で赤面症。胸が大きいのがコンプレックス。

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