22話:犯人はゴリ
文字数 3,218文字
飯を食べ終えたところで、アスターは再度ルドラの診察を受けることになった。検査項目は先ほどより若干増えたものの順調に進み、今は年齢から血液型、出身地等、色々質問されていた。
(名前以外はスラスラ出てくるのよねぇ……)
家族構成や、子供の頃の思い出等、ルドラが思いつく限りの、かなり突っ込んだ質問にも、言い淀む事なく全て返されている。本当に、自身の名前に関する記憶だけが無い状態であった。
「こちらに来た時の状況はさっき聞いたけど。その前に何かこう、辛い事とか悲しい出来事は無かったかしら? 例えば、大切な人を亡くしてしまったとか、仕事で行き詰ったとか……。何でこんなことを聞くかというとね。これはまあ統計の話しなんだけど。こっちに来る人って、元居た世界で大きなストレスを抱えてたって人が多いのよね」
「ストレス……」
思い当たる節はあった。
彼は家族の反対を押し切り、高校卒業と共に漫画家を目指し上京した。しかしだからと言って漫画家になれるわけでもなく、仕送りも無い分、働きながら我武者羅に漫画を描くという生活を送っていた。
けれど描いて描いて、描き続けた結果、腱鞘炎 になってしまい、ペンも握れなくなってしまった。それも聞き手をやられたとなれば、バイトや日常生活にも支障をきたし、食事も満足に出来ない。
「あらま、大変だったのねぇ」
「自業自得なんですけどね。ただ……」
実はこの話には続きがあった。
彼がバイトを休んでいる間の事だ。彼が初めて付き合った年下の彼女が、同じバイト先の同期男性と浮気し、一方的に振られてしまったのだ。
『――先輩は良い人だけど、それだけだからつまんない』
それが、彼女が彼に寄越した最後のメールだった。
「あれだけ向こうから、好きだ好きだと言っといて浮気って。なんかもう、意味がわかりませんでした」
こう思い返すと、色々な事が重なって、大きなストレスになっていたのかもしれない。もしかしてそれが原因なのだろうかとアスターはこぼす。
「可能性は大ね。にしても酷い女も居たものねぇ」
「笑顔は凄く可愛い子だったんですけどね」
「あら、なぁに? 顔で選んだの~?」
「そういうわけじゃ――」
ない。と言ったところで、医務室のドアがノックされた。
「お、お待たせしましたっ!」
「あら、ステラちゃん。早かったわねぇ」
扉を開けたのは、息を切らしたステラだった。
「丁度こっちも終わったとこよ~」
「そ、そう、なんですか?」
「とりあえず落ち着けって、めちゃくちゃ汗かいてるじゃないか」
(どれだけ急いで来たんだ)
ステラは元々、今日仕事が入っていた。しかし一連のごたごたでキャンセルしようとしたのだが、代わりの人間が見つかず、ダッシュで依頼をこなし、帰ってきたのだ。
「そんなに急がなくても良かったのに」
いざとなれば一人でも帰れたのにと、協会を出てすぐ、彼女にそう言うと、ステラは何の気なしに返事する。
「依頼は簡単な内容でしたし、それに……今日は一緒にいたい気分でしたので」
「……お前、あんまそういう事ポンポン言うなよな……」
「そういう事?」
キョトンとした顔のステラは、何も分かっていない様子で首を傾げた。
「……こりゃ、リドも大変だな」
アスターの聞こえるか聞こえないかの絶妙な声は、道行く車がかき消した。それから道路を渡り、丁度やってきたバスに乗り込む二人。
流石の魔道士協会前。乗客は一気に降車し、車内は混雑する事無く、席はまばらに空いていた。優しそうな老婆や、子連れの親子を横目に、二人は後ろから二番目の席目掛け、車内を進んでいく。
(ゴリラとチンパンジーがいる……)
アスターは、一番後ろに座っていた獣人の乗客、サブとゴルボに目が行った。
「……」
「どうかしましたか?」
「いや」
今まで人外の者を見ると、極端にテンションが上がっていたアスターだったが、人間、こういう事はすぐ慣れるもので、そこまで驚くことは無くなった。
「慣れって凄いよなぁ」
「……え?」
「こっちの話」
「?」
扉が締まり、バスがゆっくり発車する。
バスに乗る時は、大体アスターが窓側で、ステラが通路側に座る事が多い。今日も今日とて、二人でぼんやり外を眺め、暫く身を任す。
「そろそろですね」
「ん」
実は、この路線のバスが大きく揺れるポイントがある。それは協会近くの交差点を少し過ぎた所で、二人はさてそろそろだと、前の座席背面に付けられた取っ手を握り、力を入れた。
「「うぉっ!」」
真後ろから、サブとゴルボの頓狂な声が上がる。
同時に何かが複数、パラパラと音を立てて床に転がった。
「落としま――」
足元まで転がったそれを拾おうと、ステラは身を乗り出し、手を伸ばしたが……その言葉は途中で止まってしまった。不審に思ったアスターが、どうかしたのかと声を掛ける。
「い、いえ」
しかし、返って来たのは「何でもない」という返答だった。
「何でもないってお前……」
(絶対何かあるって顔だろ)
彼女は、一言二言の短い会話でも、相手の目を見て話す人間だ。しかし、今は彼の目を見ること無く、ただまっすぐ前を向き、顔色も悪い。車酔いでは無い、明らかに彼女が動揺していると彼が思った、その時だ。
「ぐっ、ぐうぅぅ!」
ゴルボが突如唸り声を上げた。その様子は時折嗚咽を漏らし、とても苦しそうだ。あまりに突然の事で、ステラとアスターは驚き、席を立つ。
「ガァアアアア!!」
ゴルボが咆哮を上げ、もがき苦しむように服を破く。そして獣本来の姿を丸出しに、分厚い胸板を叩きだした。
アスターは驚愕した。
「おい! あれっ!」
「!!」
二人の視線のその先に、確かに見える黒いソレ。
(ライネック!)
ゴルボの胸間に、ライネックが自らの存在を主張するかのように、大輪の花を咲かせていた――。
***
【魔道士協会:従業員食堂】
昼時になり、ほとんどの席が埋まっている中。スターチスの横にクロエ、リドの隣にメリッサと、向かい合わせに座った四人。
腰を落ち着け、皆 がさあ一口食べようかとしていたその時だ。リドの丁度真後ろのテレビで、路上でマイクを持つ女性リポーターが慌ただしく、緊迫した現場の状況を報じた。
《バスは依然、セントラル市内を北上中です。先ほど入った情報によりますと、逃げ遅れた乗客の中に、重傷を負っている方が数名いるようです。犯人は獣人型の異種族であると見られ――》
「け、結構近い……よね?」
「やーね。バスジャック~?」
食事に集中したいタイプのリド以外の三人は、テレビに釘付けだった。
ここで画面は、車内で暴れまわる大柄の男に切り替わった。
「ゴリラだわ」
「ゴリラだねぇ」
「ゴ、ゴリラ……ですね」
(犯人はゴリラか)
ゴリラゴリラとざわつく食堂内。
しかし、その空気は一瞬でかき消されることになる。
報道カメラが、頭から血を流し倒れている、一人の少年に視点を変えたからだ。
「!?」
「ちょっ! アイツ何やってんの!?」
慌てて立ち上がったスターチスとメリッサに、リドは何事かと、そこで初めて画面を見た。大画面に映し出された血まみれのアスターと、後部座席でぐったりした様子のステラを見て、事の重大さにやっと気が付いたのだ。
《♪~》
四人の懐から、同じ着信音が鳴り響く。四人はほぼ同時に懐から端末を取り出し、それを見た。
「――諸君、出動だ」
普段のおどけた様子からは、想像出来ない程のスターチスの深い声。それにリド、メリッサ、クロエの三人は短く返事をし、四人は食堂を後にした――。
(名前以外はスラスラ出てくるのよねぇ……)
家族構成や、子供の頃の思い出等、ルドラが思いつく限りの、かなり突っ込んだ質問にも、言い淀む事なく全て返されている。本当に、自身の名前に関する記憶だけが無い状態であった。
「こちらに来た時の状況はさっき聞いたけど。その前に何かこう、辛い事とか悲しい出来事は無かったかしら? 例えば、大切な人を亡くしてしまったとか、仕事で行き詰ったとか……。何でこんなことを聞くかというとね。これはまあ統計の話しなんだけど。こっちに来る人って、元居た世界で大きなストレスを抱えてたって人が多いのよね」
「ストレス……」
思い当たる節はあった。
彼は家族の反対を押し切り、高校卒業と共に漫画家を目指し上京した。しかしだからと言って漫画家になれるわけでもなく、仕送りも無い分、働きながら我武者羅に漫画を描くという生活を送っていた。
けれど描いて描いて、描き続けた結果、
「あらま、大変だったのねぇ」
「自業自得なんですけどね。ただ……」
実はこの話には続きがあった。
彼がバイトを休んでいる間の事だ。彼が初めて付き合った年下の彼女が、同じバイト先の同期男性と浮気し、一方的に振られてしまったのだ。
『――先輩は良い人だけど、それだけだからつまんない』
それが、彼女が彼に寄越した最後のメールだった。
「あれだけ向こうから、好きだ好きだと言っといて浮気って。なんかもう、意味がわかりませんでした」
こう思い返すと、色々な事が重なって、大きなストレスになっていたのかもしれない。もしかしてそれが原因なのだろうかとアスターはこぼす。
「可能性は大ね。にしても酷い女も居たものねぇ」
「笑顔は凄く可愛い子だったんですけどね」
「あら、なぁに? 顔で選んだの~?」
「そういうわけじゃ――」
ない。と言ったところで、医務室のドアがノックされた。
「お、お待たせしましたっ!」
「あら、ステラちゃん。早かったわねぇ」
扉を開けたのは、息を切らしたステラだった。
「丁度こっちも終わったとこよ~」
「そ、そう、なんですか?」
「とりあえず落ち着けって、めちゃくちゃ汗かいてるじゃないか」
(どれだけ急いで来たんだ)
ステラは元々、今日仕事が入っていた。しかし一連のごたごたでキャンセルしようとしたのだが、代わりの人間が見つかず、ダッシュで依頼をこなし、帰ってきたのだ。
「そんなに急がなくても良かったのに」
いざとなれば一人でも帰れたのにと、協会を出てすぐ、彼女にそう言うと、ステラは何の気なしに返事する。
「依頼は簡単な内容でしたし、それに……今日は一緒にいたい気分でしたので」
「……お前、あんまそういう事ポンポン言うなよな……」
「そういう事?」
キョトンとした顔のステラは、何も分かっていない様子で首を傾げた。
「……こりゃ、リドも大変だな」
アスターの聞こえるか聞こえないかの絶妙な声は、道行く車がかき消した。それから道路を渡り、丁度やってきたバスに乗り込む二人。
流石の魔道士協会前。乗客は一気に降車し、車内は混雑する事無く、席はまばらに空いていた。優しそうな老婆や、子連れの親子を横目に、二人は後ろから二番目の席目掛け、車内を進んでいく。
(ゴリラとチンパンジーがいる……)
アスターは、一番後ろに座っていた獣人の乗客、サブとゴルボに目が行った。
「……」
「どうかしましたか?」
「いや」
今まで人外の者を見ると、極端にテンションが上がっていたアスターだったが、人間、こういう事はすぐ慣れるもので、そこまで驚くことは無くなった。
「慣れって凄いよなぁ」
「……え?」
「こっちの話」
「?」
扉が締まり、バスがゆっくり発車する。
バスに乗る時は、大体アスターが窓側で、ステラが通路側に座る事が多い。今日も今日とて、二人でぼんやり外を眺め、暫く身を任す。
「そろそろですね」
「ん」
実は、この路線のバスが大きく揺れるポイントがある。それは協会近くの交差点を少し過ぎた所で、二人はさてそろそろだと、前の座席背面に付けられた取っ手を握り、力を入れた。
「「うぉっ!」」
真後ろから、サブとゴルボの頓狂な声が上がる。
同時に何かが複数、パラパラと音を立てて床に転がった。
「落としま――」
足元まで転がったそれを拾おうと、ステラは身を乗り出し、手を伸ばしたが……その言葉は途中で止まってしまった。不審に思ったアスターが、どうかしたのかと声を掛ける。
「い、いえ」
しかし、返って来たのは「何でもない」という返答だった。
「何でもないってお前……」
(絶対何かあるって顔だろ)
彼女は、一言二言の短い会話でも、相手の目を見て話す人間だ。しかし、今は彼の目を見ること無く、ただまっすぐ前を向き、顔色も悪い。車酔いでは無い、明らかに彼女が動揺していると彼が思った、その時だ。
「ぐっ、ぐうぅぅ!」
ゴルボが突如唸り声を上げた。その様子は時折嗚咽を漏らし、とても苦しそうだ。あまりに突然の事で、ステラとアスターは驚き、席を立つ。
「ガァアアアア!!」
ゴルボが咆哮を上げ、もがき苦しむように服を破く。そして獣本来の姿を丸出しに、分厚い胸板を叩きだした。
アスターは驚愕した。
「おい! あれっ!」
「!!」
二人の視線のその先に、確かに見える黒いソレ。
(ライネック!)
ゴルボの胸間に、ライネックが自らの存在を主張するかのように、大輪の花を咲かせていた――。
***
【魔道士協会:従業員食堂】
昼時になり、ほとんどの席が埋まっている中。スターチスの横にクロエ、リドの隣にメリッサと、向かい合わせに座った四人。
腰を落ち着け、
《バスは依然、セントラル市内を北上中です。先ほど入った情報によりますと、逃げ遅れた乗客の中に、重傷を負っている方が数名いるようです。犯人は獣人型の異種族であると見られ――》
「け、結構近い……よね?」
「やーね。バスジャック~?」
食事に集中したいタイプのリド以外の三人は、テレビに釘付けだった。
ここで画面は、車内で暴れまわる大柄の男に切り替わった。
「ゴリラだわ」
「ゴリラだねぇ」
「ゴ、ゴリラ……ですね」
(犯人はゴリラか)
ゴリラゴリラとざわつく食堂内。
しかし、その空気は一瞬でかき消されることになる。
報道カメラが、頭から血を流し倒れている、一人の少年に視点を変えたからだ。
「!?」
「ちょっ! アイツ何やってんの!?」
慌てて立ち上がったスターチスとメリッサに、リドは何事かと、そこで初めて画面を見た。大画面に映し出された血まみれのアスターと、後部座席でぐったりした様子のステラを見て、事の重大さにやっと気が付いたのだ。
《♪~》
四人の懐から、同じ着信音が鳴り響く。四人はほぼ同時に懐から端末を取り出し、それを見た。
「――諸君、出動だ」
普段のおどけた様子からは、想像出来ない程のスターチスの深い声。それにリド、メリッサ、クロエの三人は短く返事をし、四人は食堂を後にした――。