11話:やさしいひと
文字数 3,548文字
慌ただしかった奥の部屋に、静寂が訪れた。
それを不思議に思った藤四郎は件の部屋へ赴くが、そこには例の少女だけが、あの小さな扉の上で蹲 っていただけだった。
「はて……?」
廊下や裏庭を見渡しても、アスター達の姿はない。
藤四郎は首を傾げ、皆は何処へ行ったのかと少女に訊ねるが、当然のように少女は答えず、二人の間に沈黙が流れる。
「うーん」
藤四郎は困り果て、再び窓の外に目をやった。
すると先程まで晴れていた空が、うっすら雲がかっているのに気が付く。
(ひと降りきそうだな……)
藤四郎は裏口から外へ出て、本を数冊手に取った。しかし、戻ろうとドアノブに手を掛けた瞬間、ドアノブは乾いた音を立て、それを拒絶した。
「おやおや?」
きっとあの少女の仕業だろうと藤四郎は直感で理解するが、このままでは本が濡れてしまう。しかし別の場所へ移すにも、時間がかかり過ぎてしまい難しいだろうと判断し、ならばと、ひと呼吸おいて、開け放たれたままの窓に向かって少女に呼びかけた。
しかし何度呼びかけても、少女は顔を出す事さえしなかった。少し壁から離れて窓から覗き込むが、やはり動く気配は無い。
「もしもし、そこの可愛いお嬢さん。もしよければ、この本だけでも入れてくれませんかね?」
一冊の本を掲げ、再び声を掛ける。その声に少女は疎ましそうに藤四郎を見るが、すぐにまた顔を背けてしまった。
藤四郎はめげずに何度も声をかけ続けた。何度も何度も、応える筈のない誰かを呼ぶ声は、弱まる事を知らずに続く。
「……」
流石に鬱陶 しかったのか、はたまた思いが通じたのか。暫くして少女は窓際に近寄り、藤四郎の掲げた本を手に取った。
「ありがとう、ここから渡していってもいいかな?」
別の本を更に掲げ問いかけると、少女はコクりと頷き、それを受け取った。
どうやら思いは通じたようだ。
【魔道士協会:応接室IV】
協会に戻り、ステラの手当をカレンに頼み、数ある応接室の一つを借りて、アスター達は、今日あった事を偶然居合わせたスターチスに相談する事にした。その結果、少女は古い家に憑く妖精、シルキーではないか、という結論に至る。
「あの店は、十数年前までずっと本屋さんだったんだ。でも、店主の方が亡くなってしまって……」
「まさか、あの子に!?」
「いやいや、違うよ。もう随分とお歳を召していたから」
老衰だった。
それを聞いて、アスターは少しホッとする。
「それからは色々あって、人手に渡ったんだけど、入れ替わりが激しくてね。いつの間にか借り手も付かなくなっちゃって、彼が来るまで、結構長い間空き家だったんだよ」
スターチスの話に、シオンも頷く。
「はい、曰 く付きと聞いて、主様が買い上げたのですが……」
「ぜーんぜん、何にも起きなくて、シロ君残念がってたよね~」
「ええ」
当時の落胆ぶりは酷かったと、シオンがこぼす。
「でもなんで封印なんてされていたのでしょうか」
「それはちょっと分からないねぇ」
シルキーとは元来、人間と良好な関係を築く事が多い妖精で、どちらかというと家主を守る性格の者がほとんどだ。ただ一つ注意する事と言えば、シルキーを一度 怒らせてしまうと、いくら家主とはいえ、家を追い出されてしまうという事。しかし、ただ追い出されるだけで、彼女達は人に危害を加えない。心根は優しい、穏やかな妖精なのだ。
「藤四郎さん……大丈夫かな……」
アスターがポツリと呟く。
協会に戻ってすぐ、店に電話を掛けたものの、コール音が鳴るばかりで、藤四郎とは連絡がまだとれていないのだ。もう既に藤四郎も追い出され、店は無人になってしまったのだろうか、そんな不安を漏らすと、カレンは満面の笑みを浮かべ、こう言った。
「シロ君なら、大丈夫よ!」
その言葉に、アスターを除く一同は「そうだなぁ」「そうですね」と口を揃えて頷いた。あのシオンでさえ力強く首を激しく振っている。彼にはその意味が分からず、どういう事なのかステラに訊くと「シロウさんは、良い人なんです」と言って笑った。
【雑貨屋グリシーヌ】
(まさか入れてくれるとは……)
――五分前――。
藤四郎は全ての本を部屋に入れ終え、窓の下で壁にもたれていた。
『腰にくるなぁー』
本を動かすだけとはいえ、こう何度もこなせば重労働だ。
ゆっくり大きく息を吸い、乱れた呼吸を落ち着かせていると――。
『あ』
雨粒がポツリと藤四郎の頬に落ち、別の雨が土に滲んで消えていく。
まさに間一髪。大事な本が濡れなくて良かったと胸を撫で下ろしていると、藤四郎のクセのある黒髪に何かが触れた。ふと上を見上げると、すらりと伸びた手と、絹糸のように細い金の髪が視界に入る。藤四郎に触れたのは、例のあのシルキーの少女だった。
『……』
シルキーは指を動かす事無く、じっとしていた。
『君もありがとう、手伝ってくれて。お陰様で間に合いました』
『……』
藤四郎は笑いかけるが、その言葉を聞いた後、シルキーは部屋へ引っ込んだ。
『やっぱり、そう簡単に心は開いてくれない……か』
気落ちする藤四郎の周りを、土を濡らす雨の匂いがふわりと包む。
小粒の雨が、まるで心を静めろと言わんばかりに、庭の木の葉でパラパラと軽快な音を奏でていた。
『シオンと初めて顔を合わせた日も、確かこんな天気だったな……』
遠い遠い昔の話。心も体も、まだ未熟だった過去を思い出しながら、藤四郎は雨空を見上げた。
そこへ、ギィと軋む音と共に、裏口のドアがゆっくり開く。
『?』
振り向きざまに、ひょっこり顔を出したシルキーと目が合うが、彼女はすぐに顔を引っ込めた。
『これはこれは、素直じゃないといいますか』
まるで入って来いと言わんばかりに、ドアは開け放たれたままだった。
そんな事があり、無事、家に入る事が出来た藤四郎だったのだが……。シルキーは元の部屋に戻ってしまい、また距離を置かれてしまっていた。
藤四郎は考える。彼女は何故、自分や周りと距離を置くのか。封印されていた場所だというのに、何故あの扉に執着するのか。
(もしかして、封印されていたわけではなく。自分から、なのか?)
ともあれ、そこにいる間、彼女はどんな時を過ごしていたのだろう。この家がとても長い間空家になっていた事を、藤四郎は知っている。
(あんな所にずっと一人で、寂しかったろうな……)
そして彼は、一人ぼっちの寂しさも、よく知っている。
(あの子は、物を食べれるだろうか)
今日のおやつとして、昨日の晩に作っておいたプリンが四つ、冷蔵庫に入っていた。そのプリンと小さなスプーンをトレーに乗せ、藤四郎は部屋を出た。
向かった先は例の部屋。スタスタと向かいの部屋に入り、蹲ったまま動かずに居るシルキーの横に腰掛けると、彼はトレーごとそれを差し出した。
「もし物が食べれるのならご一緒にどうですか? 甘い物がお嫌いじゃなければ、きっと気に入ると思いますよ」
食事という行為は、人と一緒に食べるだけで美味しく感じ、そして元気が出る。藤四郎もそうだった。
「あ、毒とか入ってないので、安心してくださいね。ほら、ね?」
プリンを一口、目の前で食べて見せる。
その穏やかな表情を見たシルキーは、おずおずとそれを受け取った。
(変な人……人間も妖精も関係ないのね。静かでいて、穏やかで……まるで“あの人”みたいに、とてもやさしい目をしているわ)
そう思わせる程。藤四郎は温かみのある人間であった。
二人の間にゆったりとした、心地よい空気が流れる。
***
その後も、シルキーの少女が藤四郎の傍を離れる事は無かった。食べ終わった食器類をシンクで洗っていると、カゴに移した途端、横から手が伸び、何食わぬ顔で少女がそれを拭きだす。
「なんとお手伝いまで。これはありがたい」
「……」
といった感じで、彼が店番を再開しても、彼女は藤四郎の隣を陣取っていた。何もしないのも暇だろうと、藤四郎はシルキーに当たり障りの無い話を振る。三軒隣の家に子犬が産まれた話に、この間作った焼き菓子が絶品だった話。彼女は言葉こそ発しないが、たまに頷き、そして微笑む程に二人は打ち解けていた。
~♪
そこへ、ドアベルが乾いた鐘の音を鳴らす。
雨は上がり、家全体を覆っていた少女の術は、いつの間にか解けていた――。
それを不思議に思った藤四郎は件の部屋へ赴くが、そこには例の少女だけが、あの小さな扉の上で
「はて……?」
廊下や裏庭を見渡しても、アスター達の姿はない。
藤四郎は首を傾げ、皆は何処へ行ったのかと少女に訊ねるが、当然のように少女は答えず、二人の間に沈黙が流れる。
「うーん」
藤四郎は困り果て、再び窓の外に目をやった。
すると先程まで晴れていた空が、うっすら雲がかっているのに気が付く。
(ひと降りきそうだな……)
藤四郎は裏口から外へ出て、本を数冊手に取った。しかし、戻ろうとドアノブに手を掛けた瞬間、ドアノブは乾いた音を立て、それを拒絶した。
「おやおや?」
きっとあの少女の仕業だろうと藤四郎は直感で理解するが、このままでは本が濡れてしまう。しかし別の場所へ移すにも、時間がかかり過ぎてしまい難しいだろうと判断し、ならばと、ひと呼吸おいて、開け放たれたままの窓に向かって少女に呼びかけた。
しかし何度呼びかけても、少女は顔を出す事さえしなかった。少し壁から離れて窓から覗き込むが、やはり動く気配は無い。
「もしもし、そこの可愛いお嬢さん。もしよければ、この本だけでも入れてくれませんかね?」
一冊の本を掲げ、再び声を掛ける。その声に少女は疎ましそうに藤四郎を見るが、すぐにまた顔を背けてしまった。
藤四郎はめげずに何度も声をかけ続けた。何度も何度も、応える筈のない誰かを呼ぶ声は、弱まる事を知らずに続く。
「……」
流石に
「ありがとう、ここから渡していってもいいかな?」
別の本を更に掲げ問いかけると、少女はコクりと頷き、それを受け取った。
どうやら思いは通じたようだ。
【魔道士協会:応接室IV】
協会に戻り、ステラの手当をカレンに頼み、数ある応接室の一つを借りて、アスター達は、今日あった事を偶然居合わせたスターチスに相談する事にした。その結果、少女は古い家に憑く妖精、シルキーではないか、という結論に至る。
「あの店は、十数年前までずっと本屋さんだったんだ。でも、店主の方が亡くなってしまって……」
「まさか、あの子に!?」
「いやいや、違うよ。もう随分とお歳を召していたから」
老衰だった。
それを聞いて、アスターは少しホッとする。
「それからは色々あって、人手に渡ったんだけど、入れ替わりが激しくてね。いつの間にか借り手も付かなくなっちゃって、彼が来るまで、結構長い間空き家だったんだよ」
スターチスの話に、シオンも頷く。
「はい、
「ぜーんぜん、何にも起きなくて、シロ君残念がってたよね~」
「ええ」
当時の落胆ぶりは酷かったと、シオンがこぼす。
「でもなんで封印なんてされていたのでしょうか」
「それはちょっと分からないねぇ」
シルキーとは元来、人間と良好な関係を築く事が多い妖精で、どちらかというと家主を守る性格の者がほとんどだ。ただ一つ注意する事と言えば、シルキーを
「藤四郎さん……大丈夫かな……」
アスターがポツリと呟く。
協会に戻ってすぐ、店に電話を掛けたものの、コール音が鳴るばかりで、藤四郎とは連絡がまだとれていないのだ。もう既に藤四郎も追い出され、店は無人になってしまったのだろうか、そんな不安を漏らすと、カレンは満面の笑みを浮かべ、こう言った。
「シロ君なら、大丈夫よ!」
その言葉に、アスターを除く一同は「そうだなぁ」「そうですね」と口を揃えて頷いた。あのシオンでさえ力強く首を激しく振っている。彼にはその意味が分からず、どういう事なのかステラに訊くと「シロウさんは、良い人なんです」と言って笑った。
【雑貨屋グリシーヌ】
(まさか入れてくれるとは……)
――五分前――。
藤四郎は全ての本を部屋に入れ終え、窓の下で壁にもたれていた。
『腰にくるなぁー』
本を動かすだけとはいえ、こう何度もこなせば重労働だ。
ゆっくり大きく息を吸い、乱れた呼吸を落ち着かせていると――。
『あ』
雨粒がポツリと藤四郎の頬に落ち、別の雨が土に滲んで消えていく。
まさに間一髪。大事な本が濡れなくて良かったと胸を撫で下ろしていると、藤四郎のクセのある黒髪に何かが触れた。ふと上を見上げると、すらりと伸びた手と、絹糸のように細い金の髪が視界に入る。藤四郎に触れたのは、例のあのシルキーの少女だった。
『……』
シルキーは指を動かす事無く、じっとしていた。
『君もありがとう、手伝ってくれて。お陰様で間に合いました』
『……』
藤四郎は笑いかけるが、その言葉を聞いた後、シルキーは部屋へ引っ込んだ。
『やっぱり、そう簡単に心は開いてくれない……か』
気落ちする藤四郎の周りを、土を濡らす雨の匂いがふわりと包む。
小粒の雨が、まるで心を静めろと言わんばかりに、庭の木の葉でパラパラと軽快な音を奏でていた。
『シオンと初めて顔を合わせた日も、確かこんな天気だったな……』
遠い遠い昔の話。心も体も、まだ未熟だった過去を思い出しながら、藤四郎は雨空を見上げた。
そこへ、ギィと軋む音と共に、裏口のドアがゆっくり開く。
『?』
振り向きざまに、ひょっこり顔を出したシルキーと目が合うが、彼女はすぐに顔を引っ込めた。
『これはこれは、素直じゃないといいますか』
まるで入って来いと言わんばかりに、ドアは開け放たれたままだった。
そんな事があり、無事、家に入る事が出来た藤四郎だったのだが……。シルキーは元の部屋に戻ってしまい、また距離を置かれてしまっていた。
藤四郎は考える。彼女は何故、自分や周りと距離を置くのか。封印されていた場所だというのに、何故あの扉に執着するのか。
(もしかして、封印されていたわけではなく。自分から、なのか?)
ともあれ、そこにいる間、彼女はどんな時を過ごしていたのだろう。この家がとても長い間空家になっていた事を、藤四郎は知っている。
(あんな所にずっと一人で、寂しかったろうな……)
そして彼は、一人ぼっちの寂しさも、よく知っている。
(あの子は、物を食べれるだろうか)
今日のおやつとして、昨日の晩に作っておいたプリンが四つ、冷蔵庫に入っていた。そのプリンと小さなスプーンをトレーに乗せ、藤四郎は部屋を出た。
向かった先は例の部屋。スタスタと向かいの部屋に入り、蹲ったまま動かずに居るシルキーの横に腰掛けると、彼はトレーごとそれを差し出した。
「もし物が食べれるのならご一緒にどうですか? 甘い物がお嫌いじゃなければ、きっと気に入ると思いますよ」
食事という行為は、人と一緒に食べるだけで美味しく感じ、そして元気が出る。藤四郎もそうだった。
「あ、毒とか入ってないので、安心してくださいね。ほら、ね?」
プリンを一口、目の前で食べて見せる。
その穏やかな表情を見たシルキーは、おずおずとそれを受け取った。
(変な人……人間も妖精も関係ないのね。静かでいて、穏やかで……まるで“あの人”みたいに、とてもやさしい目をしているわ)
そう思わせる程。藤四郎は温かみのある人間であった。
二人の間にゆったりとした、心地よい空気が流れる。
***
その後も、シルキーの少女が藤四郎の傍を離れる事は無かった。食べ終わった食器類をシンクで洗っていると、カゴに移した途端、横から手が伸び、何食わぬ顔で少女がそれを拭きだす。
「なんとお手伝いまで。これはありがたい」
「……」
といった感じで、彼が店番を再開しても、彼女は藤四郎の隣を陣取っていた。何もしないのも暇だろうと、藤四郎はシルキーに当たり障りの無い話を振る。三軒隣の家に子犬が産まれた話に、この間作った焼き菓子が絶品だった話。彼女は言葉こそ発しないが、たまに頷き、そして微笑む程に二人は打ち解けていた。
~♪
そこへ、ドアベルが乾いた鐘の音を鳴らす。
雨は上がり、家全体を覆っていた少女の術は、いつの間にか解けていた――。