12話:隣人は静かに微笑んだ
文字数 3,402文字
店を訪れた客は、黒いローブで全身を覆った長身の男であった。男は暫く店内を物色していたが、めぼしい物が見つからなかったのか、納得しない様子だ。
「何かお探し物ですか?」
藤四郎が声を掛ける。
すると男は、こう訊ねた。
「これと同じ石が使われた物を探している」
言いつつ藤四郎に何かを投げる。
それは赤いスエード生地の小袋。中には拳大程ありそうな硬い物が入っていた。
「拝見しても?」
「ああ」
返答を貰ってすぐ、藤四郎はレジ横に置いていた手袋を装着し、小袋からそれを取り出した。
(銀の……腕輪?)
中身は黒い石のはめ込まれた、繊細な模様が丁寧に彫られた腕輪だった。
(オニキスに似てるけど多分違うな、スピネル……いや、トルマリンか? しかし、こうも小さく加工されていては判断付かないな)
藤四郎は、今の自分では正確な鑑定が出来ないと素直に話し、凄腕の鑑定士の居る宝石店がこの先にあり、その店ならば探し物も見つかるかもしれないと客に伝える。
「そうか、残念だ」
「お力になれず申し訳ありません」
「いや……」
腕輪を受け取りつつ、明らかに落胆した声を出す客に、なんと声を掛ければいいか、藤四郎が迷っていた時だ。男がふと、藤四郎の傍らにずっと浮遊していたシルキーを見上げ、不敵な笑みを浮かべた。
「……では今日は、“こちら”を頂いていくとしよう」
男がシルキーに手を伸ばす。
そして、その手をグッと引き寄せたと思うと、次の瞬間には口を開け、襲い掛かっていた。口元に光る、鋭く尖った二本の牙。
(新手の変態か!?)
藤四郎は、反射的に男を突き飛ばした。
「――邪魔をっ! するなっ!!」
「!」
先程までの態度から一変、突如激昂した男は、隠し持っていた短剣を引き抜き、今度は藤四郎目掛け襲い掛かる。
「くっ!」
狭い店内。
カウンター傍という限られた空間。
そして、藤四郎の背に隠され、怯え固まっているシルキーの少女。
最悪の条件下に置かれた彼に、力む足場も、退路も無い。
「ちっ!」
藤四郎は咄嗟に、レジ横の小物類を投げつけた。一瞬怯む男。けれど重心はずらせたにせよ、その手は勢いを殺せず、短剣は藤四郎の袖を裂き、肉を抉 る。
「ぐぅう!」
「ははっ! 余計な邪魔をするからだ!」
二度目の斬撃が頬をかすめ、苔色の着物が、みるみる赤く染まっていく。
そんな目の前の惨状に耐え切れず、少女は絶叫した――。
***
話し合いを終え、店に戻る最中だったアスター達は、店まであと信号一つ分という所で、大量のガラスが割れる音と“あの声”を聞いた。それはつい先刻、嫌と言うほど聞いていた超音波のような“シルキーの声”だ。
その音を聞いた途端、シオンは風のような速さで飛び出し、アスターとステラも急いで後を追った。
「なん、だ……コレ……」
アスター達が店に到着すると、店は惨憺 たる有様だった。通り側に面したショーウィンドウは派手に割れ、商品は散らばり、とても営業出来るような状態ではない。
「主様、主様っ――!」
そして一番の異変は店の奥。カウンターの傍で床に倒れている藤四郎と、その傍らで酷く取り乱すシオンの姿があった。
止めど無く流れる鮮血から放たれる、むせ返る程の鉄の匂い。そして苦痛に歪む藤四郎の声が、アスターの耳と心を締め付ける。
「……うぅっ」
「シロウさんっ!」
ステラが藤四郎に駆け寄った。
ハンカチで傷口を押さえにかかるが、すぐに血で滲み、止まる気配は一向に無い。取り乱すステラとシオン。そこへ――。
「俺がやる」
「!」
アスターは冷静に、そして二人に落ち着くよう声を掛けた。
「シオン、タオルか何か、長い布があれば何枚か持ってきてくれ。出来れば洗ってある奴がいい」
「え……あ……あぁ――」
ここまで大きな怪我をした事が無かったのか、シオンは冷静さを取り戻せないでいた。しかし、それでは駄目なのだ。
「早く! お前の主 が死んでもいいのか!!」
「――っ!」
アスターに叱咜され、シオンは急いで階段を駆け上がった。それを待っている間、出来る限りの事をやろうとアスターは手を動かす。
「――なぁ、こういうのはその、魔法でどうにかならないのか?」
「わ、私の魔法はそのっ、そんなんじゃ……なくて」
あくまでも冷静に、彼はステラに問うたが、ステラは酷く混乱したままで、唇を震わせる。「系統が違う」その答えにアスターは「そうか」と短く返す。
「ご、ごめ、んなさい……」
「いや謝ることじゃない。……えーと、救急車はこの世界にもあったよな?」
「は、はい……」
(震えてる……血が苦手なのか?)
真っ青な顔で小刻みに震えるステラに、彼は藤四郎は大丈夫だと、出来るだけ落ち着いた声音で話すよう心がけた。その後、それが効いたのだろう、自分の代わりに通報出来るかというアスターの問いかけにも、短く、しっかりした返事を返し、ステラは無事、救急車を呼ぶことが出来た。
***
「いや~、お騒がせしました~」
間延びした藤四郎の声が待合室に響く。
「主様っ!」
その声を聞いた瞬間、シオンは駆け出し、よろけた藤四郎を即座に支えた。
「いや~、思ったより聴取が長くかかってしまって……。ごめん、心配掛けたね」
「本当に、貴方は無茶ばかりして……」
そんな二人を見て、ステラもアスターの隣で泣きじゃくる。
ボタボタ涙を止めどなく流す彼女を、アスターはどう扱えばいいのか分からないで狼狽えていると、藤四郎と目が合った。
「本当にありがとう。君のお陰で大事にならず済みました」
「あ、いや……、大丈夫そうで良かった、です。それよりそれは、あのシルキーにやられたんですか?」
その問いかけに、藤四郎は首を振った。
「いいえ、実は――」
藤四郎は、あの時何があったのか、順を追って話した。
***
その後、一同は店に戻った。
荒れ果てていた店内は、道端に飛散したガラスと共に綺麗に片付けられていた。けれど店内にシルキーの姿は無い。
「……」
藤四郎は辺りを少し見渡すと、迷いなくまっすぐ店の奥、もう暗くなったあの部屋へ向かっていった。
「やっぱりここに居たんですね」
部屋の奥、あの扉の上で蹲る少女を見つけた。
シオンが灯りを付け、部屋に明かりが灯る。
今の今までずっと泣いていたのか、シルキーの目は赤く腫れ、未だこぼれ落ちる大粒の涙が、頬を伝ってまた一粒、ポトリと落ちる。
「……」
藤四郎が、シルキーの前にしゃがむ。
「そういえば、まだ貴女のお名前を伺っていませんでしたね」
キョトンとした顔の少女。そもそも喋れるのだろうかというアスターの疑問をよそに、藤四郎はまっすぐ彼女の目を見て、その答えを待っていた。
「……」
戸惑いながらも少女が動く。
抱えた膝と、自分の胸の間に手をいれ、大粒の翠玉 があしらわれた金の首飾りを、藤四郎の前におずおずと差し出した。
そこに何が書かれているのか、アスターの位置からは確認できない。けれど藤四郎がそれを読み上げた事で、シルキーの名はアスター達にもすぐに分かった。
「そうですか。貴女はナズナさんとおっしゃるのですね」
そう言うと、藤四郎は懐に手を入れ、何やら取り出した。
手を伸ばされたナズナは肩をビクつかせ、一瞬怯えたが、髪をすくように撫でるその手に気付き、戸惑う。
「……やはり片手だと上手くいきませんね」
藤四郎は、隣に控えていたシオンに耳打ちした。
シオンもそれに頷き、二人、協力してナズナの髪を赤い組紐で一つに結い上げていく。
「うん。やはり貴女の綺麗なブロンドには赤が映える」
そう笑いながら、藤四郎はまたナズナの頭を撫でた。呆気にとられるナズナ。もしや迷惑だったかと藤四郎が慌てて訊ねるが、それにナズナは、また涙を流しながら首を横に振り、今度は笑顔を見せた。
それはまるで「嬉しい」と言葉を発しているような、とても喜びに満ちた幸せそうな笑顔であった。
「何かお探し物ですか?」
藤四郎が声を掛ける。
すると男は、こう訊ねた。
「これと同じ石が使われた物を探している」
言いつつ藤四郎に何かを投げる。
それは赤いスエード生地の小袋。中には拳大程ありそうな硬い物が入っていた。
「拝見しても?」
「ああ」
返答を貰ってすぐ、藤四郎はレジ横に置いていた手袋を装着し、小袋からそれを取り出した。
(銀の……腕輪?)
中身は黒い石のはめ込まれた、繊細な模様が丁寧に彫られた腕輪だった。
(オニキスに似てるけど多分違うな、スピネル……いや、トルマリンか? しかし、こうも小さく加工されていては判断付かないな)
藤四郎は、今の自分では正確な鑑定が出来ないと素直に話し、凄腕の鑑定士の居る宝石店がこの先にあり、その店ならば探し物も見つかるかもしれないと客に伝える。
「そうか、残念だ」
「お力になれず申し訳ありません」
「いや……」
腕輪を受け取りつつ、明らかに落胆した声を出す客に、なんと声を掛ければいいか、藤四郎が迷っていた時だ。男がふと、藤四郎の傍らにずっと浮遊していたシルキーを見上げ、不敵な笑みを浮かべた。
「……では今日は、“こちら”を頂いていくとしよう」
男がシルキーに手を伸ばす。
そして、その手をグッと引き寄せたと思うと、次の瞬間には口を開け、襲い掛かっていた。口元に光る、鋭く尖った二本の牙。
(新手の変態か!?)
藤四郎は、反射的に男を突き飛ばした。
「――邪魔をっ! するなっ!!」
「!」
先程までの態度から一変、突如激昂した男は、隠し持っていた短剣を引き抜き、今度は藤四郎目掛け襲い掛かる。
「くっ!」
狭い店内。
カウンター傍という限られた空間。
そして、藤四郎の背に隠され、怯え固まっているシルキーの少女。
最悪の条件下に置かれた彼に、力む足場も、退路も無い。
「ちっ!」
藤四郎は咄嗟に、レジ横の小物類を投げつけた。一瞬怯む男。けれど重心はずらせたにせよ、その手は勢いを殺せず、短剣は藤四郎の袖を裂き、肉を
「ぐぅう!」
「ははっ! 余計な邪魔をするからだ!」
二度目の斬撃が頬をかすめ、苔色の着物が、みるみる赤く染まっていく。
そんな目の前の惨状に耐え切れず、少女は絶叫した――。
***
話し合いを終え、店に戻る最中だったアスター達は、店まであと信号一つ分という所で、大量のガラスが割れる音と“あの声”を聞いた。それはつい先刻、嫌と言うほど聞いていた超音波のような“シルキーの声”だ。
その音を聞いた途端、シオンは風のような速さで飛び出し、アスターとステラも急いで後を追った。
「なん、だ……コレ……」
アスター達が店に到着すると、店は
「主様、主様っ――!」
そして一番の異変は店の奥。カウンターの傍で床に倒れている藤四郎と、その傍らで酷く取り乱すシオンの姿があった。
止めど無く流れる鮮血から放たれる、むせ返る程の鉄の匂い。そして苦痛に歪む藤四郎の声が、アスターの耳と心を締め付ける。
「……うぅっ」
「シロウさんっ!」
ステラが藤四郎に駆け寄った。
ハンカチで傷口を押さえにかかるが、すぐに血で滲み、止まる気配は一向に無い。取り乱すステラとシオン。そこへ――。
「俺がやる」
「!」
アスターは冷静に、そして二人に落ち着くよう声を掛けた。
「シオン、タオルか何か、長い布があれば何枚か持ってきてくれ。出来れば洗ってある奴がいい」
「え……あ……あぁ――」
ここまで大きな怪我をした事が無かったのか、シオンは冷静さを取り戻せないでいた。しかし、それでは駄目なのだ。
「早く! お前の
「――っ!」
アスターに叱咜され、シオンは急いで階段を駆け上がった。それを待っている間、出来る限りの事をやろうとアスターは手を動かす。
「――なぁ、こういうのはその、魔法でどうにかならないのか?」
「わ、私の魔法はそのっ、そんなんじゃ……なくて」
あくまでも冷静に、彼はステラに問うたが、ステラは酷く混乱したままで、唇を震わせる。「系統が違う」その答えにアスターは「そうか」と短く返す。
「ご、ごめ、んなさい……」
「いや謝ることじゃない。……えーと、救急車はこの世界にもあったよな?」
「は、はい……」
(震えてる……血が苦手なのか?)
真っ青な顔で小刻みに震えるステラに、彼は藤四郎は大丈夫だと、出来るだけ落ち着いた声音で話すよう心がけた。その後、それが効いたのだろう、自分の代わりに通報出来るかというアスターの問いかけにも、短く、しっかりした返事を返し、ステラは無事、救急車を呼ぶことが出来た。
***
「いや~、お騒がせしました~」
間延びした藤四郎の声が待合室に響く。
「主様っ!」
その声を聞いた瞬間、シオンは駆け出し、よろけた藤四郎を即座に支えた。
「いや~、思ったより聴取が長くかかってしまって……。ごめん、心配掛けたね」
「本当に、貴方は無茶ばかりして……」
そんな二人を見て、ステラもアスターの隣で泣きじゃくる。
ボタボタ涙を止めどなく流す彼女を、アスターはどう扱えばいいのか分からないで狼狽えていると、藤四郎と目が合った。
「本当にありがとう。君のお陰で大事にならず済みました」
「あ、いや……、大丈夫そうで良かった、です。それよりそれは、あのシルキーにやられたんですか?」
その問いかけに、藤四郎は首を振った。
「いいえ、実は――」
藤四郎は、あの時何があったのか、順を追って話した。
***
その後、一同は店に戻った。
荒れ果てていた店内は、道端に飛散したガラスと共に綺麗に片付けられていた。けれど店内にシルキーの姿は無い。
「……」
藤四郎は辺りを少し見渡すと、迷いなくまっすぐ店の奥、もう暗くなったあの部屋へ向かっていった。
「やっぱりここに居たんですね」
部屋の奥、あの扉の上で蹲る少女を見つけた。
シオンが灯りを付け、部屋に明かりが灯る。
今の今までずっと泣いていたのか、シルキーの目は赤く腫れ、未だこぼれ落ちる大粒の涙が、頬を伝ってまた一粒、ポトリと落ちる。
「……」
藤四郎が、シルキーの前にしゃがむ。
「そういえば、まだ貴女のお名前を伺っていませんでしたね」
キョトンとした顔の少女。そもそも喋れるのだろうかというアスターの疑問をよそに、藤四郎はまっすぐ彼女の目を見て、その答えを待っていた。
「……」
戸惑いながらも少女が動く。
抱えた膝と、自分の胸の間に手をいれ、大粒の
そこに何が書かれているのか、アスターの位置からは確認できない。けれど藤四郎がそれを読み上げた事で、シルキーの名はアスター達にもすぐに分かった。
「そうですか。貴女はナズナさんとおっしゃるのですね」
そう言うと、藤四郎は懐に手を入れ、何やら取り出した。
手を伸ばされたナズナは肩をビクつかせ、一瞬怯えたが、髪をすくように撫でるその手に気付き、戸惑う。
「……やはり片手だと上手くいきませんね」
藤四郎は、隣に控えていたシオンに耳打ちした。
シオンもそれに頷き、二人、協力してナズナの髪を赤い組紐で一つに結い上げていく。
「うん。やはり貴女の綺麗なブロンドには赤が映える」
そう笑いながら、藤四郎はまたナズナの頭を撫でた。呆気にとられるナズナ。もしや迷惑だったかと藤四郎が慌てて訊ねるが、それにナズナは、また涙を流しながら首を横に振り、今度は笑顔を見せた。
それはまるで「嬉しい」と言葉を発しているような、とても喜びに満ちた幸せそうな笑顔であった。