21話:走行する柩
文字数 3,774文字
その後、目尻に涙を浮かべ、必死に笑いを堪えているスターチスと、笑いすぎて酸欠状態になったルドラ。それと不安げな顔をしたステラが談話室へ戻ってきた。
「あらぁ~、結構イケてるじゃない。普通にタイプ~」
「ひっ!」
アスターは、知りたくなかった他人の性癖と、残酷に浴びせられた自分への好意に怯えた。
「……チッ」
「痛っ!」
いつの間にか戻っていたメリッサに、舌打ち混じりに何かを投げつけられた。見ると、それはまだ透明なビニールに入っている新品のボクサーパンツと、赤いラインの入った黒い上下のジャージ服一式だった。
「着替えさせるから、女子諸君はちょっと席を外してあげてね」
「あら室長、じゃあ私は居てもいいって事でいいかしら?」
「ん~、心が乙女なら外かな」
「っ……残念だわ」
三十秒で着替えろ。というキレ顔のメリッサの命令で、アスターは焦りながらもパンツに足を通す。その後方から、スターチスが時折笑いを含みながら、今回の件について言及した。
「状況を聞く限り、仕方がない事だとは思うけどね。一応私の大切な部下だし、年頃の女の子だから、ああいうのは本当に気を付けてあげて。あの子はああ見えて純粋で、とても真っ直ぐな子だからね」
(……純情? 真っすぐ……?)
自身の知っているソレとメリッサは、対極の位置にあるのではないかと頭の隅で思うアスターであったが、そこは素直にハイと従った。
「本当に、すんませんでしたっ!」
着替えも終わり、今もまだキレ顔のメリッサに、アスターは侘びをいれる。
「アスターさんに悪気はないから、許してあげて」
「わ、分かってるけど……」
ただ、二度とあんな粗末なものを見せるなと、メリッサは彼に釘を指す。
(粗末て)
「見たのか?」
「はっはぁ!? べっ別に、見ちゃいないわよ! 視界の端にちょっと、って何言わせんのよ! 馬鹿じゃないの!?」
お互い色々な感情が混じって複雑である。
そんな何とも言えない状態の彼に、ルドラが携えていた検査キットを取り出し、その場で数値を測るからと、彼にそれを咥えるように促した。
「すーぐ終わるからねぇ」
その言葉通り、ピピっという電子音がすぐに鳴った。
「あら、やっぱり」
「?」
引っこ抜かれた検査キットは、体内の魔力濃度を測るためのものであった。それを片手に、ルドラは彼にひとつの真実を告げる。
「俺が……魔道士体質……?」
「ええ、今の貴方の体は、極度の魔力欠乏状態にあるのね。それで体が勝手に生命力を魔力に変えちゃって、それに合わせて体も小っちゃくなっちゃてるってわけ」
「で、でも俺、魔法とか魔術とか全然使えないし……あ、ステラに魔力を貰ったからか?」
困惑するアスターに、今度はステラが言葉を発する。
「いえ、アスターさんは私と出会った当初から既に、体内に魔力を持っている状態でした。だから私はあの時、貴方に魔力を渡したんです。もし、貴方が普通の人であれば、私はそれを選択しませんでした。だって、魔力を持たない人に、無理やり魔力を渡せば……どのみち体は負荷に耐え切れず、すぐに――」
「命を落としてしまいますから」その言葉を聞いて、アスターは鳥肌が立った。
けれどやはり、腑に落ちない。彼は生まれてこの方、“そういった力”を使った試しも、所謂 、“そういった不思議な体験”をした記憶も無かったのだから。
「まぁ、とにかくね。そっちの姿を保つには、ステラちゃんにさっき渡した物を常用的に食べて、力の制御を覚えて貰わないと駄目なわけね。ただ、あれはまだ試作段階で、体にどんな負担がかかるのか、実はまだよく分かってなくてね」
だから暫くは様子を見てほしい、とルドラは続けた。
その直後、彼の体はまた熱を帯び、いつもの少年姿に戻ってしまった。ただ、服がずり落ちる事は無い。何故かというと、彼が先ほどメリッサに投げつけられた服一式は、妖精が紡いだ特殊な繊維と加工技術で作られたもので、ある程度体に合わせて伸び縮みするものだからだ。
「二十分」
リドが腕時計を見ながら呟いた。
しかし、飴は殆どミルクと一緒に吐いているため、一粒でどの程度持つのか、まだ時間は割り出せない。また日を改めて実験してみればいいとルドラは言う。
「何か……めっちゃ疲れたし、すげぇ腹減った……」
「まともにご飯食べてないですからね」
「ミルクならすぐ作れるよ」
スターチスが哺乳瓶片手に微笑んだ。
それにアスターは「是非、噛めるものにして頂きたい」とハッキリ、キッパリ拒絶した。
【魔道士協会:従業員食堂】
その後、アスターとステラは、協会の中にある従業員食堂へやってきていた。
「旗たてられた……」
アスターの目の前には、小さな手でも握りやすい、平たいグリップのフォークに、ランチプレートに盛られたお子様ランチが並んでいた。見た目が完全な子供である為、仕方がないことだと分かっていても、彼の心中は複雑である。
「あ、このパン美味い」
十字模様の入った甘いパンを口に含み、つい笑みがこぼれる。
「それはそれは、何よりです。アスターさんは、柔らかいパンがお好きなんですか?」
「んー。というか、ただ甘党なだけかもしれん」
「あらまぁ、そうだったんですね」
そんなたわいない話に花を咲かせていた時。
《本日未明――》
食堂の隅にある、壁掛けテレビの存在に気が付いた。
彼は、異世界のニュース番組というものが気になり、行儀が悪いと分かっていながら、映し出された映像を咀嚼しながら目で追った。
そこでは、ある宝石店が何者かに襲撃されたという事件が報じられていた。店員や近隣住人がインタビューに応え、街の様子が流れた時、アスターが「あ」と小さく声を上げる。
「なぁ、ここって」
「あの森近くの街ですね」
「だよな。なんか見覚えあると思ったよ」
事件現場は、偶然にも彼らが泊まったホテルのある、あの街だった。
「物騒だなぁ」
「ですねぇ」
豆のスープを啜りながら、彼はふと思う。
(魔道士や魔術師が犯罪を犯したら、捕まえるのは普通の警察なんだろうか?)
けれどそんな質問、彼女に出来る筈もなく、彼はその疑問を豆と一緒に飲み込んだ。そうこうしている内に、食堂は賑わっていく。
「……魔道士協会 って、結局何をしてる所なんだ?」
「えーと、そうですねぇ。魔道士や魔術師の育成がメインなんですが、色んな免許を発行したり、仕事を斡旋したり……あと、異種族の方の住民登録や予防接種、それと――」
「い、色々やってんだな」
「ええ、手広くやっています」
結局、魔道士協会とは何なのか、彼の中で疑問が増えるだけだった。
***
王都、セントラル行きのバスは、人々の足だった。
通院の為に日常的にバスに乗る老婆は、いつものように最前列のシートに座り。子供連れの親子はその後方で、窓から見える景色を楽しんでいる。他にも多数の乗客が居る中で、訳ありの異種族二人も乗り合わせていた。
「なぁサブの兄貴ぃ。ホントに大丈夫なのかよぉ」
赤いパーカーにジーンズという、ストリート系ファッションに身を包むも、顔も体もゴリラ丸出しな大男は、座席に収まりきらない大きな背中を丸め、横に座る猿顔の男、サブに向かって情けない声を出す。それにサブは、彫りの深い顔を顰め、大丈夫だと小声で答えた。
「ゴルボよぉ、おめぇいい加減腹くくれって。ほんと、デケェのは図体だけな」
「でもよぉ、やっぱよぉ」
尚も続く不安げな言葉に、サブは次第に苛立ち、小声ながらも声を荒げた。
「ゴチャゴチャ、ゴチャゴチャうるっせぇなぁ! おめぇは言われた通りに“ブツ”を運んでりゃ、それでいいんだよ! それ以上余計な口叩いてみろ、おめぇの取り分無しにすっからな!」
「わ、分かったよぉ。……ちゃんとやりきるから、それだけは勘弁してくれよぉ」
「チッ、わーったならもう喋んな」
ゴルボはバツが悪そうに俯いた。
けれども、やはり不安は大波のごとく押し寄せる。
極度の緊張状態で心臓は激しく脈打ち、腹の中もずっと、今も何かが込み上げてくるのではないかと思うほど気持ちが悪い。額から出る汗は滝のように吹き出し、背中はシートまでぐっしょりと濡れている。
ゴルボは、少しでもこの不安感を紛らわそうと、窓の外を見る事にした。
バスの車窓から見える光景は、セントラルに向かう道すがらの、まだまだ自然豊かで、のどかな田園風景が続いていた。
(母ちゃん……)
その光景を見て、彼は故郷に思いを馳せる。
(もう少し……もう少しの辛抱だ……)
危ない橋を渡っている自覚はある。でもやはり覚悟はまだできていない。
しかし、彼に残された道はもうすでになく。この仕事が終わったら故郷に帰れる。ただそれだけの希望を胸に、ゴルボはひたすら耐え、目的地をめざすほかなかった。
けれど……この時、彼等を含む乗客の誰一人として予想だにしていなかった。このバスが、走る鉄の柩となる事を――。
「あらぁ~、結構イケてるじゃない。普通にタイプ~」
「ひっ!」
アスターは、知りたくなかった他人の性癖と、残酷に浴びせられた自分への好意に怯えた。
「……チッ」
「痛っ!」
いつの間にか戻っていたメリッサに、舌打ち混じりに何かを投げつけられた。見ると、それはまだ透明なビニールに入っている新品のボクサーパンツと、赤いラインの入った黒い上下のジャージ服一式だった。
「着替えさせるから、女子諸君はちょっと席を外してあげてね」
「あら室長、じゃあ私は居てもいいって事でいいかしら?」
「ん~、心が乙女なら外かな」
「っ……残念だわ」
三十秒で着替えろ。というキレ顔のメリッサの命令で、アスターは焦りながらもパンツに足を通す。その後方から、スターチスが時折笑いを含みながら、今回の件について言及した。
「状況を聞く限り、仕方がない事だとは思うけどね。一応私の大切な部下だし、年頃の女の子だから、ああいうのは本当に気を付けてあげて。あの子はああ見えて純粋で、とても真っ直ぐな子だからね」
(……純情? 真っすぐ……?)
自身の知っているソレとメリッサは、対極の位置にあるのではないかと頭の隅で思うアスターであったが、そこは素直にハイと従った。
「本当に、すんませんでしたっ!」
着替えも終わり、今もまだキレ顔のメリッサに、アスターは侘びをいれる。
「アスターさんに悪気はないから、許してあげて」
「わ、分かってるけど……」
ただ、二度とあんな粗末なものを見せるなと、メリッサは彼に釘を指す。
(粗末て)
「見たのか?」
「はっはぁ!? べっ別に、見ちゃいないわよ! 視界の端にちょっと、って何言わせんのよ! 馬鹿じゃないの!?」
お互い色々な感情が混じって複雑である。
そんな何とも言えない状態の彼に、ルドラが携えていた検査キットを取り出し、その場で数値を測るからと、彼にそれを咥えるように促した。
「すーぐ終わるからねぇ」
その言葉通り、ピピっという電子音がすぐに鳴った。
「あら、やっぱり」
「?」
引っこ抜かれた検査キットは、体内の魔力濃度を測るためのものであった。それを片手に、ルドラは彼にひとつの真実を告げる。
「俺が……魔道士体質……?」
「ええ、今の貴方の体は、極度の魔力欠乏状態にあるのね。それで体が勝手に生命力を魔力に変えちゃって、それに合わせて体も小っちゃくなっちゃてるってわけ」
「で、でも俺、魔法とか魔術とか全然使えないし……あ、ステラに魔力を貰ったからか?」
困惑するアスターに、今度はステラが言葉を発する。
「いえ、アスターさんは私と出会った当初から既に、体内に魔力を持っている状態でした。だから私はあの時、貴方に魔力を渡したんです。もし、貴方が普通の人であれば、私はそれを選択しませんでした。だって、魔力を持たない人に、無理やり魔力を渡せば……どのみち体は負荷に耐え切れず、すぐに――」
「命を落としてしまいますから」その言葉を聞いて、アスターは鳥肌が立った。
けれどやはり、腑に落ちない。彼は生まれてこの方、“そういった力”を使った試しも、
「まぁ、とにかくね。そっちの姿を保つには、ステラちゃんにさっき渡した物を常用的に食べて、力の制御を覚えて貰わないと駄目なわけね。ただ、あれはまだ試作段階で、体にどんな負担がかかるのか、実はまだよく分かってなくてね」
だから暫くは様子を見てほしい、とルドラは続けた。
その直後、彼の体はまた熱を帯び、いつもの少年姿に戻ってしまった。ただ、服がずり落ちる事は無い。何故かというと、彼が先ほどメリッサに投げつけられた服一式は、妖精が紡いだ特殊な繊維と加工技術で作られたもので、ある程度体に合わせて伸び縮みするものだからだ。
「二十分」
リドが腕時計を見ながら呟いた。
しかし、飴は殆どミルクと一緒に吐いているため、一粒でどの程度持つのか、まだ時間は割り出せない。また日を改めて実験してみればいいとルドラは言う。
「何か……めっちゃ疲れたし、すげぇ腹減った……」
「まともにご飯食べてないですからね」
「ミルクならすぐ作れるよ」
スターチスが哺乳瓶片手に微笑んだ。
それにアスターは「是非、噛めるものにして頂きたい」とハッキリ、キッパリ拒絶した。
【魔道士協会:従業員食堂】
その後、アスターとステラは、協会の中にある従業員食堂へやってきていた。
「旗たてられた……」
アスターの目の前には、小さな手でも握りやすい、平たいグリップのフォークに、ランチプレートに盛られたお子様ランチが並んでいた。見た目が完全な子供である為、仕方がないことだと分かっていても、彼の心中は複雑である。
「あ、このパン美味い」
十字模様の入った甘いパンを口に含み、つい笑みがこぼれる。
「それはそれは、何よりです。アスターさんは、柔らかいパンがお好きなんですか?」
「んー。というか、ただ甘党なだけかもしれん」
「あらまぁ、そうだったんですね」
そんなたわいない話に花を咲かせていた時。
《本日未明――》
食堂の隅にある、壁掛けテレビの存在に気が付いた。
彼は、異世界のニュース番組というものが気になり、行儀が悪いと分かっていながら、映し出された映像を咀嚼しながら目で追った。
そこでは、ある宝石店が何者かに襲撃されたという事件が報じられていた。店員や近隣住人がインタビューに応え、街の様子が流れた時、アスターが「あ」と小さく声を上げる。
「なぁ、ここって」
「あの森近くの街ですね」
「だよな。なんか見覚えあると思ったよ」
事件現場は、偶然にも彼らが泊まったホテルのある、あの街だった。
「物騒だなぁ」
「ですねぇ」
豆のスープを啜りながら、彼はふと思う。
(魔道士や魔術師が犯罪を犯したら、捕まえるのは普通の警察なんだろうか?)
けれどそんな質問、彼女に出来る筈もなく、彼はその疑問を豆と一緒に飲み込んだ。そうこうしている内に、食堂は賑わっていく。
「……
「えーと、そうですねぇ。魔道士や魔術師の育成がメインなんですが、色んな免許を発行したり、仕事を斡旋したり……あと、異種族の方の住民登録や予防接種、それと――」
「い、色々やってんだな」
「ええ、手広くやっています」
結局、魔道士協会とは何なのか、彼の中で疑問が増えるだけだった。
***
王都、セントラル行きのバスは、人々の足だった。
通院の為に日常的にバスに乗る老婆は、いつものように最前列のシートに座り。子供連れの親子はその後方で、窓から見える景色を楽しんでいる。他にも多数の乗客が居る中で、訳ありの異種族二人も乗り合わせていた。
「なぁサブの兄貴ぃ。ホントに大丈夫なのかよぉ」
赤いパーカーにジーンズという、ストリート系ファッションに身を包むも、顔も体もゴリラ丸出しな大男は、座席に収まりきらない大きな背中を丸め、横に座る猿顔の男、サブに向かって情けない声を出す。それにサブは、彫りの深い顔を顰め、大丈夫だと小声で答えた。
「ゴルボよぉ、おめぇいい加減腹くくれって。ほんと、デケェのは図体だけな」
「でもよぉ、やっぱよぉ」
尚も続く不安げな言葉に、サブは次第に苛立ち、小声ながらも声を荒げた。
「ゴチャゴチャ、ゴチャゴチャうるっせぇなぁ! おめぇは言われた通りに“ブツ”を運んでりゃ、それでいいんだよ! それ以上余計な口叩いてみろ、おめぇの取り分無しにすっからな!」
「わ、分かったよぉ。……ちゃんとやりきるから、それだけは勘弁してくれよぉ」
「チッ、わーったならもう喋んな」
ゴルボはバツが悪そうに俯いた。
けれども、やはり不安は大波のごとく押し寄せる。
極度の緊張状態で心臓は激しく脈打ち、腹の中もずっと、今も何かが込み上げてくるのではないかと思うほど気持ちが悪い。額から出る汗は滝のように吹き出し、背中はシートまでぐっしょりと濡れている。
ゴルボは、少しでもこの不安感を紛らわそうと、窓の外を見る事にした。
バスの車窓から見える光景は、セントラルに向かう道すがらの、まだまだ自然豊かで、のどかな田園風景が続いていた。
(母ちゃん……)
その光景を見て、彼は故郷に思いを馳せる。
(もう少し……もう少しの辛抱だ……)
危ない橋を渡っている自覚はある。でもやはり覚悟はまだできていない。
しかし、彼に残された道はもうすでになく。この仕事が終わったら故郷に帰れる。ただそれだけの希望を胸に、ゴルボはひたすら耐え、目的地をめざすほかなかった。
けれど……この時、彼等を含む乗客の誰一人として予想だにしていなかった。このバスが、走る鉄の柩となる事を――。