09話:初めてのおてつだい
文字数 3,940文字
(温かい……)
まるで毛並みを正すように撫でる、柔らかな手の感触。
サラサラと髪と手の擦れる音が、手のひらの温もりと共に体を伝う。
(あぁ、もう少しこのままで……)
そう言ってしまいそうになる程、それは気持ちの良いものだった。
「ん……」
微かな物音が聞こえ、アスターは目覚めた。体を起こし、窓の外に目をやる。
庭に人影が見えた。薄暗い中でも良くわかる
「うぉっ」
外は予想以上に肌寒く、ブランケットを羽織るべきだったとアスターが身震いしていると、ステラが気が付き、くるりと振り向いた。
庭の隅で、
(昨日はよく見てなかったけど……)
アスターは改めて辺りを見渡した。玄関周りは白い薔薇や、小さな花の咲く可愛らしい植物が多いが、少し奥に入るとハーブの他にも、様々な野菜や果樹が植えられており、それぞれ実や花をつけている。
「凄いな……。お、それ、いい感じに熟しててすげぇ美味そう」
「まだまだ趣味の域を超えませんけどね。でも、今年のは自信作ですよ~」
「おー、楽しみだ」
そんな話に花を咲かせていると、アスターはある事に気がついた。
「……あれ? なんかこの辺だけ暖かい?」
今二人が立っている畑の一角だけが、妙に暖かいのだ。
「この時期は朝と夜は特に冷えるので、収穫が終わるまでの間、精霊さんに温度調整して貰ってるんですよ」
「ほー」
(便利だなぁ)
「そうだ、アスターさん!」
「ん?」
「丁度良いタイミングなので、レグさんもご紹介しときますね!」
「レグさん?」
「はい、キング・レグホンのレグさん。我が家のもう一人? の家族です!」
微笑みながら彼女が指さすその方向に、アスターが目を向けると、白い鶏が一羽、我が物顔で庭を
「お……おぉ?」
アスターは違和感を感じた。
そして、そのおかしさに気がついた時には、既にソレは目の前にいた。
「デカくない!?」
それは、そこいらの中型犬より大きな鶏であった。もちろん仔犬なんて生易しいものではない、まさに成犬サイズ。とにかく馬鹿デカイ鶏なのだ。
「コォォォォ……」
「ちょ、
低い唸り声も、既に鶏が発するものではない。禍々しいというか、恐ろしいオーラを
「クワァアー!!」
「うわぁあああ!?」
突然の事だった。レグはアスターの足元をしつこく狙い、残像が見える程素早い首の動きで、土が掘り返される程強く、黄色い
「ちょ! 見てないで止めてくれ!」
アスターが叫びながら横目で見ると、ステラは実に楽しそうにその光景を眺めている。
「仲良く出来そうで良かったです」
「はぁ!?」
何を寝ぼけたことを。そう思うアスターだったが、実際にそれは正しく、レグはアスターのひざ下に体を擦りつけ、猫のように頭をグイグイ擦り寄った。
「それがその子達の大好きですよ~の合図なんです」
「えぇ……」
恐怖すら覚える求愛行動だった。
そんな朝の出来事。
***
「……」
家に戻ると、アスターは丸襟の白シャツに、茶色の短パン。それとサスペンダーを手渡されていた。脱衣所で着替えを終えたアスターは、鏡に映る自分の姿を見て、ため息をつく。
(人生何があるかわからんもんだな……)
「アスターさん」
そこへ、ノック音と共にステラが扉越しに声を掛ける。
「サイズはどうですか? 調整が必要であれば言ってくださいな」
「あ、いや、ちょうどいいよ」
アスターはそのまま扉を開け、廊下に立つステラに答えた。
「それはそれは、あ、靴を持ってきましたので、これも試してみてください」
「靴まであるのか」
差し出された小さな革靴も、今の彼のサイズピッタリだ。
「この靴とか全部、お前が使ってた奴なのか?」
「服はそうですが、靴は昨日の晩に作ってもらったんです」
「作ってもらった?」
「はい」
曰く、もう一人の彼女の家族。
そういう事が得意な妖精がこの家にはいるのだという。
「父の使い魔さんなのですが、“彼”は滅多に人前に姿を見せなくて……」
「へぇー」
ただこういった事ならば引き受けてくれる事はくれる。しかし材料の関係で簡易的になり、長歩きには向かないと、今日また衣類を買いに行くついでに靴も見に行こうと彼女は言う。
「いや、買って貰ってばっかで悪いし、当分これで頑張るよ。この体も案外すぐ元に戻るかもしれないし」
「だといいのですが……」
「……?」
ぼそりとつぶやかれた彼女の言葉は、小さすぎて彼には届かなかった。
それから朝食と家事を済ませ、二人で家を出る。
(そういえば)
玄関先で、今日は一度もミスターを見ていない事にアスターは気が付いたが、すぐに静かなことはいいことだとその時は気にしない事にした。
他愛のない話をしながら、バスに揺られ、協会へ足を踏み入れる。
しかし、ガーゴイル達は彼の姿を見るなり面食らった顔をし、扉を潜るや否や、既に出勤していたカレンに見つかり爆笑されて、彼は朝から散々だった。
「超ウケる! ねね、一枚撮っていい? ね、撮っていいよね!」
まだ人気の少ないエントランスホールに、カレンの賑やかな声が響き渡る。
そこへ、今出勤したのだろう、トレンチコート姿のスターチスが、いつの間にか合流していた。
「こ、これは……え、えらくっ、クククッ縮んだねぇ」
口元に手を沿え、笑いを堪えようとはしているが……。
「……あの、めっちゃ肩震えてますけど」
「ごめ、ちょっと、ふふふ予想外で……ククっ」
(もういっその事、普通に笑えばいいのに)
なんて彼が思っていると、あらかた笑い終わり、やっと落ち着きを取り戻したカレンがステラに声を掛ける。
「シロウさんから依頼……ですか?」
「うん。ステラちゃんとアスターくんに是非に、だって~」
二人は顔を見合わせた。
「昨日会った時は、そんな話ひとつも……」
「ですよね……」
依頼内容は藤四郎の自宅兼店舗の掃除だ。
さほど大変では無いという事で、昼過ぎには終わるというが……。
「つか依頼って、魔物退治だけじゃないんだな」
「といいますか。協会への依頼は大体こういったお手伝い系が多いんですよね」
「そ、そうなんだ。へぇ……」
この、依頼があれば何でもやる姿勢に、また一つアスターのファンタジー像が崩れていったのは言うまでもない。
【雑貨屋グリシーヌ】
「お待ちしておりました」
二人が店に向かうと、
「これはこれは、なんとまぁ……」
しかし、カウンター付近で品出しをしていた藤四郎は違う。どうやったらそうなるのかと興味津津で、アスターは苦々しい笑みを浮かべ、対応に困ってしまう。
「あ、あの! それで今日は――!」
早くこの話を終わらせたいと、彼は失礼だと分かったうえで、話の腰を折るように今日の依頼について詳しく訊ねる事にした。
「あぁそうでした、そうでした」
間延びした声で手をポンと叩く藤四郎。話を要約すると、掃除する部屋は店の奥、前の住民が置いて行った物と、趣味で集めた物を保管していた物置部屋だった。藤四郎もシオンも、綺麗好きとまでは言わないが、普通に家事をこなす性質だが、その部屋に関してはどうも億劫で、あまり掃除という掃除をしてこなかったのだという。
「ふと思い立ったのですが……、まさかそんな事になっているとは夢にも思わず」
「ですよね。俺もです」
本当に大丈夫か? と不安がる藤四郎を店に戻し、シオンを含む三人で早速掃除の支度をし、取り掛かる事にした。
「結構片付いてきましたね」
「ですね」
作業は順調に進み、この調子ならば、昼過ぎには終わるだろうとステラとシオンが話していた時。部屋の隅で雑巾片手に屈んでいたアスターの目に、キラリと光る“何か”が見えた。
「……?」
アスターはキャビネットの下に手を伸ばし、それを取ろうと試みるが、それは固く固定されているのか、ビクともしなかった。
「何やってるんですか?」
そんな不自然な格好の彼を見て、ステラは問う。
「いや、ここに何かあるんだが……取れないんだ」
それを聞き、ステラとシオンは顔を見合わせた。そして、どうせ掃除をするのだ。いっそ動かしてみようと、全員でそのキャビネットを移動させることにしたのだが……。
「なんだこれ?」
「えーと、床下収納、ですかね?」
そこには、宝石が埋め込まれた取っ手と、怪しげな札のついた小さな収納扉があった。