第25話 泡のような恋心
文字数 1,957文字
美優はそのころ、D川の側にいた。大通りから川へと近づくと途端に暗くなり、川向こうの建物の明かりを頼りにいつもの場所へと向かう。
彼女がそこに来たのは、LINEで呼び出されたから。背の高い草の間に座っている人影がぼんやりと見えた。川畑である。
川畑は美優に気が付くと立ち上がって手を広げた。美優は控えめにその中に収まる。
「勉強お疲れさま」
川畑は優しく言った。美優は頷く。
「また分からない問題があったんだ」
「オッケー。あとで解き方を教えてあげる」
二人は暫く抱き合ったあと、ゆっくりと体を離した。美優がふと地面に置かれたペットボトルが二本あることに気付いて、誰かいたのかと尋ねる。
「さっきまで真中が来ていたんだ」
「帰ったの?」
不安そうに美優は川の方を見た。
「あいつさ、心配性なんだよな。全部ばれるんじゃないかってまた弱気になってたから、呼び出したんだ」
川畑はうんざりした口調で答える。美優は怯えた様子で聞いていた。またやってしまったのだろうか、美優はそんなふうに思っていた。
「眠ってしまった?」
美優がおそるおそる言うと川畑は笑った。
「大丈夫だよ。真中は生きてる。家に帰ったんだ」
あまりに川畑が陽気に言うので、美優は余計に怖くなったが調子を合わせ「そうだよね」と返した。
「もしかして、美優まで弱気になっているのか?」
川畑はまじめな口調になって尋ねた。美優はドキリとしたが、慌てて否定する。
「全然だよ。だけど、川を見たら少し思い出しちゃって」
「なるほどね。まあ、だから真中をここに呼んだんだけどさ」
川畑はその先の答えを美優に問いかける風に言った。美優はテスト問題を解くときのような気持ちで頭を捻るが何も浮かばない。
「ごめん。私には分からないや」
「大丈夫。これはレベルが高い問題だから。あのね、この場所に来たら、恐ろしくなるだろう?」
「うん」
「あのときのことを思い出して恐怖を感じる。僕はそうだろうと予測して真中を呼んだんだ。だいたい真中は弱気になって、他人にいらないことを暴露してしまいそうだったから、もしそんなことをしたら同じ目に合うのだと思わせたかった」
「同じように……」
美優は恐ろしくなって少しだけ足を引いた。川畑は気付いて近寄る。
「今更いい子ぶるなんて勝手すぎると思わないかい?」
「……うん」
消え入りそうな声で美優は答えた。
「でも安心して、美優にはしないよ。だって美優は真中と違って優秀だからね。ほら、聞かせてくれないか? 今日のおばさんの様子を。見事なものだったのだと思っているけど、どうだった?」
川畑は目を輝かせていた。美優は唾を飲み込む。
「校庭の柵のところまで佳代さんは来ていたの。それで役所の人がやってきて。連れて行った」
「刑事はいたかい?」
「うん」
「朝比奈さんだね」
「そう」
「父さんに報告しなきゃ。彼は今回の功績で、出世するよ」
川畑は美優をねぎらうように腕に触れた。美優は体を堅くしていた。
「川畑君のお父さんは警察も思い通りなんだね……」
「上のほうで繋がっているから。それに、父さんは頭がいい。僕の頭は父さん譲りなんだ」
「これで佳代さんは……退学」
美優は寂しそうに一瞬したが、それは川畑に悟られる間もない程だった。
「確実だろうね。インサイダー取引は法律違反だから」
「牢屋にいれられるの?」
「父さんが言うには、そこまでは難しいらしいって」
「そうなんだ」
「何か心配?」
「佳代さんは……沢山分かっている気がする。私なんかよりずっと賢くて、気付いたらいろいろ分かっていて……いつかすべてを知ってしまう……んじゃないかな」
美優は川畑の機嫌を伺いながら慎重に言った。。
「確かに、あのおばさんは、学校の連中に比べると、ちょっと面倒なタイプだったね」
「きっと諦めないと思う。だから……今からでも……」
美優が言い淀む間に川畑は一笑した。
「もう犯罪者なんだ!」
川畑は叫んだ。
「犯罪者の言うことなんてもう誰も信じない。これはね、父さんに教わった。発言というものはその中身より誰が言ったかが重要なんだ。理屈より事実より、発言者。著名で信頼されている人物が言ったことは無条件に受け入れられ、少々の間違いや偽りがあっても事実となっていく。だから、もし自分の意見を通したいのなら、相手の評判を下げるのが手っ取り早いってこと。僕は父さんの力も借りてそれを実践した。見事なものだろう? もうあのおばさんが何をどう騒いでも誰も耳を貸さないし、僕の地位を脅かすことはできないんだ」
川畑はD川に向かって中指を立てた。美優はぶるりと震えた。
「そろそろファミレスにでも移動しよう。勉強、教えて欲しいんだよね?」
川畑に言われた美優は小さくなって立っていた。川畑が美優の手を引き、大通りのほうへと歩いていく。美優は振り返って川を見た。あぶくが割れる音がした。
彼女がそこに来たのは、LINEで呼び出されたから。背の高い草の間に座っている人影がぼんやりと見えた。川畑である。
川畑は美優に気が付くと立ち上がって手を広げた。美優は控えめにその中に収まる。
「勉強お疲れさま」
川畑は優しく言った。美優は頷く。
「また分からない問題があったんだ」
「オッケー。あとで解き方を教えてあげる」
二人は暫く抱き合ったあと、ゆっくりと体を離した。美優がふと地面に置かれたペットボトルが二本あることに気付いて、誰かいたのかと尋ねる。
「さっきまで真中が来ていたんだ」
「帰ったの?」
不安そうに美優は川の方を見た。
「あいつさ、心配性なんだよな。全部ばれるんじゃないかってまた弱気になってたから、呼び出したんだ」
川畑はうんざりした口調で答える。美優は怯えた様子で聞いていた。またやってしまったのだろうか、美優はそんなふうに思っていた。
「眠ってしまった?」
美優がおそるおそる言うと川畑は笑った。
「大丈夫だよ。真中は生きてる。家に帰ったんだ」
あまりに川畑が陽気に言うので、美優は余計に怖くなったが調子を合わせ「そうだよね」と返した。
「もしかして、美優まで弱気になっているのか?」
川畑はまじめな口調になって尋ねた。美優はドキリとしたが、慌てて否定する。
「全然だよ。だけど、川を見たら少し思い出しちゃって」
「なるほどね。まあ、だから真中をここに呼んだんだけどさ」
川畑はその先の答えを美優に問いかける風に言った。美優はテスト問題を解くときのような気持ちで頭を捻るが何も浮かばない。
「ごめん。私には分からないや」
「大丈夫。これはレベルが高い問題だから。あのね、この場所に来たら、恐ろしくなるだろう?」
「うん」
「あのときのことを思い出して恐怖を感じる。僕はそうだろうと予測して真中を呼んだんだ。だいたい真中は弱気になって、他人にいらないことを暴露してしまいそうだったから、もしそんなことをしたら同じ目に合うのだと思わせたかった」
「同じように……」
美優は恐ろしくなって少しだけ足を引いた。川畑は気付いて近寄る。
「今更いい子ぶるなんて勝手すぎると思わないかい?」
「……うん」
消え入りそうな声で美優は答えた。
「でも安心して、美優にはしないよ。だって美優は真中と違って優秀だからね。ほら、聞かせてくれないか? 今日のおばさんの様子を。見事なものだったのだと思っているけど、どうだった?」
川畑は目を輝かせていた。美優は唾を飲み込む。
「校庭の柵のところまで佳代さんは来ていたの。それで役所の人がやってきて。連れて行った」
「刑事はいたかい?」
「うん」
「朝比奈さんだね」
「そう」
「父さんに報告しなきゃ。彼は今回の功績で、出世するよ」
川畑は美優をねぎらうように腕に触れた。美優は体を堅くしていた。
「川畑君のお父さんは警察も思い通りなんだね……」
「上のほうで繋がっているから。それに、父さんは頭がいい。僕の頭は父さん譲りなんだ」
「これで佳代さんは……退学」
美優は寂しそうに一瞬したが、それは川畑に悟られる間もない程だった。
「確実だろうね。インサイダー取引は法律違反だから」
「牢屋にいれられるの?」
「父さんが言うには、そこまでは難しいらしいって」
「そうなんだ」
「何か心配?」
「佳代さんは……沢山分かっている気がする。私なんかよりずっと賢くて、気付いたらいろいろ分かっていて……いつかすべてを知ってしまう……んじゃないかな」
美優は川畑の機嫌を伺いながら慎重に言った。。
「確かに、あのおばさんは、学校の連中に比べると、ちょっと面倒なタイプだったね」
「きっと諦めないと思う。だから……今からでも……」
美優が言い淀む間に川畑は一笑した。
「もう犯罪者なんだ!」
川畑は叫んだ。
「犯罪者の言うことなんてもう誰も信じない。これはね、父さんに教わった。発言というものはその中身より誰が言ったかが重要なんだ。理屈より事実より、発言者。著名で信頼されている人物が言ったことは無条件に受け入れられ、少々の間違いや偽りがあっても事実となっていく。だから、もし自分の意見を通したいのなら、相手の評判を下げるのが手っ取り早いってこと。僕は父さんの力も借りてそれを実践した。見事なものだろう? もうあのおばさんが何をどう騒いでも誰も耳を貸さないし、僕の地位を脅かすことはできないんだ」
川畑はD川に向かって中指を立てた。美優はぶるりと震えた。
「そろそろファミレスにでも移動しよう。勉強、教えて欲しいんだよね?」
川畑に言われた美優は小さくなって立っていた。川畑が美優の手を引き、大通りのほうへと歩いていく。美優は振り返って川を見た。あぶくが割れる音がした。