第9話 夜の川の危うい輝き
文字数 1,984文字
高台に建つ十階建ての真っ白なマンションは数キロ離れたD川のほとりからでも良く見える。佳代の住まいはそのマンションの最上階であったが、引っ越し前に住んでいた1Kアパートで使っていた家具をそのまま持ち込んでいて、特に不自由もないので買い替えてもいなかった。
「今日持ってきたワインはね、ずっと売れ残っていて、きっと店長の価格設定が強気すぎたんだと思う」
グラスに注いだワインを片手にマンション最上階の窓際へと近づくのは、スーパー時代の同僚、英子だった。大きな体にワインが瞬時に吸い込まれていく。
「言い眺めねえ。お酒が進む。ほら佳代さん、月明かりに川の流れが反射していて綺麗」
英子は言ったが、佳代はテレビの前の座卓に座ったまま動かなかった。二人はいずれも四十代独身。スーパーの担当業務は違っていたが年や境遇が近いこともあって二ヵ月に一度くらい食事会をする仲だった。
「その綺麗な川で、同じクラスの子が亡くなったんだ」
佳代は言った。英子は初めて聞く話に神妙な顔をした。
「事故? こんな寒いときにわざわざ泳がないよね?」
「夜中に川に入ったこと以外は分かってないの……直前にクラスの別の子と会っていたかもしれないけれど……」
「なんだか有耶無耶な物言いね……佳代さんがそんな態度のときは、その子が関わっているって思っているのね」
「でも、その子は会っていたとは認めてもいないから」
「あら、認めると困ることでもあるのかと思っちゃうわね」
「そうなのよね。私も気になっちゃって……受験勉強中の高校生が夜中に友達に会いに行ったのはどうしてだと思う? 今時なんだからスマホくらい持っていて連絡は取れるはずなのにわざわざ」
「夜に人と会うのは……後ろめたいことをしにいくためじゃない? ほら私がこのマンションに来るもの夜でしょう? 今日、私が来たのは、今の店長の悪口を言いたくて言いたくてしかたがなくなったから――」
英子はワインを注ぎに座卓へと戻ってきて、また口を開く。
「ほら、受験生はストレスがたまるって、パート仲間で子持ちの人たちは口を揃えるじゃない」
「それも亡くなってしまったら、分からないまま」
佳代は目の前の皿をぼんやり見る。英子がスーパーから持ってきた洋風総菜であったが、綺麗に盛り付けられたまま佳代は手をつけていなかった。
「会っていたっていうのは亡くなった子と仲良しだったの?」
英子は尋ねた。
「そう。クラスで同じグループだった。それから相手の子は生徒会長。とても賢い子」
「あぁ、賢い子か。なら面倒に巻き込まれたくないのかしらね、スーパーでも社員の人たちはパート同士の諍いを見て見ぬふりするじゃない」
「でも友達が亡くなっているんだよ。私なら、友達が亡くなったら、勉強どころじゃない。どうして死んでしまったのだろうとか、助けられなかったのだろうかとかものすごく考えるだろうし、自分に出来たことなんて殆どないかもしれなくても後悔してやりきれないと思う。それに……根拠はないけど、私には彼らの間にもっと陰湿な事情があるように感じたの。巻き込まれたくないなんて程度ではなくて、絶対に隠しておきたい、隠ぺいしなければならない、そのくらいの気持ちを感じた」
「考え始めると食事が進まない」
英子は佳代の皿を指差して言った。
「知りたくなっちゃうのよね。駒場君が亡くなったときに何が起こっていたのか」
「当人が頑なだったら、警察じゃない? 警察って一応事故でも調べに来るから。ほら、前に店長が表の看板を掃除しようと梯子であがったのはいいけど落ちちゃったときのこと、覚えてるでしょう?」
「頭を打って意識不明になった件ね。病院に運ばれて暫く集中治療室に入ったって」
「当時、刑事がお店まで来たでしょう。事件性がないか調べなきゃいけないって」
「シフトに入っていたパートがひとりずつ事情聴取されたのよね。確か……朝比奈って刑事だった」
「ねえ、朝比奈さんにその駒場君のことも聞きに行けば? こっそり教えてくれるかもしれないよ。なにせ、朝比奈さん、佳代のことを褒めていたもの。私もだけどパートの皆が、当時の店長の人望のなさから、彼の行動なんて知りませんってそっぽを向いていたのに、佳代さんは開店から事故が起こるまでの間の店長の行動を全部把握していたって」
「レジから見えていたことを話しただけだけど」
「そうだとしても警察内の報告書を作るのにとっても役立ったって。佳代さんの観察力は刑事みたいだって」
佳代はそう英子に言われ、警察というのは事故だと殆ど明らかであっても念のためと現場や関係者から話を聞かなければならないと朝比奈が話していたのを思い出す。
佳代が職員室で耳にした警察が当初駒場の死に疑いを持っていたという話からも、駒場の遺体や溺れたという現場を調べつくしていると想像できるし、誰と一緒にいたかということも当然調べたのだろう。
「今日持ってきたワインはね、ずっと売れ残っていて、きっと店長の価格設定が強気すぎたんだと思う」
グラスに注いだワインを片手にマンション最上階の窓際へと近づくのは、スーパー時代の同僚、英子だった。大きな体にワインが瞬時に吸い込まれていく。
「言い眺めねえ。お酒が進む。ほら佳代さん、月明かりに川の流れが反射していて綺麗」
英子は言ったが、佳代はテレビの前の座卓に座ったまま動かなかった。二人はいずれも四十代独身。スーパーの担当業務は違っていたが年や境遇が近いこともあって二ヵ月に一度くらい食事会をする仲だった。
「その綺麗な川で、同じクラスの子が亡くなったんだ」
佳代は言った。英子は初めて聞く話に神妙な顔をした。
「事故? こんな寒いときにわざわざ泳がないよね?」
「夜中に川に入ったこと以外は分かってないの……直前にクラスの別の子と会っていたかもしれないけれど……」
「なんだか有耶無耶な物言いね……佳代さんがそんな態度のときは、その子が関わっているって思っているのね」
「でも、その子は会っていたとは認めてもいないから」
「あら、認めると困ることでもあるのかと思っちゃうわね」
「そうなのよね。私も気になっちゃって……受験勉強中の高校生が夜中に友達に会いに行ったのはどうしてだと思う? 今時なんだからスマホくらい持っていて連絡は取れるはずなのにわざわざ」
「夜に人と会うのは……後ろめたいことをしにいくためじゃない? ほら私がこのマンションに来るもの夜でしょう? 今日、私が来たのは、今の店長の悪口を言いたくて言いたくてしかたがなくなったから――」
英子はワインを注ぎに座卓へと戻ってきて、また口を開く。
「ほら、受験生はストレスがたまるって、パート仲間で子持ちの人たちは口を揃えるじゃない」
「それも亡くなってしまったら、分からないまま」
佳代は目の前の皿をぼんやり見る。英子がスーパーから持ってきた洋風総菜であったが、綺麗に盛り付けられたまま佳代は手をつけていなかった。
「会っていたっていうのは亡くなった子と仲良しだったの?」
英子は尋ねた。
「そう。クラスで同じグループだった。それから相手の子は生徒会長。とても賢い子」
「あぁ、賢い子か。なら面倒に巻き込まれたくないのかしらね、スーパーでも社員の人たちはパート同士の諍いを見て見ぬふりするじゃない」
「でも友達が亡くなっているんだよ。私なら、友達が亡くなったら、勉強どころじゃない。どうして死んでしまったのだろうとか、助けられなかったのだろうかとかものすごく考えるだろうし、自分に出来たことなんて殆どないかもしれなくても後悔してやりきれないと思う。それに……根拠はないけど、私には彼らの間にもっと陰湿な事情があるように感じたの。巻き込まれたくないなんて程度ではなくて、絶対に隠しておきたい、隠ぺいしなければならない、そのくらいの気持ちを感じた」
「考え始めると食事が進まない」
英子は佳代の皿を指差して言った。
「知りたくなっちゃうのよね。駒場君が亡くなったときに何が起こっていたのか」
「当人が頑なだったら、警察じゃない? 警察って一応事故でも調べに来るから。ほら、前に店長が表の看板を掃除しようと梯子であがったのはいいけど落ちちゃったときのこと、覚えてるでしょう?」
「頭を打って意識不明になった件ね。病院に運ばれて暫く集中治療室に入ったって」
「当時、刑事がお店まで来たでしょう。事件性がないか調べなきゃいけないって」
「シフトに入っていたパートがひとりずつ事情聴取されたのよね。確か……朝比奈って刑事だった」
「ねえ、朝比奈さんにその駒場君のことも聞きに行けば? こっそり教えてくれるかもしれないよ。なにせ、朝比奈さん、佳代のことを褒めていたもの。私もだけどパートの皆が、当時の店長の人望のなさから、彼の行動なんて知りませんってそっぽを向いていたのに、佳代さんは開店から事故が起こるまでの間の店長の行動を全部把握していたって」
「レジから見えていたことを話しただけだけど」
「そうだとしても警察内の報告書を作るのにとっても役立ったって。佳代さんの観察力は刑事みたいだって」
佳代はそう英子に言われ、警察というのは事故だと殆ど明らかであっても念のためと現場や関係者から話を聞かなければならないと朝比奈が話していたのを思い出す。
佳代が職員室で耳にした警察が当初駒場の死に疑いを持っていたという話からも、駒場の遺体や溺れたという現場を調べつくしていると想像できるし、誰と一緒にいたかということも当然調べたのだろう。