第27話 崩壊の時

文字数 4,330文字

A高校の正門をパトカーに乗ったまま佳代は通った。もし佳代一人であれば、見張っていた主任に止められていたかもしれないが主任としても警察が来たとなれば、簡単ではないようだった。それでも主任はパトカーが停まった校舎裏まで走ってくると朝比奈に説明を求めていた。

佳代は朝比奈と主任が悶着しているのを気にせず教室へと向かう。久しぶりの校舎の匂い、廊下の響く靴の音、どこからか聞こえる授業の声、何もかもが懐かしく思えるのと同時に、帰ってきたのだという感覚を覚えていた。ここは私の学校、そう思えていたのだ。

教室に入ると国語の教師が驚いた顔で佳代を見た。生徒たちも明らかにざわついた。それでも佳代が遅刻してきた生徒がやるように頭をちょこんと下げて自分の席へと向かうと、生徒たちが不安そうに見たのは川畑のほうだった。

「佳代さん、あなたはここに来てはいけない筈では?」

川畑が立ち上がって言った。随分驚いたようで、冷静を保とうとはしていたが、声が少々うわずってもいた。

「美優ちゃん。ありがとう。私はもう大丈夫。それからあなたも、大丈夫だから」

佳代は川畑を無視して席に着くと、隣の美優に声をかけた。美優は立ち上がった川畑から見えないようにと体を小さくしていたが、佳代が隣に座ると顔を上げ、ホッとした笑顔を見せた。

「ごめんなさい。私、怖くて、ずっとどうしていいか分からなくて」

「いいから。あとは私に任せて」

佳代は美優の肩に手をやった。川畑はそれを怪訝そうに見やりながら、松葉杖で国語教師のところまで行って非難する。

「どうにかしてください。佳代さんは罪を犯した人です。学校は生徒である僕たちをあの人から守るべきです」

国語教師は川畑に迫られ、職員室へと走っていき、担任教師を連れてきた。担任は佳代を見ると目を丸くして驚いた。

「佳代さん、脱走したんですか? それはまずい」

担任教師はそう言うと、佳代を羽交い絞めにしようと襲い掛かった。美優がそれを止めようとするが、払いのけられる。

「皆、助けて」

佳代は生徒たちに言ったが、生徒たちは近づこうとはせず、川畑の言葉を待っていた。

川畑は松葉杖で教室の外を指す。

「先生、早く佳代さんを連れ出してください。僕たちは授業をしなければならないんです」

「川畑君、私はもう全部知っているよ」

佳代は言って、さらに続ける。

「君はずっと試験でカンニングをしていた」

佳代を羽交い絞めにしていた担任教師がその瞬間力を強くした。

「止めなさい。早く教室から出るんだ」

「やりかたも分かってる。駒場君から答えを聞いていた。彼の毎回の問題用紙が破られていたのは、そこに答えを書いて川畑君にこっそり手渡していたから。そうだよね?」

担任教師に振り回されながらも佳代は叫んだ。川畑は歯を食いしばるように黙っていた。

「皆も少しは知っていたんじゃない?」

佳代がそう言うと、生徒たちの一部が顔を見合わせたり、一歩騒ぎから遠ざかろうとしたものがいたりと、少々動揺した。

「先生も、いつからかは分からないけれど、気づいていたんでしょう? だけど注意はできなかった」

「そんな筈がない。不正を見過ごすなんてことはしない」

担任教師の否定はひどく慌てたもので、佳代を押さえつける力がその瞬間抜けていた。佳代は彼のその反応で図星だったのだろうと思っていて、するりと担任教師の腕から離れた。

「皆、佳代さんは株の売買で不正なことをしたんだ。逮捕されているのに、こんなところにやってきて、関わったら僕たちも警察から事情を聞かれたりするかもしれない。受験どころじゃなくなるんだ。だから関わっちゃいけない。こんな悪党の言うことをまともに聞いちゃ駄目だ」

川畑は必死の形相で言っていた。

一方、佳代は教室の真ん中で、生徒や教師をぐるりと見渡しながら、呼吸を整える。明らかな嫌悪と敵意を剥きだしにしている川畑。威厳を保とうとしているのだろう衣服を直す担任教師、一度は床に倒れていたが立ち上がり、しっかりと自分の足で立つ美優。震えている真中、周囲の動きに合わせようとしているのか、周りをやたら観察しあっている生徒たち。

佳代は教室の人間たちをつぶさに見ていた。そして生徒たちに告げる。

「川畑君から逃げるならいまのうち。早い者勝ちだからね。逃げ遅れた人たちは一緒に悪事に手を染めた人扱いされてしまうよ。そうなったら……大学受験はどうなるかな。ちなみにね、川畑君の推薦入学は残念だけど取り消されてしまうと思う。何故って……彼こそが、警察に逮捕されなくてはならない人だから。ねえ、真中君、あの日、君は川畑君のやったことの一部始終を見ていたんじゃない? もしかしたら手を貸したのかな? 駒場君に飲み物をあげたのは君だった……。睡眠薬の入ったペットボトルに覚えはない? 水泳の得意な駒場君が危険だと分かっている冬の夜の川に飛び込んだのは……眠っていたから……。さ、皆、どうする? 生徒会長を信じられなくなった人は……受験勉強頑張りたい人は、一度この教室から出て欲しい。この教室にいるのは、悪い人だけ。そうしましょう」

佳代の言葉に生徒たちはそれまでよりハッキリと周囲と相談を始めていた。川畑は松葉杖を振り回しながら反論する。

「先生、滅茶苦茶です。佳代さんは名誉棄損もいいところです。嘘ばかりを並び立て、僕をいじめようとしているんです。先生なら信じてくれますよね、僕が駒場を殺すなんて、ありえないんじゃないですか。」

川畑が“殺す”という言葉を言った瞬間、女子生徒の一人が小さな悲鳴を上げて、教室から逃げていった。すると一人また一人と同じように逃げ出す生徒が現れ、次の瞬間には生徒たちが一斉に走り出した。

「おい、真中、待て。お前、分かっているのか?」

川畑が叫んで、逃げようとしていた真中の背中を引っ張るが、彼は振り払って生徒たちの波と同一になった。

「落ち着きなさい、授業中です。戻って来なさい」

担任教師は生徒の間に入って止めようとしていた。国語教師もそれに合わせて声をあげていた。すると廊下に主任が現れた。

「先生、すみません。高田佳代さんが暴れて」

担任教師が言うと、主任は出て行く生徒をかき分け入ってくると、担任教師に耳打ちし、校庭のほうを指差した。

「警察が動いている」

主任がそう言ったのが佳代には聞こえていた。朝比奈がパトカーの中で言っていたのは、川畑の父親とつながりのある警察署長よりさらに上役に事の顛末を上申するというものだった。署長を飛び越えてそのようなことをするのは、警察の通常のルールとしては推奨されないことではあるが、そうでもしないと朝比奈の立場が危ういという事だったが、おそらくうまく話が通ったのだろうと佳代は思った。

主任の話を聞いていた担任教師は顔色を変えて、川畑のほうを見ていた。

「先生、助けてください。僕は先生のクラス運営に一生懸命協力してきました。生徒会長として学校がよくなるように頑張ってきたんです」

川畑がそう主張する中、国語教師が生徒に交じって逃げていき、主任も後ろを振り返りながらも廊下へ戻っていく様子に気づいた担任教師は顔を引きつらせながら後ずさっていた。

「先生。生徒を見捨てるんですか? いいんですか、僕の父は教育委員会とも繋がりがあるんですよ」

松葉杖をつきながら担任へと近づいていく川畑を佳代は見守っていた。一度下がった株価は、しかもそれが信用を失っているとなれば、地の底まで落ちていく。最後に少々手を伸ばそうとする者がいて持ち直しても、それは到底あてにはできないもの。誰だって逃げ遅れたくはないのだから。

教室には佳代と川畑、それに美優の三人になっていた。

川畑は美優に泣きそうな顔ですがろうとしたが、佳代が近づくのを制止した。

「美優ちゃんに私の行動を逐一報告させていたんだよね」

佳代は言った。美優は知っていたのかとショックの顔で俯いた。川畑は唾を床に吐く。

「うるさいな。何の恨みがあるんだ。おばさんに関係ないだろう? 大人ぶって、俺たちの学校生活に、若者の世界に口を出してくるのはおかしいんだ」

「年齢は関係ないよ。大半の高校生は真面目にきちんと生活していて、私は昔、そういう高校生だったし、大人になってからも同じ。きっとクラスの皆も普通に大人になるの。でも君は違う。カンニングしたり、友達を殺してしまったり、きっと駒場君は罪の意識に耐えられなくなったんでしょう? 全て先生に吐露したいとでも君に相談したんじゃないかな。そうなったら君は大変。推薦入学どころじゃなくなるし、きっと実力じゃ希望の大学になんていけないんだよね。だから最低の手段にでるしかなかった」

「あいつ、脅して来たんだ。次のテストから答えを教えないって。今まで散々そうしてきたのに、推薦入学の決まる大事な試験の前にそんなふうに言うんだ。滅茶苦茶じゃないか。だいたい答えを教えるように提案してきたのはあいつなんだ。僕と元々知り合いだった美優を気に入ったって、あいつは女子と会話するのめっぽう苦手だから、紹介して仲を取り持ってくれって。僕が面倒だって断ったら、その代わりテストの答えを教えるからって」

「駒場君が美優ちゃんを? あなたたちが付き合っているっていうのは教えなかったの?」

「最初はつきあっていなかった。だけど、そのうちに……ほら、美優ってそこそこ可愛いしさ。でも、付き合いだしたなんて駒場に言ったらテストの答えが貰えなくなるじゃないか」

美優はそこまで聞いて、川畑の松葉杖を奪い取り、彼の体を思い切り押した。川畑は床に転がり、ひどく痛がる。美優は彼が起き上がろうとするのを見ることなく、背を向けて教室を出て行った。

「成熟しているふりして、ものすごく幼稚……。きっと他の皆より、あなたは幼いんだと思う。だからって許されることは一つもないけれど……」

佳代が言うと、外から朝比奈やその他刑事がやってきて、川畑を確保した。川畑はそれでも騒いでいたが連行される。

佳代は窓際に佇み、やりきれない気持ちになる。同じ高校に通う年長者として、何かやれることはあったのだろうか。川畑や駒場の関係性を見極め、事が起きる前に手を打つことはできなかったのだろうか。

だが佳代は、川畑と駒場がテスト中に答えを書いた紙をやり取りしていることさえ気づいていなかった。周囲が気にならない程集中できていたのか、それとも眠っていたのか。いずれにしても、自身も大人ではあるが、まったく完璧ではないのだと佳代は思う。高校を卒業し、大学にも行って学べばもうちょっとうまくできるようになるのだろうか。

なんだか自信がないと思いながら、窓の外に見える校門からパトカーが音もなく去っていくのを見送った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み