第11話 模試と居眠り

文字数 2,688文字

駒場が亡くなってから一週間が経った日曜日、佳代は模試を受けるために登校した。午前二科目をこなし、昼食後の最初の科目、百分程度のテストを受けている。A高校は業者の全国模試を受験生のために利用しており、休日に校舎を使っての開催となっていた。

テストのためだと復習を随分したし、参考書もいくらか読んだ佳代であったが問題を前にすると手が止まり、眠気で体が揺れ始める。設問にも回答にもさっぱり知らない言葉が並んでいた。一方、周囲の生徒たちは次々と問題を解いていく。

佳代が勉強に力を入れたのは駒場のことを考えないようにするためだった。教師や川畑に対する違和感が消えた訳ではなかったが、美優たち受験生のためには日常を取り戻すのが重要だとも思っていたからだ。

とはいえ生徒たちは早々にいつもと同じ風に授業を受け、休憩時間には受験対策の話題があちこちで語られ、塾で受けたらしい模試の結果を見せあっては志望校に合格できるだろうかと話し合うようになっていた。佳代は毎日、周囲の会話に耳を傾けていたが、誰も駒場のことを話さなかったし、ある朝、教室に入ると駒場の席がなくなっていた。

さすがに早すぎるのではないか。佳代はそう思って担任に抗議しようとしたが、自身以外の誰もそのことに気が付いていないのか話題にすることさえなく静かにしていた。

人生最大のイベントの一つであろう大学受験。佳代は経験がなかったが改めて周囲の様子を伺っていると鬼気迫るものがあった。

進学校だから余計だろうというのは英子の意見だったが、学習に一生懸命なのはもちろん、体調管理も厳しく、学校から摂るべき栄養や質の良い睡眠に関してアドバイスがあったり、やる気を維持し不安を軽減させるために担任教師がこまめに面談を行ったりするのを実際に目にすると、自身の場違いさが強調されるようには感じるのだった。

模試の最中、突如ゴンという音がして、答案用紙に向かっていた生徒たちの動きが一瞬止まる。音の出どころは佳代の席で居眠りしてしまった彼女が頭を机にぶつけたのだった。

「先生、集中できないです」

そう声をあげたのは川畑だった。川畑が担任に告げたのは、まず佳代が眠そうに身体を揺らすのが視界に入って気が散ること、頭を机にぶつけるなどして音が立つこと、たまに独り言を言っていることだった。佳代は川畑だけでなく、他の生徒たちも迷惑そうな顔をしているのを見て目が覚めた。

「ごめんなさい」

佳代は謝った。その後すぐに教室は、再び生徒たちが前傾姿勢になって次々にシャーペンを動かす空間へと戻った。問題用紙をめくる音があちらこちらで響き、問題が解かれていくのが分かる。隣の席の美優も集中していた。佳代はまた段々と眠たくなった。

目の前に机が迫ったところで佳代は覚醒する。駄目だと思うと余計に眠気が襲ってくる気がしていた。慌てて頭を持ち上げた。大きな音を立てて、高い集中力で問題を解いていく生徒たちの邪魔をしてはいけない。

「受験生を対象にした模試ですし、開催が日曜日になりますから、佳代さんは必ずしも受けなくてもいいです。代金もかかりますしね」

数か月前、模試の申し込み期日に担任からそう言われたのに、行けるのであれば大学にも通ってみたいと思い始めていた佳代は申し込んだのだった。

ゴンという音が再び教室に響き、佳代は机の下にいた。ねぼけたまま椅子からずり落ちたのだった。

生徒たちが手を止め佳代に注目していた。教卓側の生徒が担任教師に何か訴えかけている。集中できないという声が佳代の耳にも届いた。担任が頷き、佳代の元に歩いてくる。

「佳代さん、静かにしてください」

額を押さえる佳代に担任は言った。佳代は頭を下げ、うるさくするつもりはないのだと答える。

「皆必死なので、集中を乱すようなことは困ります」

担任は言った。生徒たちはまだ佳代に注目していた。

「ごめんなさい。問題が難しくて……」

佳代は答える。

「すみません、僕にも言わせてください。佳代さん、皆んな命懸けでやっているんです。この模試で志望校をほぼ決めるんです。なのにこうやって集中を乱されれば、もしかしたら志望校を変更しなくてはならなくなるかもしれません。僕たちは佳代さんと違って、道楽で高校生をやっている訳ではないんです」

そう訴えかけたのは川畑だった。

道楽なんかではないけれど。佳代はそう思ったが、他の生徒の集中を削いでしまっているのはそのとおりだと思っていた。

「ごめんね、試験の邪魔になったみたい」

帰り道に佳代は美優に謝った。

「私は集中していて気にならなかったよ」

「音を立てたのは良くなかったなあって反省してる。だけど、川畑君の言った、道楽で高校生をやっているというのは、決して私はそんなつもりじゃないって分かって欲しいけど」

「私は思っていないから安心して」

「年齢は皆より随分上だけど、私も大学入試受けるつもり。だから勉強も一生懸命やらなきゃね。でも今日の模試の結果はきっと全然駄目」

「佳代さんは三年生から再入学だし、大変だと思う。でも、模試が駄目なら推薦もあるし、あっ、でも今年はもう終わっちゃってるから……来年?」

「推薦なら試験がないのだったかしら?」

「大学によるけど、例えば川畑君が推薦で合格した大学だったら高校の成績と当日の面接だけだったと思う」

「そっか。川畑君は推薦だったね。――あれ?」

推薦であればテストを受ける必要がなく、川畑は既にその頃には受験勉強から離れている筈だった。

「ねえ美優ちゃん、川畑君て、どうして模試を受けたんだろう?」

「模試はみんな受けるものだよ。ほぼ強制っていうか、私たちも志望校判定知りたいし」

「そうじゃなくて、川畑君。彼はもう入試は受けないんじゃない?」

美優はあっという顔をして口に手を当てた。そうなのだ、川畑は模試をうける必要はなかったし、当然集中を途切れさせられたとしても彼の人生が変わることはないのだ。

「多分、お金。払ったから。勿体無いから受けたんじゃないかな」

「うん、そうね。きっとそう。だけど……」

佳代はそこで話を止めた。川畑は既に受験勉強をやらなくていい筈で、日曜日にわざわざ模試を受けなくてもいいし、なにより模試中に音を立てたり眠気でふらついていた佳代に不満を告げる必要性も低い。

しかし佳代が模試中に川畑から感じていたのはかなり強い反発と敵意であった。彼がそうまでの気持ちを持っていたのは、自身のためではなく生徒会長として周囲の生徒を想ってのことか、もしくは佳代が教室で駒場の死について迫ったことへの反抗なのか。

答えに行き着きはしなかったが、佳代はやけに嫌な感じを抱えていた。
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