第8話 常識的な親と証言

文字数 2,788文字

駒場の自宅は公営団地の三階にあった。構造の同じ建物が複数並ぶ団地の敷地で佳代は迷ってしまい、近隣住民に尋ねてようやく目的地に到着した。

「何回も電話したんだよ」

建物の一階で立ち尽くしていた美優が泣きそうな顔で言った。美優の手は握り込まれいて、それは訪れたことのない場所であったことや通夜というあまりに不慣れな行事への参加であることで不安が強かったからだった。

「ごめんね。スマホを家に忘れちゃって、地図がなくてさ」

「信じられないよ、スマホなしの一日なんて」

佳代は高校に入学してからスマホをすっかり手にしなくなった。元々電子機器が得意ではなく、年を取って目が遠くなると触れることがめっきり減ったうえ、高校の規則としてスマホを学校に持ち込むことは禁止されており、佳代はたまには校則を守るのも高校生らしくていいかと守っているものだから余計に疎遠となっているのだった。

「叱られないかな」

美優が漏らした。佳代はキョトンとしていた。

「誰に?」

「駒場君のお母さん。だって、学校ですごく怒っていたでしょ?」

「怒ってなんていたかしら」

「大きい声を出して、ちょっと暴れてた」

「一生懸命だっただけだと思うよ。息子さんが亡くなったのだもの。想像できないくらいに必死な気持ちになるのだと思うよ」

佳代は美優に微笑みかけた。しかし美優の足取りは重たかった。駒場の母親の騒ぎが彼女の一生懸命さがもたらしたものなのだとしても、近寄るのが賢い選択だとはとても思えない。

きっと教師たちは母親をあしらっており彼女の疑問や要望には答えなかったのだろうから、美優たちを見ればここぞとばかりに鬱憤を吐き出すに違いないのだ。

団地の階段は薄暗く、美優は禍々しさを感じ、いきなり包丁を突き付けられるような展開が待っているのではないかと思った。

「このたびは……」

駒場家は父と母、それに本人と妹の四人家族であった。自宅は角部屋の2LDK。少々手狭なようで、家具や日用品があふれかえっていた。

佳代が頭を下げると美優は震えながら同じようにした。佳代は駒場の遺影に手を合わせ、瞳から涙を流す。

「先生にまで来て頂けるだなんて」

母親が佳代の姿から教師であろうと判断してそう言った。

「いえ、私は教師ではなく生徒です」

佳代が答えると駒場の母は驚いてすぐに謝り、佳代の事情を駒場から聞いていたと前置きした後、感激した声を出した。

「学校から関わるなと言われているのだろうと想像していたから、なによりお友達に来てもらえるなんて思ってもいませんでした」

駒場の母親は泣きそうになっていた。佳代は彼女を改めて見て常識的な大人であると感じ、教師たちから学校に押し掛けてきたことを随分冷ややかに責められ、厄介な保護者、所謂モンスターペアレントだと扱われていたことが気の毒になった。

「皆でお別れをしに来られたらよかったんですが、時間に追われているみたいで」

佳代が言うと母親は頭を下げた。

「いいんです。息子もここ最近は受験のこと以外は頭になかったような状態でしたから。それに息子の身体はまだ警察から戻してもらえておらず……。でも来てもらって、本人はとても喜んでいると思います。一学期が始まったとき、すごくいいクラスに入れたと言っていて、友達に恵まれたのだと思っていました」

「駒場君が特に仲の良かったのは川畑君たちですね」

佳代はさらりとそう言ったが、背後で美優が息を飲んだ。母親の表情も固くなっていた。

「川畑君と言うんですね。息子は反抗期もあるのでしょうか、友達を詳しく語ることは少なくて、だから名前までは分からなかったんです。それでもずっと一緒にいる子たちの存在は感じていました。いつもスマホでやりとりして、毎週のように集まって、夜もふらりと呼ばれて出ていくこともあったんです」

母親はそこまで言って黙った。佳代は彼女が何か続きを言おうとしているのだろうと待った。母親は父親に視線で問い、了解を取ってから話を始める。

「あの日、事故のあった日です。私はあの日、息子がその川畑君たちと一緒だったのではないかと思うんです。そして一緒にいた子たちが事故について何か知っているんじゃないかと。もしかしたら目撃したんじゃないかとさえ思えて仕方がないんです」

「だから学校に来られて、先生たちに訴えかけたんですね。話を聞きたいと」

「はい」

「でも川畑君はその夜家にいたと言っています。だいたい受験前だから皆で集まるようなこともなくなっていたと」

「確かに一学期に比べて減ったとは思います。それでもスマホでのやりとりは食事中にもあったようですし、外出して戻ってきた様子から友達と遊んで来たのだろうという日もありました」

「金曜日もそうだったと」

「私がお風呂から出たときに、部屋から玄関へ向かう息子とすれ違ったんです。手にしっかりスマホを持っていました」

「行き先を聞かれたのですか?」

「はい。でも「ちょっと」と答えただけでした。ただ、あの子が「ちょっと」と言うときには、だいたい友達と会うのだと思っています。コンビニにいくなら「コンビニ」とか、行き先の名前を言うことが多い子だったので」

佳代は母親の話しかたから、冷静さを一生懸命保ちながら説明していると感じていて、だからこそ彼女の言っている内容に真実味があると思えていた。

「やっぱり川畑君たちは駒場君と会っていたんだよ」

通夜からの帰り道、佳代は美優にそう言った。美優は控えめながら頷いたが、暫くして首を捻った。

「そうだとしたら川畑君が嘘をついているってことだけど、私にはそうも思えなくて」

「川畑君は信用できる?」

「生徒会長だし、先生からも信頼されてる。クラスの中心で率先して面倒な雑用を引き受けてくれるし。あのね、佳代さんが入学してくるって分かったとき、クラスの子たちはすごく年上の人がやってくることを不安に思っていたの。慣れ親しんだクラスの雰囲気が変わっちゃうんじゃないか、細かなマナーなんかを指摘されたり叱られたりするんじゃないか、一番は授業が止まったり遅れたりするんじゃないかって思ってた。だけど川畑君は大丈夫だって。人生経験がある大先輩なんだからお互い高めていけるんだって言ってくれたんだよ」

「そうなの? 全然知らなかった」

佳代は美優の話に驚いていた。確かに入学したとき、クラス委員でもあった川畑はあれこれと学校のルールを教えてくれていて、そのテキパキとした言動からとても頭がよい子だと思った記憶があった。一方、彼の態度は無味乾燥気味で、佳代が場を和まそうと言った冗談も受け流すようであったから、そうまで熱い気持ちでいたとは露ほどにも思わなかったのだった。

「お通夜に行ってよかったって思ってる。佳代さんのおかげ」

佳代が黙っていると美優が笑顔で言った。とても緊張したが、自分でも気が付いていなかった心のつっかえが取れた気がすると美優は話した。
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