第10話 歯切れの悪い刑事

文字数 4,166文字

警察署の目の前まで来たところで、美優が急に歩みを止め、佳代を振り返る。

「佳代さん、警察署って緊張するね」

美優は入口に立つ警察官に視線をやりながら言った。ごく普通の高校生が警察署を訪れることはそうあるものではなく、警察なんてサイレンを鳴らすパトカーが騒がしいくらいの存在でしかない。

しかし実際に警察署までやってきて、警察官を間近で見ると、相手は警棒や拳銃を持ち、その気になれば実力行使できるのだろうことを美優は実感してしまうのだ。

「何も怖いことなんてないよ。警察は私たち市民の味方。悪人以外は恐れる必要ないの。それにね、ここの警察署に知りあいの刑事がいるから」

佳代と美優は、授業が終わってそのまま警察署に来ていた。佳代は、美優であれ誰であれ、クラスメイトたちは勉強に忙しいのだろうと考え一人で来るつもりであったが、お昼休憩で美優と雑談する中でその話をすると、佳代一人に背負わせるのも違うと言ってついてきたのだった。

「大丈夫かなあ。何か不安」

美優はそう言って歩みを再び進め、佳代と並んで入口に向かった。

入口に立っていた警察官は、佳代たちをちらりと見たが何も言わず、しかし通り過ぎた後で振り返り監視していた。警察署は五階建ての古い建物で、入口すぐのところに窓口があり受付がある。佳代は堂々と窓口の正面に立った。

「先週起きたD川での事故について聞きたいんです」

佳代ははっきりと尋ねた。窓口の内側で面倒くさそうに顔をあげた中年警官が怪訝な顔をする。

「おたくは?」

「D川で亡くなった駒場君と同じクラスの者です」

「あなたが担任の先生で、そちらのお嬢さんが生徒?」

「違います。私も生徒です」

「冗談はいいよ。警察は忙しいんだから」

「いえ。本当に生徒なんです」

元気に答える佳代の隣で美優が頷き同意の意志を示していたが、警察官は逆に怪しむ表情を見せた。窓口の向こう側の職員たちが少々色めき、それを察した美優は不安に思って佳代の背中に隠れる。

「朝比奈さんに会いにきたんです。刑事の朝比奈さん、いるでしょう? 上の階かしら」

佳代は警察官たちの様子に動じず、通路の奥にある階段へと進み出す。窓口の警察官が慌てて止めた。

「勝手に入っちゃ駄目だよ」

「朝比奈さんを呼んでもらえますか?」

佳代はにこやかに頼んだ。実存する刑事の名を告げられた警察官は仕方なさそうに内線電話をとり、捜査課に繋いだ。

朝比奈という刑事は二十代。目つきがとても鋭い男であり、佳代は慣れていたが、美優は刑事課の窓際の小さなテーブル席に通され面と向かったとき、顔を合わせるのを反射的に避けた。

「高田佳代さん。どうもご無沙汰しています。例の件では佳代さんの証言に随分助けられたんですよ」

朝比奈は美優の緊張を汲んで笑顔を向けた。彼の話しかたは目つきとは正反対で優しく穏やかなものだった。

「D川でクラスメイトが亡くなったんです。事故だと報道されていたんですけれど、朝比奈さん、ご存じでしょう?」

佳代は出されていたお茶に手をつけず、早速本題に入る。朝比奈は少々拍子抜けした様子で背もたれに深く座りなおした。

「ええ。知っていますよ。僕も現場にいきましたし、一連の捜査にも関わりましたから。そうですか、佳代さんのお嬢さんが同じクラスだったのですね。若い命が失われるというのは事情がどうあれ、あまりに残念です」

朝比奈は佳代と美優が親子であると勘違いしていた。佳代は致しかたないという気持ちで自らが高校に通っていること、駒場や美優と同じクラスであることを説明した。

「スーパーを辞めて高校に? 驚きました。僕は勉強に追われる生活に舞い戻る勇気はないです」

「楽しいものですよ。若い人たちと一緒に青春するというのは。けれど勉強にはちょっとついていけていないです。皆本当に熱心で。駒場君を悼む余裕もないくらい」

「事故が受験生たちに影響がないか心配していましたが何よりです」

朝比奈はさらりと言った。佳代はじっと担任を見つめて深刻そうに話す。

「駒場君が亡くなったとき、その場に他の生徒がいたのではないかと思っているんですが、警察は事実を知っていますよね?」

佳代は単刀直入に尋ねた。

「これは急なご質問ですね」

「知りたいんです」

「そう言われましても捜査の内容は……明かせないですね」

「相手の名前には当たりがついています。川畑君という子です。駒場君のお母さんはその夜、誰かに呼びだされて出ていったと言っていますが、駒場君と仲の良かったのは川畑君でした」

佳代はそう説明したが、朝比奈はすぐには答えず視線も動かさなかった。佳代は朝比奈があえて視線を反らさないように努めているのを感じ取っていた。少々動揺しているのかもしれないと佳代は思った。

「ご家族の証言というのは、いろいろと感情が混ざるものなんです。つまり誰かと会っていたということについてもすべてをそのまま受け取るのはよくないですね」

朝比奈は暫く黙ったあと言った。

「そうは思いませんでした。お母さんはとても冷静でいましたよ」

佳代が堂々と話す隣で、美優はその部屋を行き交う刑事たちから注目されていると感じて気まずそうにしていた。

「だとしても……警察には守秘義務というのがありますからね」

「なら……駒場君のご家族にならどうです? 事件の被害者家族であれば、警察が調べて判明したことを知るべきでしょう」

「報告はある程度やりますが……」

「なら私は駒場君のお母さんかそれを教えてもらいます」

佳代がそう言うと朝比奈は困った表情を浮かべた。

「佳代さんはどうしてこちらに? ご家族に頼まれたのですか?」

「いいえ。私は、担任の先生が何か隠し事をしているなあと感じたから気になってしまったんです。それに、川畑君は仲の良かった友達が亡くなったのにお通夜にも出席しようとせず関わりたくない様子だったから、何か事情がありそうだなって思って」

「なるほど……しかし大丈夫ですよ。警察がしっかり調べていますので、ご心配は無用です。本件に事件性はありません」

朝比奈は大きな笑顔を作って言った。

「ただの事故だと仰るのですね」

「そうです」

「足を滑らせて川に落ちたのですか?」

「いえ、足を滑らせたような跡は見つかっていません……水泳部ですし、気晴らしに泳いだんじゃないでしょうか」

朝比奈はそう答え、話し過ぎたという顔で周囲を気にした。佳代は構わず続ける。

「水泳部なら、逆に危険性を誰よりも分かっていたんだと思いますけど」

「どうでしょう……」

朝比奈は少々狼狽した様子を見せていた。佳代は彼の様子から、彼も何かしら隠しているのではないかと感じ始め、質問を続ければぼろが出てくるのではないかと期待していた。

「まだ、駒場君のご遺体はここにあるんでしょう? 何か調べているんじゃないです?」

佳代は駒場の母親から聞いたことを想い出し尋ねた。朝比奈は聞かれたくなかったのか、また周囲を気にした。

「警察の捜査は完了しています。特に疑わしいことはありませんでした。手続きのために少々時間がかかっただけです」

「手続きってどんなものですか?」

早口で答えた朝比奈が言い終わらないうちに佳代は大きな声でそう尋ねた。朝比奈は慌てて立ち上がる。

「もう終わりにしましょう。僕も忙しいんです」

「関係者の皆が隠しごとをしているなんて変ですよ」

「隠しごとなんてありませんよ」

「私には分かります。皆、都合の悪いことを隠しているときの態度です」

佳代は座ったまま言った。美優は隣で怯えたように小さくなっていた。朝比奈はいらいらした声で答える。

「たまにいらっしゃるんです。ちょうど佳代さんくらいの年代のかたに多い気がします。周囲で起こった事故に、探偵気取りで関わってくるひと」

朝比奈は言い終わると立ったまま茶を飲んだ。佳代は首を捻る。

「私が探偵気取り?」

佳代は驚いた顔をし、隣の美優は気まずくてしかたがないというふうに、佳代の腕を引いた。朝比奈が座り直す。

「少々言葉が過ぎたかもしれません。あくまで佳代さんは一般のかたで、なにが言いたいかというと、捜査というのはそう簡単なものではないということです。聞き込みも証拠探しも経験が必要です」

「私は長くスーパーで働いてきましたから、毎日いろいろなお客さんと接してきました。だから、他人様が嬉しそうとか困っているとか怒っているとこかはなんとなくでも感じ取れて、担任の先生や同級生の様子が明らかにおかしかったんですよ」

「スーパーの経験なんて……。すみません、気を悪くなさらないで。ただ、事案の顛末を推察し、最終的に突き止めるのは警察官でも簡単ではないんです。経験に加えセンスのある者だけが刑事として任務につけるのですから、素人の佳代さんに真似ができるものではとてもないです」

朝比奈は控えめな態度を見せつつも、刑事としてのプライドがあるのだというふうに語気は強く、佳代に帰宅を促した。

「ひとつだけ。将来有望な若者たちなんですから、そこのところは十分に理解してあげてくださいよ。高校に悪評が立ったら、受験にも悪影響がでるものです。特に生徒が亡くなったというような話は大きなマイナスでしてね、大学によっては面倒を嫌って試験の点数が良くても問題を抱えた高校出身者を不合格にすることもあると聞きます。そのお隣のお嬢さんも大学には行きたいんでしょうから、まあ、ほどほどに」

朝比奈は最後にそう告げた。佳代は朝比奈が強硬な雰囲気であったから簡単ではないだろうと考え、ご忠告どうもと歩き出した。美優はその隣で頭を下げ、警察署から少々離れたところで立ち止まった。

「佳代さん、もう調べるのは止めない? 私、怖くなってきた」

「朝比奈さんのことが怖い? 大丈夫。私がいるから」

「そうじゃなくて……受験だから。刑事さんたちが学校に来たら動揺するし、何が起こっているのか気になってしかたがなくなるよ。駒場君のことはとても悲しいけれど、不運な事故に遭ったんだと思う。とにかく先生も刑事さんも、駒場君の事故だったって断言しているのだから、きっとそうなのだと思う」

佳代は美優が絞り出すように話すのを最後まで聞き、頷いた。人生を左右する大学受験。確かに自身が騒いだことで生徒たちの不利益となるのは本意でない。佳代は暗くなった夜道を美優に一歩近づいて駅まで歩いた。
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