第20話 保護者の過剰

文字数 2,308文字

朝七時。佳代はいつもより早く目が覚めた。恐ろしい夢を見ていた訳でもないのに鼓動が早かった。

部屋の空気がいつもと違うような気がして、ベッドから出て廊下に立つ。玄関扉の向こうに何かがいるような気がして落ち着かない。するとインターホンが鳴って、後ろに転げそうになった。

「きっと起きていらっしゃると思いましたよ」

部屋の液晶に映っていたのは、一階のロビーに立つ中年男性だった。佳代はその男に見覚えがはっきりとあった。

訪問者は川畑の父であった。大事な話があると言った川畑の父を佳代は部屋の前まで通す。

「まだ寝間着なので」

佳代は玄関を少しだけ開けて対応した。

「かまいません。話をしたいだけですから」

川畑の父はスーツ姿で、不敵に笑った。きっと息子のことできたのであろうと佳代は思う。しかし、息子を庇うために来たのか、それとも息子の失態を詫びにきたのかは読み取れない。

「学校をおやめになるとか」

川畑の父は言った。

「担任の先生がそう言っていました?」

佳代は穏やかに首を横に振り、とぼけた様子で聞き返した。

「いえ。主任から聞いたんです。学校として、高田佳代さんには校則違反と事故の責任をとってもらうと。親としてはそこまでやってもらえるのなら、表沙汰にしないでおこうとも思っています」

「そんなことを伝えにわざわざこんな時間に……」

「ご本人の意思を是非とも確かめておきたいと思いましてね」

「出かける準備をしなければならないのでもういいです? 女性の朝は忙しいんです。立派な紳士でいらっしゃるので、お分かりかと思いますけど」

佳代はそう言って扉を閉めようと力を入れる。しかし川畑の父は足を挟み閉じられないようにした。佳代の答え次第では押し入り凶行を働きかねない雰囲気を帯びている。

「素直に従ったほうが賢明だと思うが」

「私がもし賢明だったら、そもそも高校を中退することもなかったかもしれないわね」 

「この街で生きていけなくなっていいのか? あんたは生徒の将来を潰そうとする人間だ。どの会社も店舗も、あんたを雇わなくなるぞ」

「そうやって他人を従わせてきたのですね。帰ってください。馬鹿らしいです」

佳代は改めて扉を閉めようとした。しかし川畑の父はしっかりと足をいれたままだった。

「女の腕力なんてたかがしれているのも分かっているだろう?」

川畑の父は低くした声で言い、さらに深く足を踏み入れた。すると佳代は笑う。

「女子高生は繊細で可憐? いい年をして女を分かっていないのね」

佳代は言い終わった瞬間に、扉を閉めるのではなく勢いよく開け、拍子抜けした川畑の父が少々バランスを崩したのに合わせて飛び出し体当たりした。川畑の父は鉄筋コンクリートの壁に背中からぶつかりその場にへたり込む。

「ここで大声を出しましょうか? 私は恐怖で声が出なくなるタイプの女子高生ではないのであしからず」

佳代はそう言い捨てて部屋に戻った。川畑の父は怒りの形相で立ち上がったが、隣の部屋の住人が出てくる気配があったので慌てて去っていった。

佳代は玄関扉の覗き穴からそれを観察していて、川畑の父の足音が消えると小さく息を吐いた。

一仕事終えたという気持ちで伸びをしながらリビングへと戻る。大きな窓から随分日が昇った朝の町を眺めた。D川がゆっくりと流れ、A高校の校舎が朝日に照らされる風景は平和そのものであるが佳代の気持ちは複雑だ。

川畑の父までが必死になるというのは、やはりただ事ではないのだろう。駒場の死に川畑が関わっている、そのくらいでないとやはりおかしい。

当初佳代が疑念を抱いた時点では、最もおおごとになるとしても、川畑が事故が起こったときに駒場の側にいたことを、そうであるとばれると騒ぎになるから、受験に集中したいという理由で隠したのだろうくらいに想像していた。

しかし今は、極めて重大で深刻な事態を想像せざるを得ない。受験や推薦入学どころか、警察も動くべき事件なのだ。

ただし、美優も言っていたが、川畑が生徒会長かつクラス委員として、佳代の入学を快く受け入れてくれたのを感じていた。元々川畑も大切な同級生の一人。残念な気持ちでしかたがない。

ふと、自身がA高校にいなければ、違和感を覚えても放置していたのなら、生徒たちは平和に過ごせたのだろうかと考えてしまう。生徒たちは何かに気付いても声をあげぬまま大学へと進み、皆頭がいいのだから立派な社会人として生きていったのだろうか。

佳代はまだ川畑が駒場に行った全貌を把握できていない。つまりこのまま調べを続けなければ証拠がないという結末になるのかもしれない。そうなれば、川畑は成功者と呼ばれる道を進んでいくのだろう。

佳代はもう一度眼下を見渡す。風景の爽やかさがもやもやをそのままにはいけないと思わせる。不正は駄目だ。ルールを破って地位やお金を得ることは不平等だ。

佳代が投資で大もうけできたのも、投資をする者たちが平等に扱われているからで、投資を教えてくれた売り場の田所は、投資の世界では、魚を捌いていようが、レジを打っていようが、ベテランの投資家たちと同じ条件で勝負できるのだと言っていた。

全てを解明すればまた楽しい高校生活が戻ってくる。佳代はそう信じた。朝の空気を吸いながら登校して、眠気に耐えて授業を受けて、こっそり隣の美優と手紙を交換するような日常を取り戻したい、そう思った。

キッチンの棚に保管してある美優から初めてもらった手紙を久しぶりに取り出す。手紙といってもノートの切れ端に教師のちょっとした悪口が書いてあるだけなのに、こっそり手渡され紙を開いたときはワクワクとして、とにかく楽しくてしかたがなかった。佳代はその手紙を鞄に収め、家を出る。
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