第19話 警察への揺さぶり
文字数 2,140文字
塾に行く予定のあった美優と別れ、佳代は警察署に向かった。空腹であったし、夜になっていたので朝比奈が不在であることも想像していたが、家に待つ者がいる訳でもなく自由であった。
警察署の窓口で朝比奈を呼び出すよう頼んでいると、彼はちょうど帰宅しようとしていたらしく階段を降りてきた。
「またあなたですか」
直前まで爽やかに同僚と会話していた朝比奈はうんざりした声を出し、その鋭い目を佳代に向けた。
佳代は駒場の母親から名前を聞いたのだと話し、まずは駒場の破れていた問題用紙について警察がやったことであるかを尋ねた。
「そんなことしませんよ。だいたい鞄にあったものとして記録はしたでしょうが、注目はしていません。我々が所持品から探そうとするのは遺書くらいです。いまのところ所持品からも自宅からも見つかってはいませんが」
朝比奈は廊下の壁にもたれて答え、妻の誕生日であるから早めに解放して貰いたいと言った。
「遺書を探すだけで随分長く警察は保管していたんですね」
「警察というのはいろいろ忙しいんです」
「忙しいなら早く返せばよかったのに」
佳代も朝比奈の隣で壁にもたれて言った。朝比奈が息を飲んだ。
「いろいろ手続があるんです」
「どんな?」
「だからいろいろと」
「単純な事故ですよね? スーパーで働いているとき、知り合いのお義父さんが道端で亡くなっているのが見つかったんです。そのとき警察は念のため事件性を捜査したみたいですけれど、すぐに心臓の発作だって分かって、そうしたら数日後のお葬式には身体は戻ってきていました。朝比奈さんが駒場君の遺体を返さなかったのは……事件性が払しょくできないからではないかしら?」
「ないです、ありません」
「断言していいんですか? 後から実は……とか言うのは、騒ぎになりますよ。以前、私が投資していた会社が不祥事を起こしてしまって、しかも下手に隠蔽しようとしたものだから株価がものすごく下がっちゃったんです」
佳代は朝比奈を脅すつもりで言ったのだが、それは朝比奈は指を小刻みに動かし落ち着かない様子で、彼女には彼が隠し事をしていると確信できていたからだった。
「高田佳代さん、あなたには関係ないでしょう。だいたい警察では家族以外からの問い合わせは受け付けていませんから」
朝比奈は裏返りそうな声で言った。
「あら、ご家族ならいいのね。駒場君のお母さんからなら、私仲良くさせてもらっているからお願いしてくれると思うし、なにより彼女が知りたいことなのだから」
佳代は前のめりになって弾む声で答えた。朝比奈は鋭い目つきをすっかり曇らせ、壁にもたれたまま体を硬直させる。
「今からお電話で話してもらおうかしら。それともここに来てもらう? 朝比奈さんの奥様のお誕生日会を邪魔するのは心苦しいけれど……」
佳代が続けて言うと朝比奈は項垂れ、深いため息をついた。
「高田佳代さん、勘弁してください。本件は相手が悪すぎる。あなたも駒場君の家族も面倒に巻き込まれたくはないでしょう?」
朝比奈は壁から離れ、声を抑えて言った。
「相手って……川畑君のこと?」
「警察への圧力も凄いんです。署長の知り合いらしくて……これは絶対に内密にしてもらいたいんですが、鑑識が駒場君の遺体を溺死だけど溺れた様子がない、って言ったんですが、それも有耶無耶にすることになっています」
「溺れていない?」
「彼は着衣のまま死んでいるのが見つかりましたが、衣服を脱ごうとした痕も、何かにつかまろうとした様子も見当たらないと。つまり、水に落ちたら人間どうにかもがいて助かろうとするんですが、その痕跡がないと。もちろんすべての水死体にそれがある訳ではなくちょっと気にかかるくらいのことらしいんですが……」
「ごめんなさい、私には違いがよく分からなくて。駒場君は助かろうとしなかった、水の中でもがくこともしなかったということなの?」
「生きたままで溺死すると、水中で呼吸しようとしますから肺に水が入るんです。逆に水に入る前に死んでいるとそうはならない。ただ、今から話すのは推察ですよ。例えば意識がない状態で水に深く入ってしまった場合なんかは、水を飲めば身体は反射を起こすのですが、意識がもし戻ってもすでに濡れて重くなった服を脱ごうなんて余裕はないので、水面で溺れた場合とは違うということです」
「駒場君がそのとき意識を失っていたかもしれないのね」
「鑑識は念のため解剖をしてはと言っていました。そうすれば突然の発作やアルコール、薬物などの影響も判断できるからと。ただ、受験生たちが関係していますから、署長としては大事にすべきでないという方針で、暫く遺体を保管して、ほとぼりが冷めたところで家族に返そうとしていたんです」
「駒場君が自らの意思で川に入ったのでないのかもしれない、ということよね? なのにその捜査を、刑事であるはずのあなたが手をこまねいているってことよね?」
「そんな大袈裟なことじゃないですよ。忙しい警察組織では良くあることなんでね」
「それで刑事を名乗るつもり? あなたにとって私なんてスーパーの一店員に過ぎなくて、捜査の素人でしかないのでしょうけれど、私はきっと事実を明らかにします。その時に、くれぐれも苦しい立場に置かれないようにしたほうがいいと思う」
警察署の窓口で朝比奈を呼び出すよう頼んでいると、彼はちょうど帰宅しようとしていたらしく階段を降りてきた。
「またあなたですか」
直前まで爽やかに同僚と会話していた朝比奈はうんざりした声を出し、その鋭い目を佳代に向けた。
佳代は駒場の母親から名前を聞いたのだと話し、まずは駒場の破れていた問題用紙について警察がやったことであるかを尋ねた。
「そんなことしませんよ。だいたい鞄にあったものとして記録はしたでしょうが、注目はしていません。我々が所持品から探そうとするのは遺書くらいです。いまのところ所持品からも自宅からも見つかってはいませんが」
朝比奈は廊下の壁にもたれて答え、妻の誕生日であるから早めに解放して貰いたいと言った。
「遺書を探すだけで随分長く警察は保管していたんですね」
「警察というのはいろいろ忙しいんです」
「忙しいなら早く返せばよかったのに」
佳代も朝比奈の隣で壁にもたれて言った。朝比奈が息を飲んだ。
「いろいろ手続があるんです」
「どんな?」
「だからいろいろと」
「単純な事故ですよね? スーパーで働いているとき、知り合いのお義父さんが道端で亡くなっているのが見つかったんです。そのとき警察は念のため事件性を捜査したみたいですけれど、すぐに心臓の発作だって分かって、そうしたら数日後のお葬式には身体は戻ってきていました。朝比奈さんが駒場君の遺体を返さなかったのは……事件性が払しょくできないからではないかしら?」
「ないです、ありません」
「断言していいんですか? 後から実は……とか言うのは、騒ぎになりますよ。以前、私が投資していた会社が不祥事を起こしてしまって、しかも下手に隠蔽しようとしたものだから株価がものすごく下がっちゃったんです」
佳代は朝比奈を脅すつもりで言ったのだが、それは朝比奈は指を小刻みに動かし落ち着かない様子で、彼女には彼が隠し事をしていると確信できていたからだった。
「高田佳代さん、あなたには関係ないでしょう。だいたい警察では家族以外からの問い合わせは受け付けていませんから」
朝比奈は裏返りそうな声で言った。
「あら、ご家族ならいいのね。駒場君のお母さんからなら、私仲良くさせてもらっているからお願いしてくれると思うし、なにより彼女が知りたいことなのだから」
佳代は前のめりになって弾む声で答えた。朝比奈は鋭い目つきをすっかり曇らせ、壁にもたれたまま体を硬直させる。
「今からお電話で話してもらおうかしら。それともここに来てもらう? 朝比奈さんの奥様のお誕生日会を邪魔するのは心苦しいけれど……」
佳代が続けて言うと朝比奈は項垂れ、深いため息をついた。
「高田佳代さん、勘弁してください。本件は相手が悪すぎる。あなたも駒場君の家族も面倒に巻き込まれたくはないでしょう?」
朝比奈は壁から離れ、声を抑えて言った。
「相手って……川畑君のこと?」
「警察への圧力も凄いんです。署長の知り合いらしくて……これは絶対に内密にしてもらいたいんですが、鑑識が駒場君の遺体を溺死だけど溺れた様子がない、って言ったんですが、それも有耶無耶にすることになっています」
「溺れていない?」
「彼は着衣のまま死んでいるのが見つかりましたが、衣服を脱ごうとした痕も、何かにつかまろうとした様子も見当たらないと。つまり、水に落ちたら人間どうにかもがいて助かろうとするんですが、その痕跡がないと。もちろんすべての水死体にそれがある訳ではなくちょっと気にかかるくらいのことらしいんですが……」
「ごめんなさい、私には違いがよく分からなくて。駒場君は助かろうとしなかった、水の中でもがくこともしなかったということなの?」
「生きたままで溺死すると、水中で呼吸しようとしますから肺に水が入るんです。逆に水に入る前に死んでいるとそうはならない。ただ、今から話すのは推察ですよ。例えば意識がない状態で水に深く入ってしまった場合なんかは、水を飲めば身体は反射を起こすのですが、意識がもし戻ってもすでに濡れて重くなった服を脱ごうなんて余裕はないので、水面で溺れた場合とは違うということです」
「駒場君がそのとき意識を失っていたかもしれないのね」
「鑑識は念のため解剖をしてはと言っていました。そうすれば突然の発作やアルコール、薬物などの影響も判断できるからと。ただ、受験生たちが関係していますから、署長としては大事にすべきでないという方針で、暫く遺体を保管して、ほとぼりが冷めたところで家族に返そうとしていたんです」
「駒場君が自らの意思で川に入ったのでないのかもしれない、ということよね? なのにその捜査を、刑事であるはずのあなたが手をこまねいているってことよね?」
「そんな大袈裟なことじゃないですよ。忙しい警察組織では良くあることなんでね」
「それで刑事を名乗るつもり? あなたにとって私なんてスーパーの一店員に過ぎなくて、捜査の素人でしかないのでしょうけれど、私はきっと事実を明らかにします。その時に、くれぐれも苦しい立場に置かれないようにしたほうがいいと思う」