第14話 退学と疑念

文字数 1,995文字

授業中に佳代が主任と担任から呼ばれたのは事故の翌日であった。職員室ではなく空き教室で三人相対する。主任と担任は分厚い書類を手にしていた。

「川畑君は大丈夫なのでしょうか」

佳代が部屋に入ってすぐ尋ねたのは、症状を知らされていなかったからだった。佳代自身は腕や足の擦り傷で済んだのだったが、先に救急車で運ばれた川畑の行き先は分からず、警察に聞いてもみたが個人情報であるからと教えてもらえていなかった。

「命に別状はないとのことですが、数日間は入院し、足を骨折をしているので暫く不自由な生活を強いられるでしょう」

主任がそう答えると、佳代は安堵感で座っていた椅子に体を思い切りあずけた。

「よかった。死んでしまっていたら私もうどうしていいか」

佳代は一晩中川畑の症状を思い、一睡もしていなかった。何度も蘇る事故瞬間の映像から、彼がアスファルトに強く頭を打ち付けたのかもしれないと思ったし、バイクと自転車に身体を挟まれ内臓が破裂してしまったかもしれないと思いもした。

自身はもう人生の半分を生き、年々衰えを感じていくだけであるが、相手は輝かしい未来を開いていく若者である。もしその未来を奪ってしまったのだとすればやりきれない。

「佳代さんの責任は重大だ。まずバイク通学は校則違反。そのうえで事故を犯し他の生徒に怪我を負わせた」

主任は睨みつけるように言った。担任は隣で俯いている。

「これは本校の退学処置の基準に当てはまる」

主任は手元の資料を確認しながら続けた。佳代はそうなのだろうと頷く。

「自主的に退学するのは止めないが」

主任の目くばせに合わせて、担任が一枚の用紙を差し出した。退学の申請書であると佳代は確認し、黙って受け取る。

「川畑君の親御さんも非常に憤って、一日でも早い退学をと仰っています。それから、今は謝罪さえ受けたくないとのことです」

担任が告げる。佳代は小さく「はい」と答えた。担任の様子が駒場の死を告げた時と同じく少々挙動不審にも感じたが、何も指摘はしなかった。

佳代が落ち込んで空き教室を出ると外に美優が待っていた。美優はすべてを察している様子で佳代に寄り添って歩く。

「顔色が悪いよ。保健室で休んだほうがいいと思う」

「大丈夫。寝不足なだけだから」

「眠れなかった?」

「事故の場面が頭から離れないの。信号機が見えて、自転車が見えて……川畑君の顔を鮮明に覚えてる」

佳代は目を擦った。眠気もあったが、美優と話すだけで涙が出そうにもなっていた。

校則を軽視し大人であるからという傲慢さで原付登校を行い、事故を起こしたばかりか他の生徒の命を危険に晒してしまったことも大人としてあまりに情けなく、そもそも意気揚々と高校生になったことも恥ずかしく思えてきて、そんな自身を心配してくれる美優もまた若者であるのが余計にふがいないのだった。

「川畑君も佳代さんも無事でよかったよ」

美優は佳代の頭を撫でた。佳代は堪え切れなくなり涙をこぼす。

「ごめんね、こんなおばさん」

「誰だって失敗はするよ。川畑君の怪我も治らないものではないから良かったんだよ」

「それだけが救い……とにかくもう二度とバイクは乗らないって決めた」

「自転車のほうがいいと思う。すぐ止まれるし」

「そうね……坂がないところに引っ越したほうがいいかもしれない――」

佳代はそこまで言って言葉を止めた。美優が佳代を心配そうにのぞき込む。

「美優ちゃん、川畑君って電車通学?」

佳代が突然そう尋ねたのは、彼女が原付バイクに乗って登下校しているのは長い坂があるからであったが、よく考えれば、何故川畑がその坂にいたのだろうかと思ったからだった。

「え……どうだったかな」

「彼が駅のほうから登校するのを何度か見たことがあるのだけれど。彼のご自宅ってどこかしら」

「K駅から五分くらいのところで、すごく大きいおうち」

「だとしたら……自転車で登校するのだとしても……私のマンションとは逆方向」

だいたい佳代のマンションがある高台は、そこからどこかに繋がる地区ではなかった。 つまり、交差点の手前で突然現れた川畑の自転車というのが、よく考えるとおかしいのだ。登校時、いつもは電車通学だった筈の川畑であれば、理由があって自転車に乗ったのだとしても、佳代と同じ坂を下ってくるルートを通るとは思えない。

しかも、佳代はまっすぐ走っていたところ、川畑の自転車が覆いかぶさるように前方に入ってきたのだった。となれば……佳代はゾッとして首を左右に振った。考えたくはないが、川畑がわざと事故を起こしたとしてか思えない。何のために? まさかバイク通学をしている佳代に事故を起こさせることで退学に追い込もうとしたのだろうか。しかしどう考え直しても偶発的な事故だとは思えなかった。

佳代はそれ以上美優に尋ねなかったが、ずっとそのことを考えていて、授業中の教室に戻ると他の生徒から白い目を向けられてもまったく気にならなかった。
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