【07-3】警視庁刑事部参事官 伊野慧吾(3)

文字数 2,033文字

3人のうち伊野は、卒業後の進路として警視庁を選択した。
動機はもちろん、社会正義のためとか、社会秩序を守るためとかいうような、崇高なものではなく、事務官僚は性に合わないという至極単純なものだった。

警察庁ではなく警視庁を選んだのも、東京が一番犯罪の多い都市であるという単純明快な理由だった。

伊野は喧嘩好きの<猪鹿蝶トリオ>の中でも、特に争いごとが好きで、学生時代には3人の中で周囲の学生から最も恐れられていた存在だった。
その凶暴な性格から、彼が警視庁を志向した理由は、犯罪者を相手に喧嘩三昧に明け暮れたいだけだろう――という周囲の憶測も、あながち的外れではないのかも知れない。

入庁後10年を経ずに、現在の役職に就いた伊野は、すぐさま卓抜な捜査指揮能力を発揮し始めることになる。
彼の洞察力と直観力は超人的で、難解な事件であっても、その本質を瞬間的に見抜く力を持っていた。

そしてその本質に向かって、立ちはだかる内外の障壁をことごとく打ち砕きながら、合法的に利用可能なあらゆる手段を駆使して捜査を推し進めて行ったのだ。
その結果彼は、警視庁の凶悪犯罪検挙率を、見る見るうちに押し上げていった。

しかしその一方で、上層部の意向をしばしば無視する彼の捜査手法が、警視庁幹部たちの憤懣と憂鬱の種となっていることも事実らしい。

志賀は大学卒業後に一旦当時の防衛庁に入庁した。
しかし掛け値なしの軍事オタクだったこの男は、入庁して3年も経たないうちに、「戦争の醍醐味は地上戦に尽きる」などとほざくや、さっさと陸上自衛隊関東方面隊を希望して鞍替えしてしまい、そのまま現在に至っている。

それならば最初から自衛隊に入隊するか、防衛大学にでも入ればよかったと思うのだが、そこは何か事情があったらしい。

志賀は人並み外れた偉丈夫で、身長は優に190cmを超え、体重も100kgに達する見事な体格の持ち主だった。
その上身体能力が図抜けて高く、アスリートとしても大成していたかも知れない程の男だった。

志賀の転属は尉官級での入隊であったため、通常はおざなりで済むような基礎訓練も、この男に限っては水を得た魚のように喜び勇んでホイホイこなしてしまったそうだ。
挙句の果てには追加の訓練をさせろと迫って、担当の指導教官を呆れさせたらしい。

この男も生まれた時代を間違えた口だろう。
戦国時代にでも生まれていれば、歴史に名を残すような、大それた武将になっていたかも知れない。

大蝶は大学卒業後に当時の総理府に入省し、現在は内閣官房に所属している。
伊野や志賀の目から見ても、完全に破綻していると思われるその人格や、冷酷極まりない性格を脇におくと、彼はおそろしく業務処理能力に長けた男だった。

ありとあらゆる事案を片端から処理していく能力は、内閣官房を始めとする数多の官僚の中でも傑出しているという噂だ。

それを耳にした伊野が本人にその秘訣を問うと、
「あらゆる人間的なしがらみや、感情的な思考をすべて断ち切り、物事の処理だけに集中しさえすれば、誰にでも出来ることだよ、伊野君」
と、高らかに宣言されてしまった。

世が世なら、見事な酷吏になっていただろうと伊野は思っている。
今朝の伊野の不機嫌さの主な原因は、暑さだけでなく、今日その大蝶が訪れることだった。

しかも大蝶の用件というのが、どうやら一連の失踪事件絡みらしい。
――どうせ碌でもない話なんだろうな。
そう思いながらデスクワークを続けていると、内線の着信音が鳴った。

受話器を取ると、「内閣官房の方がお見えです」という、少し緊張の混じった声が聞こえてくる。
――何をビビってやがるんだ?
伊野は一瞬苛立ったが、「通せ」と短く言って受話器を置いた。

5分程待っていると執務室のドアをノックする音が聞こえ、続けて恐る恐るという感じでドアが開いた。
ドアの隙間から受付の警官らしい制服姿の男が顔を覗かせる。

妙におどおどしたその態度にまた苛立ちを覚えたが、そこは我慢して顎で客の入室を促す。
そもそも警官たちが怯えているのは、来客に対してではなく伊野に対してなのだ。

警官がぎこちない仕草でドアを開けると、大蝶に続いて、スーツ姿の男女が入室して来た。
伊野は席を立ちもせず、3人の訪問者に応接用のソファを勧める。

すると大蝶は笑みを浮かべながら、3人掛けのソファの真ん中に腰を下ろし、後の2人はソファの後ろに立った。
伊野は席を立ち大蝶の向かい側に座ったが、2人は立ったままだ。

「立ちっぱなしだと目障りだから、座ったらどうだ?」
事情をうすうす察しつつも、伊野は2人に言った。

「いいよ。僕と並んで座るなんて10年早い」
すかさず大蝶が、2人を振り向きもせずに返す。

「お前の新しい子分かい?
運が悪かったな。
こいつの下に付けられるなんてよ」
伊野は思わず苦笑し、大蝶と2人を交互に見ながら言った。

その言葉にも2人は表情すら動かさない。
なかなか教育が行き届いているようだ。
大蝶の方はというと、無言で笑みを浮かべているだけだった。
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