【06-1】拡がる不穏(1)―1
文字数 1,392文字
10mほど後で道路の端に立ち止まり、おどおどとした態度でこちらを覗っている男がいる。
その男を見た光は深いため息をついた。
いつものように無視して帰ろうかとも思ったが、今日はあいにく
光が手招きすると、男は意外そうな表情を浮かべたが、光が笑みを浮かべながら再度手招きしたので、恐る恐る近寄って来た。
そして男が至近距離まで来た瞬間、光の回し蹴りが左上腕部に炸裂した。
たまらずよろけて路上に尻餅をついた男を、
「てめえ!いい加減に人を付け回すのは、止めろっつてんだろうが!!」
と、光は上から睨みつけて恫喝する。
この男は本人の自己申告によると
ある日自分をつけてくる沢渡に気づいた光は、自分から男に近づくと、いきなり胸ぐらを掴んで締め上げた。
日々剣道の鍛錬に励んでいる<武闘派幼稚園教諭>蘆田光にとって、男とは言え小柄で華奢な沢渡など、物の数ではなかったのだ。
締め上げられた沢渡は、自分はストーカーなどではなく、光のファンである。
夜道の一人歩きは危ないと思って警護しているのだ――という趣旨の言い訳を、必死の形相でまくし立てた。
その言葉に呆れた光は、
「あたしより弱いくせに何の警護だよ!」
と再び沢渡を怒鳴りつけると、足払いを掛けてその場に転がし、臀部に一発とどめの蹴りを見舞った。
そして、
「二度とついて来るんじゃねえぞ!」
と捨て台詞を残して、その場を立ち去ったのだ。
しかしこのひ弱なストーカーは、それから一時姿を見せなかったものの、ほとぼりが冷めた頃には、再び性懲りもなく光の後をつけてくるようになった。
最初の頃は光もむきになって追いかけ、捕まえようとした。
しかし一度光に締め上げられた沢渡は、再び捕まるのを警戒したらしく、以前より少し距離をおいて後をつけてくるようになっていた。
その上この男は、思いの外すばしっこかったので、光はそれ以後、沢渡を捕まえられなくなってしまったのだ。
そうこうするうちに、この男がただ後ろをついて来るだけで、目につくと鬱陶しい以外には大して実害のない存在であることに気づき、光は放置することに決めた。
警察に通報するという考えは、光の頭をかすめもしなかった。
そして最近ではその姿を見慣れてしまい、沢渡が付いて来ていても、ほとんど気にならなくなっていたのだった。
しかしこの日は、たまたま目についた姿が光の癇に障った。
優子の件で頭に血が上っていたからだ。
そこで沢渡を呼びつけて、蹴りをお見舞いしたという訳だ。
沢渡の方も、近頃光に追いかけられることがなくなったので、かなり油断していたようだった。
その結果まんまと光の誘いにのって、八つ当たりの一撃を喰う羽目になったのだ。
しかしおそらくこの男は全く懲りていない。
その証拠に、路上に転がされて次の一撃に怯えながらも、光を見上げるその顔は何となく嬉しそうだったからだ。
その顔を見た光は急速に気持ちが萎え、「ふう」と一つ大きく溜息をついた。
そして道に転がったストーカー男に一瞥をくれると、踵を返して早足で歩き去る。
後ろで沢渡があたふたと立ち上がる気配がしたが、あえて無視した。