【08-2】拡がる不穏(2)―2

文字数 1,691文字

そうこうしているうちに、江東区で何人もの人が行方知れずになっているというニュースが世間を賑やかし始めた。
そのニュースを聞いて、勇や富子が咄嗟に中島のことを思い浮かべたのも、自然の流れだろう。

勇が昔の同僚に問い合わせたところ、やはり警察でもその線で捜査を始めていることを、口外しないことを条件にしつつも教えてくれたらしい。
その同僚は中島の件も含め、深川警察署に合同捜査本部が設けられることになったことも知らせてくれた。

夫の友人が巻き込まれた可能性があるということもあって、その日から富子はテレビや新聞で、その後の捜査状況のニュースを克明に追うようになった。
しかし一連の事件として取り扱われていながら、未だに互いの関連性すら発見できておらず、捜査は混迷を極めているようだった。

失踪した者はこれまで一人も発見されていない。
それどころか遺留品すらほとんど残っていないそうだ。

テレビでは、どの局の番組でも連日のように事件の推移が報道されている。
それらの番組には、何だかよく解らない肩書の専門家がコメンテーターとして登場し、自分の意見や推理を開陳していた。

その中には最後に必ずと言ってよいほど、警察の捜査に対する批判めいた発言を繰り返す者もいた。
各局の番組の論調もこのところ警察批判に傾いていて、富子にはその状況が何とも鬱陶しく苛立たしい。
事件が未解決のまま長引いていることもあり、ある意味世間がそのような風潮になるのは仕方がないと思うのだが、それでも鬱陶しいものは鬱陶しいのだ。

もちろん新しい被害者が出たら出たで、富子も世間同様、
――とっとと解決してしまいなさいよ。
と思ったりする。

かと言って警察がこんな大事件で手抜きをしているなどとは、露ほども考えておらず、刑事やら警官やらが必死で捜査をしているのだろうと信じている。
従って、一方的に警察のやり方に文句をつけるだけのテレビ番組には、かなり辟易としていた。

――もう少し前向きな提案はできないのかねえ?
と、つい思ってしまうのだ。
()してや夫の親友とも言ってよい中島が、未だ消息不明なのだ。

勇は中島の勤め先を訪ねたあの日以来、一日中家に籠りきりになっていることが多い。
勿論週3回の仕事にはちゃんと出て行くのだが、それ以外は外出せずずっと家にいるようなのだ。

勇のその体たらくが、さらに富子を憂鬱にさせる。
今日も仕事に出かける際に珍しく小言を一つ二つ置き土産にしてきたのだが、勇は腑抜けたような返事しか返さない。
気持ちは分からないでもないが、勇が腑抜けていようが呆けていようが、事態は一向に改善しないのだから、もう少しシャキっとしたらどうかと思う。

そんな愚痴を岡本に言うと、
「あらまあ、ご主人のことがよっぽど心配なのねえ。仲のよろしいことで」
などと、見当違いの反応しか返ってこないので、最近では愚痴もあまり言わなくなってしまった。

そういう小さな積み重ねで、徐々にストレスが溜まっているのかも知れない。
それでも富子は、持ち前の明るい性格ですぐに気持ちの切り替えが効く。
今日も仕事は仕事と割り切って、せっせと日常業務に励んでいるのだ。

持ち場のトイレ前に着くと、「じゃあ私は先に入って始めとくから」と、まだ話し続けている岡本に言い残し、『清掃中』の黄色い立看板を置いてさっさと中に入っていった。
岡本はトイレ前の床掃除を終えてから、トイレ内清掃のサポートに入ることになっているのだ。

トイレの中には誰もいなかった。
早速取りかかろうとして、富子が清掃用の大振りな水受けをのぞくと、底に水が溜まっている。
水道の蛇口はちゃんとしまっていたのだが、よく見ると底の排水口から湧き出しているようだ。

――やだねえ、排水口がつまっているのかしら?
そう思った瞬間、排水口から大量の水が噴き上がった。
そして唖然とする富子の全身を、上から噴き下ろしてきた水が包み込んだのだ。

それから5分後。
外の床拭きを終えた岡島がトイレに入ってみると、そこに富子の姿はなかった。
不審に思って富子の名前を呼んでみたが返事がない。
個室の中を確認しても誰一人いなかった。
急に怖くなった岡本は外に駆け出した。
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