【07-4】警視庁刑事部参事官 伊野慧吾(4)
文字数 2,597文字
「で?今日は大蝶分析官自ら、何の用でお出ましなんだ?」
伊野はいかにも迷惑そうに言うと、ソファに踏ん反り返った。
「今日葛西議員が、官房長官を訪ねて来てね」
大蝶は伊野のその様子を気にもかけず、唐突にそう切り出す。
「葛西?あの与党の派閥のボスの葛西か?
そいつがどうした?」
仏頂面で訊く伊野に、大蝶は表情を微笑から苦笑に切り替えて答えた。
「どうも今回の失踪者の1人が、彼の派閥議員の姪らしいんだよ。
それで今回の事件は、もはや重大な治安問題と言ってもいいくらいだから、いつまでも警視庁任せにせず、内閣官房でも何か対策を考えろ――とねじ込んで帰ったらしい。
まったく迷惑な話だよ」
「けっ、そういう図式かよ。
俺も昨日、警視監に呼ばれてネジ巻かれたよ。
そっちにもプレッシャーがかかったというわけか。
呑み込めたぜ。
何が治安問題だよ、まったく」
伊野は心底うんざりしたように言う。
「まあそんなに渋い顔しなさんな。
その後官房長官に呼ばれて、こっちもとばっちりだったんだよ。
状況を整理して報告しろとさ。
そういう訳で今日来たんだけどね。
状況はどうなんだい?
マスコミが垂れ流している情報以外でさ」
大蝶が馴れ馴れしい口調で言うと、伊野は投げやりに答えた。
「残念ながら、こっちの情報もマスコミ連中と大差ないな」
一瞬2人の間に微妙な沈黙が流れたが、それを破るように大蝶が言った。
「まあ、付き合いも長いことだし。
お互い腹の探り合いは止そうか」
伊野がその言葉に、無言で顎を上げると、大蝶はそれを、了承の合図と受け取って続けた。
「情報交換と行こう。
こっちはこっちで、あれこれ調べて分析した情報があるんだよ。
それを開示するから、君の情報もこっちもらえると有難いんだけどね。
どう?」
「調べた情報だって?ああそうか。
お前んとこには、公安やら察庁から出向してる奴等がいるんだったな。
そいつらから情報を強請 り取ったということか。
成程」
「強請りとは人聞きが悪いね。
元同僚の誼で提供してもらったのさ」
「何が提供だよ。
大方そいつらの弱みでも握って、脅したんだろうがよ」
「まあ、その辺りは見解の相違ということで。
ところでこっちの情報だけどね」
そう言って大蝶は、無理矢理話題を引き戻す。
「警視庁の方では、地道に失踪者の足取り調査とか、周辺情報とかを調べてると思ってね。
重複しても無駄だから、この2人に<江東区>と<失踪事件>のキーワードで引っかかる情報を、ネットサーフィンさせたんだよ」
「は!それはご苦労なこったな。
ネットのゴミ情報を漁ったってわけか」
「そうそう、ほとんどゴミだったよ。
集団拉致とかアブダクションとか、暇を持て余してる奴が多くて笑っちゃうよね。
世の中平和だよ。
それで、その手の情報を手当たり次第に集めて、この2人に整理させてみたんだよね」
「大変だな、お前ら」
伊野の言葉にも、大蝶の背後の2人は無表情のままだ。
「すると、一つだけ他と違うカテゴリーが浮かび上がって来てね」
大蝶は構わず続ける。
「何だい、そりゃ?」
「集団拉致だの、UFOだのの書き込みは、まあ全部付和雷同の悪巫山戯 だった。
誰かが言い出したことに我も我もと追随して、どんどん話をエスカレートさせていくパターンの遊びね。
ところが、水とか水の音とか噴水とか、そういう類の書き込みは少数派なんだけど、悪巫山戯 の割合が極端に少なかったんだよ」
伊野は、それで?――という顔をした。
興味が湧いたらしい。
「今分かっている限りでは、連続失踪事件は荒川近辺から始まってたよね?
確か中島茂という名前の定年警官」
「よく調べやがったな。
ああ察庁関係か。
そいつは口の軽い野郎だな、まったく」
「まあ、そこは置いといて。
その事件を発端に、失踪現場が西に向かっているということは、警視庁でも把握してると思うんだけど。
そこで引っかかるのが、水というキーワードなんだよ」
「何でだよ?」
「一連の事件は荒川を皮切りに、運河や水路沿いで発生している場合が多い。
勿論そうじゃない場所でも起こってるんだが」
伊野は無言で先を促す。
「そうじゃない場所についても調べたんだけど、その場合は大きめの下水道近辺の場所が殆どだったんだよ」
「つまり何か?
一連の失踪者は全員、荒川だか運河だか下水道だかに落ちて溺れたということか?
そりゃあいくら何でも飛躍し過ぎだろう。
溺死なら遺体も上がるだろうし、そもそも何人も続けて、水に落ちるなんてことがあるかよ」
しかしその言葉とは裏腹に、伊野にも何か引っかかったようだ。
「もちろん転落事故だとは思ってないよ」
「じゃあ、江東区に突然河童でも出て来て、あちこちで人間を引きずり込んでるとでも言うのか?」
「河童とは言わないけど、その線はあるんじゃないかと思うよ。
それにしても、こんな話をしたら、いつもなら怒り出すはずの伊野君が、大人しくしてるということは、何か思い当たる節があると考えていいのかな?」
大蝶はそう言いながら伊野を覗きこんだ。
伊野は、「ふん」と鼻を鳴らして一度横を向いたが、諦めたように大蝶に顔を向けて話し始めた。
「ああ、こっちでも運河に転落したらしいという情報は入ってる。
1人だがな。
城東署の刑事がホームレスから拾ってきた情報だ。
その爺さんが言うには、運河沿いの公園で寝てたら、突然大きな噴水みたいな音がしたらしい。
それでそっちを見たら、運河から水が噴き出してきて通行人を飲み込んだんだとよ。
その証言を聞いた刑事は、水に飲みこまれたんじゃなくて、落ちた拍子に水柱が上がったんじゃないかと思ったらしい。
まあ、常識的な判断だな。
だが爺さんは、頑として水に飲みこまれたと言い張ってるようだ」
「その運河の近辺で水死体は?」
「出てないな。
だから刑事たちの見方は、爺さんの見間違いじゃないかという線に、落ち着いているがな」
「伊野君の意見はどうなんだい?」
「正直分からん。
だがお前の言う様に、今回の事件が運河や用水路近辺で多く発生しているのには引っ掛かってたのは確かだ。
下水道までは考えてなかったけどな」
「成程、さすが伊野君だね」
「気色悪いから止めろ。
で?俺から出せる情報はこの程度だが、お前官房長官に何て報告するつもりなんだ?
まさか犯人は河童でしたなんて言えねえだろ」
「まあそこは適当に誤魔化しとくよ。
それよりも僕から一つ提案があるんだけどね」
伊野は大蝶の顔に浮かんだ笑みを見て、嫌な予感を押さえられなかった。
伊野はいかにも迷惑そうに言うと、ソファに踏ん反り返った。
「今日葛西議員が、官房長官を訪ねて来てね」
大蝶は伊野のその様子を気にもかけず、唐突にそう切り出す。
「葛西?あの与党の派閥のボスの葛西か?
そいつがどうした?」
仏頂面で訊く伊野に、大蝶は表情を微笑から苦笑に切り替えて答えた。
「どうも今回の失踪者の1人が、彼の派閥議員の姪らしいんだよ。
それで今回の事件は、もはや重大な治安問題と言ってもいいくらいだから、いつまでも警視庁任せにせず、内閣官房でも何か対策を考えろ――とねじ込んで帰ったらしい。
まったく迷惑な話だよ」
「けっ、そういう図式かよ。
俺も昨日、警視監に呼ばれてネジ巻かれたよ。
そっちにもプレッシャーがかかったというわけか。
呑み込めたぜ。
何が治安問題だよ、まったく」
伊野は心底うんざりしたように言う。
「まあそんなに渋い顔しなさんな。
その後官房長官に呼ばれて、こっちもとばっちりだったんだよ。
状況を整理して報告しろとさ。
そういう訳で今日来たんだけどね。
状況はどうなんだい?
マスコミが垂れ流している情報以外でさ」
大蝶が馴れ馴れしい口調で言うと、伊野は投げやりに答えた。
「残念ながら、こっちの情報もマスコミ連中と大差ないな」
一瞬2人の間に微妙な沈黙が流れたが、それを破るように大蝶が言った。
「まあ、付き合いも長いことだし。
お互い腹の探り合いは止そうか」
伊野がその言葉に、無言で顎を上げると、大蝶はそれを、了承の合図と受け取って続けた。
「情報交換と行こう。
こっちはこっちで、あれこれ調べて分析した情報があるんだよ。
それを開示するから、君の情報もこっちもらえると有難いんだけどね。
どう?」
「調べた情報だって?ああそうか。
お前んとこには、公安やら察庁から出向してる奴等がいるんだったな。
そいつらから情報を
成程」
「強請りとは人聞きが悪いね。
元同僚の誼で提供してもらったのさ」
「何が提供だよ。
大方そいつらの弱みでも握って、脅したんだろうがよ」
「まあ、その辺りは見解の相違ということで。
ところでこっちの情報だけどね」
そう言って大蝶は、無理矢理話題を引き戻す。
「警視庁の方では、地道に失踪者の足取り調査とか、周辺情報とかを調べてると思ってね。
重複しても無駄だから、この2人に<江東区>と<失踪事件>のキーワードで引っかかる情報を、ネットサーフィンさせたんだよ」
「は!それはご苦労なこったな。
ネットのゴミ情報を漁ったってわけか」
「そうそう、ほとんどゴミだったよ。
集団拉致とかアブダクションとか、暇を持て余してる奴が多くて笑っちゃうよね。
世の中平和だよ。
それで、その手の情報を手当たり次第に集めて、この2人に整理させてみたんだよね」
「大変だな、お前ら」
伊野の言葉にも、大蝶の背後の2人は無表情のままだ。
「すると、一つだけ他と違うカテゴリーが浮かび上がって来てね」
大蝶は構わず続ける。
「何だい、そりゃ?」
「集団拉致だの、UFOだのの書き込みは、まあ全部付和雷同の
誰かが言い出したことに我も我もと追随して、どんどん話をエスカレートさせていくパターンの遊びね。
ところが、水とか水の音とか噴水とか、そういう類の書き込みは少数派なんだけど、
伊野は、それで?――という顔をした。
興味が湧いたらしい。
「今分かっている限りでは、連続失踪事件は荒川近辺から始まってたよね?
確か中島茂という名前の定年警官」
「よく調べやがったな。
ああ察庁関係か。
そいつは口の軽い野郎だな、まったく」
「まあ、そこは置いといて。
その事件を発端に、失踪現場が西に向かっているということは、警視庁でも把握してると思うんだけど。
そこで引っかかるのが、水というキーワードなんだよ」
「何でだよ?」
「一連の事件は荒川を皮切りに、運河や水路沿いで発生している場合が多い。
勿論そうじゃない場所でも起こってるんだが」
伊野は無言で先を促す。
「そうじゃない場所についても調べたんだけど、その場合は大きめの下水道近辺の場所が殆どだったんだよ」
「つまり何か?
一連の失踪者は全員、荒川だか運河だか下水道だかに落ちて溺れたということか?
そりゃあいくら何でも飛躍し過ぎだろう。
溺死なら遺体も上がるだろうし、そもそも何人も続けて、水に落ちるなんてことがあるかよ」
しかしその言葉とは裏腹に、伊野にも何か引っかかったようだ。
「もちろん転落事故だとは思ってないよ」
「じゃあ、江東区に突然河童でも出て来て、あちこちで人間を引きずり込んでるとでも言うのか?」
「河童とは言わないけど、その線はあるんじゃないかと思うよ。
それにしても、こんな話をしたら、いつもなら怒り出すはずの伊野君が、大人しくしてるということは、何か思い当たる節があると考えていいのかな?」
大蝶はそう言いながら伊野を覗きこんだ。
伊野は、「ふん」と鼻を鳴らして一度横を向いたが、諦めたように大蝶に顔を向けて話し始めた。
「ああ、こっちでも運河に転落したらしいという情報は入ってる。
1人だがな。
城東署の刑事がホームレスから拾ってきた情報だ。
その爺さんが言うには、運河沿いの公園で寝てたら、突然大きな噴水みたいな音がしたらしい。
それでそっちを見たら、運河から水が噴き出してきて通行人を飲み込んだんだとよ。
その証言を聞いた刑事は、水に飲みこまれたんじゃなくて、落ちた拍子に水柱が上がったんじゃないかと思ったらしい。
まあ、常識的な判断だな。
だが爺さんは、頑として水に飲みこまれたと言い張ってるようだ」
「その運河の近辺で水死体は?」
「出てないな。
だから刑事たちの見方は、爺さんの見間違いじゃないかという線に、落ち着いているがな」
「伊野君の意見はどうなんだい?」
「正直分からん。
だがお前の言う様に、今回の事件が運河や用水路近辺で多く発生しているのには引っ掛かってたのは確かだ。
下水道までは考えてなかったけどな」
「成程、さすが伊野君だね」
「気色悪いから止めろ。
で?俺から出せる情報はこの程度だが、お前官房長官に何て報告するつもりなんだ?
まさか犯人は河童でしたなんて言えねえだろ」
「まあそこは適当に誤魔化しとくよ。
それよりも僕から一つ提案があるんだけどね」
伊野は大蝶の顔に浮かんだ笑みを見て、嫌な予感を押さえられなかった。