第4話:子供誕生とバブル崩壊

文字数 1,526文字

 その後、夕食後、部屋でワインを飲むと大きな川の橋の欄干に明かりが灯り、幻想的な景色が見え感動的だった。こうして、酔いが回りベッドに入った。翌日、ホテルを出て神戸で降りてメリケン波止場を回ってきた。その後、列車の乗って姫路で降りてタクシーで姫路城へ行き場内を見学してきた。こうして夕方に博多についてホテルにチェックインした。

 その晩は、伊藤栄吉の両親と親戚たちが料亭に集まり飲み会が始まった。酒が入ると伊藤栄吉の幼いころのエピソードが披露された。こうして22時頃にお開きとなってホテルに戻った。翌朝、筥崎宮や櫛田神社をまわった。その後、JR博多駅から長崎に向かった。長崎駅に着くとタクシーで新地中華街へ行き時恵さんの両親と共に中華料理の昼食を食べた。

 その後、4人で眼鏡橋、大浦天主堂、最後に稲佐山、山頂展望台で夕暮れ時を迎え幻想的な景色を眺めた。翌朝は、お土産を買って長崎から列車に乗り博多へ向かった。博多から新幹線に乗り換えて昼過ぎに京都に到着し駅ビルで昼食を食べた。その後、嵐電にのって太秦映画村を見学した。その後、嵐山へ行き、渡月橋を渡った。しばらく周辺を散策して茶屋で一休みしてから京都駅に戻った。

 京都タワーに上ったが今一つであった。次の朝、朝食後、京都駅から新幹線で出発して名古屋駅で降りてタクシーで名古屋城へ行き散策してきた。そこからまた新幹線で昼に新横浜駅に到着し横浜中華街へ行き昼食を食べた。その後、横浜港、山下公園、元町を散歩して夕方、川崎のNEC近くに新しい借りた2Kのアパートに1室に入った。この頃、NEC、PC9801の改良に取り組んでいた。

 しかし、まだ、完成までほど遠く試作しては失敗の連続で多くの実験報告書を作成する仕事に追われた。やがて1990年が明けると4月2日、伊藤栄吉の奥さん、三枝時恵さんが体調が悪いと言うので産婦人科を受診すると妊娠が判明し予定日が9月28日と告げられた。8月、日経平均株価が終値ではじめて3万円を突破。外資準備高が大幅に増加し、西ドイツを抜いて世界1位となった。

 9月25日、伊藤栄吉は時恵さんを産婦人科病院に入院させた。そして1990年9月28日、元気な泣き声の男子が誕生し伊藤和臣と名付けた。伊藤栄吉が子供の写真を博多の両親と長崎の奥さんの実家に送った。こうして、2Kの借家が狭いと感じるようになった伊藤栄吉は、川崎市高津区久末の大きな4DK農家を借りた。こうして、バイクで会社まで約15分かけて通い始めた。

 そこの大家さんの農家の奥さんが殿山明子さんが伊藤和臣を可愛がってくれた。そして奥さんの様子を見に来てくれるようになった。それでも伊藤栄吉は、自分と奥さんの実家が九州であることを考え、時恵さんに育児に専念してくれと告げた。その後、軽自動車を買って買い物や気分転換に出かけるようになった。10月3日、世界では東西ドイツ統一が行われた。

 11月12日、天皇陛下の即位の礼が行われた。12月2日、TBS記者の秋山豊寛氏が日本人初の宇宙飛行士として宇宙へと旅立ち、日本では大きく報道された。1991年はいよいよバブルが崩壊し、「失われた10年」の始まりの年となった。昨年1990年8月2日、イラクによるクウェート侵攻をきっかけとした国際紛争「湾岸戦争」が起こった。

 11月29日、国連安保理は。イラクが1991年1月15日までにクウェートから撤退しない場合,イラクに対する武力行使を認めた。多国籍軍の兵員は1991年1月までに70万人にまで増強された。多国籍軍のうちアメリカ軍将兵が54万人を占め,イギリス,フランス、エジプト,サウジアラビア,シリア,その他数ヵ国の分遣隊が加わった。
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