第3話:TRONの危機、FMタウンズ、結婚

文字数 1,515文字

 しかし、TRONプロジェクトは、その後、国内外の多数の企業が参加して発展したが、1989年、思わぬ政治問題に巻き込まれることになった。当時、日本は米国との間で貿易摩擦が起きており外交問題となっていた。米国の通商代表部「USTR]は日本に対して「貿易障壁」として半導体や自動車部品などを掲げた。その候補の中にTRONも含まれていた。

 この一件で、TRONが世界で広がりにくくなったという見方はいまなお根強く残っている。1988年に4月、伊藤栄吉は、NEC川崎工場の近くの独身寮に入り工場へ通った。そして組合主催の若者向けの海水浴、登山、スキーなどに参加するようになった。その中に同じ九州の長崎出身で長崎大学経済学部卒業の三枝時恵さんがいた。

 九州弁が懐かしくてお互いに親しくなるのに時間がかからなかった。そして夏にはビアホールへ行ったり映画を見に行ったりした。10月には、伊藤栄吉が三枝時恵さんにプロポーズした。その後年末休みに入ると伊藤栄吉が三枝時恵さんの実家を訪ねた。そして、結婚したいと言い履歴書と自分の家族の話をすると彼女の両親が了解してくれた。

 こうして結婚式を1989年4月16日を東京駅近くのホテル行うことにし、新婚旅行は、大阪、長崎、博多、大阪へ4泊5日と決めた。1989年になると1月7日、昭和天皇崩御による「平成」に改元された。1989年2月28日、富士通からFMタウンズという新型パソコンが誕生した。このパソコンの全面に円形のCDを再生する装置が設置され個性的なデザインだった。

 その他、インテル80386搭載、32768色同時表示や1677万色中256色発色機能、640×480の解像度、PCM音源の標準搭載が装備されていた。それに加えて強力なグラフィック機能やオーディオ機能が特長で独自構造の32ビットマルチメディアパソコンであり当初のキャッチコピーは、「ハイパーメディアパソコン」であった。

 FMタウンズは、マルチメディア機能を生かした教育分野向けのソフトウェア、ゲームソフトが充実していた。メインメモリ2メガでフロッピーディスク2つ装着していた。それで、販売価格が39万5千円、ディスプレイをつけて50万円を越えプリンターをつければ60万円を超え高価だった。そのため、富士通は、本体と開発環境など一式を学校法人向けに無償で提供した。

 伊藤栄吉は、このパソコンはきっとマルチメディアパソコンとしてきっとヒットすると考えた。こうして4月15日となり伊藤栄吉と時恵さんが東京駅の近くのホテルに入った。緊張しながらも夕食を食べてビールを飲んで床に就いた。翌朝、着物の着付けのため時恵さんが早めに部屋を出て着物の着付けを開始した。30分後、伊藤栄吉も部屋を出て和装に着替えた。

 11時にホテル結婚式場で会社の仲間、肉親と共に結婚の誓いをした。新郎新婦は、正午から披露宴会場に行き、来客者のテーブルを回り挨拶して回った。その後、友人の司会で披露宴が始まった。そして歌や学生時代の仲間の話でなごんだ。会場でも酒が入り昔話に花が咲いた。こうして新郎新婦と両親の話となり、それが終わると披露宴も終了した。そして新郎新婦が来客者にお礼を言って見送った。

 こうして結婚式を終えると疲れが出て、夕食でビールを飲むと眠気が出て早めに床についた。翌朝、起きてから皇居を少し歩いて朝食を食べ、ホテルをチェックアウトした。その後、東京駅から新幹線で大阪へ向かった。大阪では駅ビルで昼食と食べてから大阪城見物に出かけた。その後、食い倒れの街を散策し夕方ホテルに戻ると部屋が高層階だったので大阪の川にかかる橋と遠くに大阪湾が一望できた。
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