第21話:ウクライナ騒乱、ミンスク議定書

文字数 1,560文字

 ヤヌコーヴィチの追放や新政権の誕生、EUとの連合協定の規定採択などにも関わらず、ウクライナでのロシアの影響を拒絶するために抗議運動は政府に圧力をかけ続けている。暴動後、警察機能がなくなったため、自警団がキーウの治安維持にあたったが、その一つに政党「スヴォボーダ」と繋がりのあるグループがいた。

 2013年12月の世論調査「3つの会社」によるとウクライナ人の45%~50%がユーロマイダンを支持していて、42%~50%がそれを反対していることが明らかになった。最もデモ隊を支持している地域はキーウ「75%支持」と西部ウクライナ「80%支」だった。なお、世論調査では三つの方向に意見が分かれていることが示された。

 青年層の絶対多数が親ユーロ派であるのに対し、高齢層「50代以上」はベラルーシ、カザフスタン、ロシアの関税同盟条約に賛成している。2014年が明けると2月、ウクライナ騒乱で親露派大統領のヴィクトル・ヤヌコーヴィチの失脚し、ロシアの反発した。2月20日には、ウクライナでの親ロシア派騒乱が起きた。

 2月末からウクライナ東部と南部の主要都市で親ロシア派の反政府グループが起こした一連のデモ活動のユーロマイダン運動と2014年ウクライナ騒乱の余波で起きた。「ロシアの春」としても知られる騒乱初期段階にウクライナ領土のクリミアがロシアの軍事介入を経てロシアに併合された。

 しかし、その是非を問うクリミア住民投票は国際的に「国際連合総会決議262対68の結果」に基づき批判された。ドネツィク州とルハーンシク州での抗議行動は、武装した親露派分離主義による反乱ドンバス戦争へと激化した。2014年半ば以降は、ハルキウ、オデッサ、キエフ、マリウポリなどドンバス戦闘区域の外側にある都市が親ウクライナ統一組織を標的とした爆撃に見舞われた。

 ウクライナ南部と東部にわたる統治を維持するため、ロシア政府は「テロ対抗作戦」を立案し、この騒乱を鎮圧するべく軍隊を派遣した。 ウクライナは2014年4月に「対テロ作戦」と呼ばれる親露派への反撃を開始した。2014年8月下旬までに、この作戦は親露勢力の支配下で領土を大幅に縮小することに成功し、ロシア~ウクライナ間国境の統制奪還が間近となった。

 これに応じてロシアはハイブリッド戦略を放棄し従来の方式でドンバス侵攻を開始したと米国はみなした。ランド研究所のレポートによれば2014年8月22日~25日にかけてロシア当局側が「人道的支援の車両部隊」と称したものがウクライナ政府の許可なしに国境を越えてウクライナ領土に入ったとされる。

 2022年2月24日まで一度もドンバスにロシア軍がいた事はないというNATO関係者の証言とは矛盾する。この越境は親露勢力の支配下地域のほか、支配下でないドネツィク州南東部などの地域でも報告された。これらの出来事は、前月のロシア側からウクライナ地点への越境砲撃が報道された後に起こった。

 ウクライナ保安庁長官のナリバイチェンコは8月22日の出来事を「ロシアによるウクライナへの直接的侵略」と特徴づけて語った。一方で他の西側諸国とウクライナ当局者はこの出来事をロシアによるウクライナへの「ステルス侵略」と表現した。ドンバスにおけるロシア軍の存在に関してロシアの公的機関はウクライナでの「正規武装軍」の存在を否定している。

 しかし、他の婉曲表現と共に「軍事専門家」の存在は度々認めており通常はロシアが「ロシア語圏の人々を守る」ため彼らを配備せざるを得なかったと言う。この結果、反政府勢力はウクライナ政府による以前の軍事攻撃で失っていた領土の多くを奪回した。2014年9月5日に、ウクライナ、ロシアはミンスク議定書と呼ばれる両州の自治と停戦を確立する協定に署名した。
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