第2話:株投資、NEC入社、TRON

文字数 1,485文字

 このプロジェクトが発足すると学術界のみならず企業もこぞってプロジェクトに参加を表明。TRON協議会「現在のトロンフォーラム」も設置され多くの技術者が関わるプロジェクトとして始動した。すると、その後、噂を聞きつけた他の大学や企業の研究機関が参加し盛況となっていった。1987年3月7日の9時、伊藤栄吉は、橫浜のN証券に出向いた。

 そして証券口座を開き、父から借りた100万円と自分で貯めた70万円の合計170万円のうち150万円を証券口座に入金した。昼食後、証券会社に再び行くと東京エレクトロン株が安いと言われた。そこで、1300円で千株の成り行き買い注文を出すと130万円で買え残が金が20万円となった。

 1987年の夏休み、伊藤栄吉は、NECに就職したいと考えた。そのため、就職を前提としたアルバイト研修に申し込んだ。こうして2週間かけてNECで製造部、開発部などで研修を積んで終了した。9月中旬にNECの入社試験を受けて1週間後、内定通知が届いた。それを実家の両親に伝えると喜んでくれた。

「その頃、S氏が世界初のTRONと言うプログラム構想が完成した。」
「TRONについて、S氏は、その中身の設計や仕様をすべて公開する『オープンアーキテクチャ』を公言。」
「システムの機能を定めた仕様書もソースコードも公開していた。」
「そのため、入手した人は、どのように使っても改変しても構わなかった。」
「入手したことを言わなくて良いし自分達のために作り変えたものを公表する必要もない。」

「自分で作った部分の知的所有権は守ることができる。」
「これはLinuxなど、他のオープンソース系のOSにはない斬新な試みだった。」
「S氏は、私はこれを売って儲けているわけではなく、無償で公開する。」
「だから、自由に使って社会を発展させてほしいという願った。」

「Linux等の情報処理用OSは、OSを作る人だけでなく利用する人もプログラミングができることが多い。」
「しかし、OSを改変や拡張した場合、その部分を公開せよというルールがある。」
「一方、組み込みOSの世界では、自動車とかプリンタを使っているのは、基本的に利用するだけの一般消費者」
「だから、OSの改善や改良を公開することにこだわらなくて良い。」

「組み込みOSはあくまで黒子ということでTRONは主張しない。」
「この点が評価され、逆に技術者には評判が良くて、すぐに広まった。」
「TRONを構想した1980年代初頭、コンピュータでは変化が起きつつある時期だった。」
「日本の主要メーカーはパソコンの用半導体製造をし、全方位の分野で事業を進めた。」

「しかし、多くはハードウェア中心の研究開発であった。」
「そうした流れの中でS氏はソフトウェアの方がこの先、重要になると考えた。」
「情報処理系のコンピュータと工場で機械を制御する組み込み系のコンピュータの2つの方向性があった。」
「S氏は組み込み型をやろうと考えた。」

「そのお陰でTRONは多くの機械を制御するためのコンピューター言語として広く世界中に広がった。」
 その後、国連機関の国際電気通信連合「ITU」が発足150年の式典の時、「IoTの元祖でTRONをつくったのはサカムラだ」というので「ITU150周年賞」をもらった。

 受賞した6人の中には、S氏の他にビル・ゲイツやインターネットの原型ARPANETをつくったロバート・カーンもいた。1980年代のS氏の英語は拙いものだったと思うが、それでも学術のコミュニティは、みんなわかっていてくれた。それは研究者同士で理解できていたということだ。
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