第8話 Fragile

文字数 4,656文字

 街から逃げるように出てまた三夜、風馬(ペガサス)に馬車を引っ張らせた。途中に集落を見かけたが、メリアは立ち寄りたくないと言い、通り過ぎて先を急いだ。

 深い森の中、大きな湖の(ほとり)を通過する時に、一体の傷付いた鷲獅子(グリフォン)を見かけた。

「おい、その傷どうしたんだ」

 近付きながら話し掛けたメリアに、その魔物は驚いた様子を見せる。

『わたしたちの言葉が話せるの? 妙な人の子ねぇ。わたしは間抜けだから、木の枝に引っ掛かっちゃったんだ』
「診せてみろ。……うわぁ、痛そうだな。薬を塗り付けるから、じっとしてろよ」

 小さな鷲獅子(グリフォン)が暴れる。メリアは(なだ)めようとする。

『痛いよ! そんなの塗ったら余計にひどくなるんじゃないの』
「大丈夫。これは賢い狡鬼(コボルド)が調合したんだ。良く効くんだよ」
『……本当に?』

 鷲獅子(グリフォン)は途端に大人しくなる。
 何を言い合っているのか分からないマレルとベルウンフは、不思議そうにその光景を見守っている。

 翼の付け根に薬を塗り込み、メリアは微笑みながら表皮を()でてやる。

「しばらく動かさないようにしてれば、その内に治るよ。次は木の上を飛びな。この森の中を飛ぶのは無理だろ」
『ありがとう。あなたはしばらくこの(へん)にいる?』
「いや、アタイたちは先に進むよ。ちゃんと皆のところに戻りな」

 鷲獅子(グリフォン)は機嫌良く跳ねながら去って行った。
 その姿を見詰(みつ)めていると、少し離れた所でどさっと物が落ちる音がした。三人は同時に振り返る。髪も髭も白く、日焼けで真っ黒な肌の老夫が立ち尽くしていた。

「魔物と話して……まさか、戦神か……?」

 メリアは警戒する。この老夫が助けを呼んだら、どうすれば良いのだろうか。
 ちらりとマレルを見ると、彼は気まずそうに老夫を見ていた。

 ベルウンフはたじろぎもせず、老人に近寄り脅しをかける。

「人を呼べば、この辺りは血に染まることになる。あなたが賢明なる者であれば、俺たちを見なかったことにするべきだ」

 老夫は大きな声で笑う。メリアは背負っている長剣(ロングソード)に手を掛けようとするも、マレルが真剣な表情で制止して、(ささや)く。

「例え脅しのためだとしても、その剣はもう、人の子に向けるんじゃない」

 メリアは(うなず)くと、剣から手を離した。その様子を見ていた老夫が、柔らかい声で言う。

「取り乱してすまなかった。安心してくれ。私はルキの友人だ」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「私はディドリという。ルキが戦神として西の海を守り始める前に、彼と知り合った」

 ディドリは丸太小屋に三人を招待した。
 石を積み上げて造られた暖炉(だんろ)に火を()け、寝床の布を取り長椅子にした。(うなが)されるままにマレルとベルウンフはそこに座り、一脚の小さな椅子にメリアが腰掛けた。

「じいちゃんのこと、聞かせてくれ」

 早速(さっそく)のメリアのお願いに、ディドリは(うなず)いて話し始めた。

「初めて会った場所は、まだそれほど大きくなかった頃の帝国の(みやこ)だ。私は兵団長として帝国に仕えていた。帝国が西の海へ、初めての航海のため船を運ぼうとしていた時に、彼は、皇帝に謁見(えっけん)したいと単身で都に乗り込んで来た」

 ディドリは壁にもたれかかり、目を(つむ)って続ける。

「結局、どこの馬の骨だか分からない者を謁見させるわけにもいかず、私が彼の陳情を聴くことになった。ルキは西の航路の先、アシェバラド大陸には行ってはいけないと言った。その理由も、そこに何があるかも教えてくれなかった」

 メリアが頭の上で腕を組んで、椅子にもたれて言う。

「やっぱり秘密なのかぁ。アタイにも教えてくれなかった位だから、知られるとまずいことなんだろうけど」
「もしかすると、ルキ自身にも理由が分からなかったのかも知れない」

 その言葉に、マレルが反応する。

「理由が分からないって……そんなことのために戦神ルキは人の子を殺していたってことですか」
「それは、そこのお(じょう)さんも同じだろう。理由も知らされずに帝国の兵を殺し続けている」

 メリアはついつい目を逸らしてしまう。彼女の顔を見ながら、ディドリは続ける。

「だが、ルキにアシェバラドのことを吹き込んだ者がいる。リリシアという魔導師(アークメイジ)だ」
「若い頃に病気で()ったって、じいちゃんが言ってた、アタイのばあちゃんにあたる人だ」
「病気か……おそらくそれは真実ではない。私は、彼女がアシェバラドに渡ったと思っているからな」

 傍聴していたマレルが口を挟む。

「あの本にも記されていた名だ。確か、英雄ルキと一緒に旅をした魔導師(アークメイジ)だったはず。あなたはリリシアにも会ったことがあるんですか?」
「一度だけ。私が引退してこの場所に住み始めた頃、ルキと連れ立ってやってきたことがある。人見知りらしくて、ほとんど話はしなかったが、ルキは彼女をとても大切にしていた」
「なんで、ばあちゃんがあっちの大陸に行ったって思うんだ?」

 メリアの問いに、ディドリはゆっくりと(うなず)く。

「ルキが最後にここを訪れた時、彼女と別れることになったと言った。彼女は故郷に帰るんだと。そして、彼にはこの大陸でやらなければならぬことがあるから、一緒に行けないんだと、悲しそうにしていた」
「じいちゃんは、アタイに嘘をついてたってこと?」
「お(じょう)ちゃんには色々詮索されたくなかったのだろう。あるいは、私にそれを語るつもりもなかったが、彼女との別れが辛くてついつい喋ってしまったのかもな」

 小屋の中を沈黙が支配し、それぞれ考え事を始めた。ディドリは木窓を開け、暖炉で肉を焼き始めた。
 ずっと黙って聴いていたベルウンフが声を出す。

「私は意図せずこの大陸に流されてきたが、アシェバラドとエンドラシアの間を渡ろうとすれば、定まった航路に沿って航行できたとしても、幾月もの航海をすることになるだろう。リリシアが人知れず渡ったとして、どうやって移動したんだろうか」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 鹿肉を野草で(つつ)んだ料理が振る舞われ、食べ終わる頃には、外はすっぽりと夜の闇に収まっていた。
 月の明かりに照らされた湖を、単身泳ぐメリアの姿があった。身体の汚れを落としながら、しばらく動かしていなかった筋肉をほぐしていく。湖面に身体を浮かべ、月を眺めながら、リリシアのことを考える。

 ばあちゃんは本当に大陸を渡ったんだろうか。だとしたらそのことを、なんでじいちゃんは隠していたんだろうか。アシェバラドに行ったら、何もかも全部分かるんだろうか。分かったら、何かが変わるんだろうか……。

 湖から上がり、木の上に吊るしておいた服が無くなっていることに気付く。辺りを見廻(みまわ)していると、木の陰から服を持つ腕が現れた。

「泳いでる間に洗って、暖炉の近くで乾かしておいたんだ。少し汚れてたからね。あと、上に乗せた布で髪を拭いてくれ」

 マレルは顔を見せず、腕を上下に振って服を取るように(うなが)す。
 メリアは笑いながら受け取り、まだ温もりの残る服を着た。清潔な布で髪を拭いて乾かす。

「ありがと。ちょっと臭かったからな」

 マレルも笑いながら顔を出した。

「メリア、少し話そうか」
「うん」

 ふたりは草の上に座り、湖を眺める。揺れる湖面が月から漏れる光を乱反射させており、大きな白い粒は複雑に絡み合い溶け合っていく。木々の間を微風(そよかぜ)が通り抜ける。静かな湖畔で、葉の()れる音だけが聞こえてくる。

「メリアのお父さんやお母さんのことを聞いてもいいかな」
「なんで?」
「いや……まだ聞いてなかったから。もっとメリアのことを知りたいと思ってさ」

 マレルは頬を指で()く。メリアは微笑んだ(あと)、少し(うつむ)いた。

「アタイは知らないんだ。記憶の中に、その人たちはいない。最初からあの塔に魔物たちと住んでたし、小さい頃に捨てられたって話は、じいちゃんから聞いただけなんだ。じいちゃんは本当にアタイのじいちゃんなんだって信じてるけど……」
「そうだったんだな。すまない、変なこと聞いて」
「いいさ。マレルにはアタイのこと、もっと知って欲しいからな」

 彼がメリアの顔を見る。彼女ははっとして、頬を赤くする。

「こ、この間、教えて欲しいって言ってたよね。だから、さ」

 マレルは微笑み、彼女の髪を()でる。彼女はまたしても彼の意外な行動に緊張して動けなくなる。

 その時、後ろから足音が近付いて来た。振り返ると、ディドリが剣を携えて歩いて来ていた。ふたりは立ち上がり、警戒の姿勢をとる。
 ディドリは歩みを止め、剣をゆっくりと動かしながら、メリアを見詰(みつ)める。

 やがて、溜息を()くと、彼は剣を放り投げた。

「これは、私の孫の名が刻まれた剣だ」

 ディドリは緩慢な動きでその場に座る。マレルとメリアは目を合わせ、警戒を解いて草の上に座り直した。

「私の孫は、戦神メリアに首を()ねられた。名が刻まれていたから、家族の元にその剣だけが戻って来たんだ」

 マレルはメリアを見る。彼女は眉を(ひそ)めてその告白を受け止めている。

「私はずっと反対していたんだ。兵ではなく、農民として生き永らえることを考えて欲しかった。だが、孫は帝国に尽くしたいと言って兵に志願した」
「ごめん。アタイは……」
「分かってるよ。戦神ルキの意志を継いで西の航路を守っているだけだ。だが、知っておいてもらいたい。お(じょう)ちゃんが殺してきた人の子たちは(みな)、誰かの子供であり、あるいは親であり、愛し愛される者だったということを」

 メリアの目から涙が流れ、草を濡らす。
 マレルは怒りの表情でディドリに詰め寄る。

「この娘は何度も帝国の兵を退けて、警告していたんだ。それでも帝国が躍起になって攻め込んでいたのが悪いんじゃないか。戦神ルキだって同じことをしていたのに、どうして今更、この娘だけ責めるようなことを言うんだ」

 ディドリはマレルの顔を見て、真剣な顔で告げる。

「ここを通ったと言うことは、帝国に行くのだろう。お(じょう)ちゃんは、ほとんどの帝国民にとっての(かたき)だということを伝えたかっただけだ。悪戯(いたずら)に傷付けるつもりはなかったさ」

 メリアは布で顔を拭き、ディドリに向き直る。

「アタイはそれでも行くよ。マレルだけ行かせるわけにはいかない。罰を受けなきゃならないなら、そん時はそん時だ」
「覚悟はできているんだな。……お(じょう)ちゃんにとって、この先は辛い旅になるぞ。きっとたくさんのものを失う」

 彼女は立ち上がり、月を見上げて答える。

「それでも、アタイは知りたいんだ。戦神ルキのことも、英雄ルキのことも、アタイのことも。何も知らないままじゃ嫌なんだ」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 朝陽が森を明るく照らす(とき)、ベルウンフはディドリから貰った刷毛(はけ)風馬(ペガサス)の毛並みを整えていた。その様子を近くで見ていたメリアに向いて問う。

「そういえば、メリアはこいつとは喋れないのか?」
風馬(ペガサス)は魔物じゃないもの。どっちかって言うと精霊に近いんじゃないかな」
「そうなのか。あっちの大陸にはこんなに速く走れるのは居なかったなぁ」

 マレルとディドリが小屋から出て来た。マレルは貰った数日分の食糧を抱えている。

「そろそろ行こうか」

 マレルの言葉に(うなず)き、メリアはディドリの目を見る。

「アタイ、もう人の子は殺さないよ。それで今までのことが許されるなんて思わないけど」

 ディドリは優しく微笑み、孫のものだという剣を差し出した。

「こいつに、アシェバラドの景色を観せてやってくれ」

 メリアは少し戸惑ったが、剣を受け取った。

「分かった。必ず観せるよ。アタイたちは絶対にアシェバラドへ行くんだ」

 馬車に乗り込み、ベルウンフが風馬(ペガサス)を走らせる。
 馬車の中から、メリアが大きく手を振る。
 ディドリは馬車が見えなくなるまで手を振り続けた。彼女の旅の無事を、心から願いながら。
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