第18話 Stranger

文字数 3,427文字

 長旅で各所が(いた)んでしまった船は、ぎしぎしと悲鳴を上げながら岸にぶつかるようにして着いた。舵を放し、ベルウンフは懐かしそうに、海から見える風景を眺めている。

「随分と変わってしまったな。この辺りの地形は。でも、よく覚えてるよ。ここは確かにアシェバラドだ」

 ベルウンフとキヴリはふたりで(いかり)を下ろした。
 メリアたちは、船から岸辺へ縄梯子(なわばしご)を投げ下ろし、ゆっくりと地に降り立った。
 幾月もの海上の生活を終えた安心感と、初めて見る大地を踏み締める緊張感が同時に生まれていた。

「なあ、ベルウンフ、この船、もう戻れないんじゃないか」

 ぼろぼろの左舷を(にら)みながら、メリアは彼に問う。縄梯子を降りながら、ベルウンフは船を見渡して大きな溜息を()いた。

「戻るなら、修理をしないとな。ここに停めておいて良いのかも分からんがね。この辺りには港町があったはずだが、相当に地形が変わってしまっている。やはり俺が流されてから、かなりの時間が経っているようだ」

 マレルが最後にゆっくりと、右腕でしがみつくように梯子を降りてくる。途中で足を踏み外し、勢いよく落ちて来たところをキヴリが捕まえる。

「すまない、キヴリ」
「左腕が無いのは、なかなか大変そうだな。この先、旅は出来そうか?」
「ここまで来たんだ。もちろんついて行くよ。……そろそろ降ろしてもらえるかな」

 キヴリは静かにゆっくりと、マレルを地に降ろした。
 アシュが目を閉じて何やら(つぶや)き始めた。(いぶか)しげに眺めるメリアに、キヴリが伝える。

「この大陸の風の精霊と、契約をしなおしているのだろう。失敗すれば、ここではアシュは役立たずだ」
「そんな言い方しなくてもいいじゃないか。あんたのために一緒に来てくれたんだろ」
「……そうか、そうだったな。盾くらいにはなるかも知れん」
「そういうことじゃ、ないんだけどね」

 キヴリを諦めて、怪狼(フェンリル)のナビ=デイルの(そば)に寄る。

「何か匂うか? アタイには人の子の匂いも、魔物の匂いも、ここにいる(みんな)のものしか分からないんだけど」
『そうだねぇ……。これは()びた鉄の匂いかな、妙なのが近付いて来てるみたいだ。用心しなよ』
「鉄? 鎧でも着けてるのかな」

 後ろからやって来た小人のラピ=エルダが、メリアの服を引っ張って言う。

『メリア、あれ! (たこ)みたいな灰色の奴が近付いて来るよ』

 ラピの指差す方向に視線を向けると、宙をゆらりと揺れながら、確かに(たこ)のように見える、鉄のように鈍く光を返す妙な物体が、すぅっと音も立てずにこちらへやって来た。

「なんだ、コイツ……」

 小さな声で(つぶや)くメリアの前に停まる。やはり鉄で出来ているようで、円柱状の頭からは、幾つもの不思議な素材の脚が垂れ下がり、全て途中で外側に曲がっていた。遠目では(たこ)に見えていたが、間近で見ると生物(いきもの)ではない様子だ。
 円柱がぱかっと開き、中の闇から声が放たれた。

「待っていましたよ。さあ、こちらへ……」

 人の子の、少し(しゃが)れた声。でも、なぜか懐かしい声。その声を響かせた(あと)、鉄の(たこ)はゆったりと宙に浮いたまま、元来た道を引き返して行く。

 メリアはマレルと目を見合わせる。

「どうするマレル? あの妙な奴についてくか?」
「不思議な鉄の固まりだね。どうやって浮いてるんだろう。あの声も、どうやって中から出て来たんだろう」

 アシュは笑顔でふたりの肩を同時に叩く。

「あたしたちは、長い船旅を我慢してここまで来たんだぞ。もっと堂々としてればいいんだよっ!」

 メリアは(うなず)き、鉄の(たこ)を見る。奴はこちらの動きを(うかが)っているようだ。

「そうだな、ここまで来て日和(ひよ)っていても仕方ないよな、行こうか!」

 各々が荷物を抱えたり肩に下げたりしながら、走り出す。
 アシェバラド大陸での旅は、なんだか変な奴の案内で始まったのであった。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「こいつ、どこまで行くんだよ」

 すいすいと宙を滑って行く鉄の(たこ)を追いかけながら、メリア一行は明らかに山を登っていた。すでに夕陽が落ち始めており、空を覆う雲は橙色(だいだいいろ)から黒色に変わりつつあった。

 目の良いラピが、キヴリの肩に乗ったまま、前方を指差して大声を上げる。

「明かりだ! メリア、人の子がいるのかな?!」

 確かに、遠くにぼんやりと明るくなっている場所があった。少し歩調を速めながら、鉄の(たこ)について行く。
 やがてその明かりは、木と石で造られた小さな家に掲げられた灯火(ランプ)だと分かった。

「家、だな」

 メリアたちは小さな家の前で立ち止まる。アシュが軽い足取りで扉の前に進み出て、軽く数回、扉を叩いた。打音が静かな山の中に響く。
 しばらくの静寂の(のち)、引き()るような高い音を立てて、扉が開いた。家の中から、白く長い髪の、初老の女性が顔を出した。彼女は、辺りを見廻(みまわ)すと、メリアたちを手招きした。

「……早く入りな。夜はこの辺りの魔物の動きが活発になるから」

 扉は小さく、ひとりずつ家の中へ入る。入ったところに階段があり、下りていくと、外見からは想像できないほど広い部屋になっていた。幾つもの照明(カンテラ)は、魔術ではなく蝋燭(ろうそく)に火が(とも)しているようだ。

 全員が部屋に入った。女性は扉を静かに閉めると、階段を下りながら鉄の(たこ)に命令する。

浮走器(ランダー)(みな)に椅子をお持ち」
「かしこまりました。リリシア様」

 メリアは驚き、(あお)色のローブを着た白髪の女性を凝視する。

「リリシア……ばあちゃん?」

 リリシアと呼ばれた女性は、(うなず)いて話し始める。

「私は、水の魔導師(アークメイジ)リリシアよ。エンドラシア大陸からこちらへ単身渡って、もう何十年になるかしら。まあ、ここは時間の流れがおかしいから、本当はどのくらい経ったか分からないけど」

 マレルは、浮走器(ランダー)が用意した椅子に座りながら尋ねる。

「あなたはこの大陸でも、英雄ルキに連れ立ち旅をした方とお見受けします。エンドラシアの英雄ルキと、アシェバラドの戦神ルキは、同じ人物なのでしょうか?」
「同じよ。でも、それを聞くということは、彼は記憶を取り戻せなかったのね」

 キヴリが身を乗り出して問う。

「おれの事は知らないか。おれはキヴリと言う者だ。それで、こっちはベルウンフ」

 リリシアは目を細めてキヴリを見る。そして(うつむ)き、自身の記憶を引き出そうとする。

「……私に取り()いていた災厄(さいやく)の女の記憶には、確かにあなたがいるわ。血宵(けっしょう)の戦士キヴリ。悪の王に仕えて人の子をたくさん殺した(あと)、勇者ダイフの仲間になった男」

 彼女はベルウンフに視線を移し、首を(かし)げる。

「人の子の悪事を海洋神に伝えて、魔物を生み出させるきっかけになった船乗りよね。でもどうして、ずっと昔の言い伝えに出て来る人物の名を使っているのかしら。本当の名ではないのでしょう」

 ベルウンフは首を横に振る。

「俺はその海洋神ってのと話した記憶だけが無い。それと、この大陸の千年も前の地形を覚えているし、俺の名は確かにベルウンフだ」

 リリシアは両手を叩いて、何かを理解したような表情を見せた。

「もしかしてあなたたち、エンドラシアの西の浜辺に辿(たど)り着いた漂着者(ひょうちゃくしゃ)じゃない?」

 ベルウンフが椅子から転げ落ちんばかりの勢いで身を乗り出す。キヴリも目を見開き、驚いた様子で答える。

「そうだ。何か心当たりがあるのか」
「天空神が海洋神との戦いの最中、一体の神獣を生み出したの。その神獣は、何度も何度も時間を(さかのぼ)って、この大陸のルキを使い、海洋神の呪いの破壊を成し遂げた。でも天空神は、海洋神との戦いと、その神獣に力を使われ過ぎたことで疲弊(ひへい)して狂ってしまった。時を超えて、この大陸の人の子たちをエンドラシアに移し替えているようね。しかも、誰彼構わず、めちゃくちゃな順番で」

 聴いていたメリアが彼女に問う。

「ばあちゃんは、どうやって記憶を取り戻したんだ?」
「水の精霊が、記憶を取り戻すきっかけを与えてくれたの。向こうのルキ……あなたが知ってる方のルキは、半分くらいしか信じてくれなかったけど。一緒に水の魔術の(くじら)でここまで来たら、彼も記憶を取り戻せたのかも知れないのにね」
「……じいちゃんは、誰もここに来させないようにしてたんだ。その理由、ばあちゃんなら分かる?」

 メリアの鼓動が早くなる。この大陸に来た一番の目的。
 リリシアはしばらく考えて、ゆっくりと口を開いた。

「ここに来たら、もうどこにも戻れないからよ。戻るためには、天空神を消滅させるしかない。それは、アシェバラド大陸を終わらせるということ」

 (みな)の表情が(ゆが)む。
 この言葉が、アシェバラドの最後の戦いの、始まりの合図となった。
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