第5話 Helter skelter

文字数 2,555文字

 魔物たちと一緒に西の海岸に出て、引き潮で現れた砂浜を走る。
 メリアたちの前に、朽ちた船が姿を見せた。帆を失っており、人の子の気配も無いが、小鬼(ゴブリン)を百体ほどは乗せられそうな大きさで、かつては立派な帆船だった(おもむき)がある。

「でっかいなぁ。これが船ってやつか」

 メリアの瞳が輝く。だが同時に警戒心を持つ。船の中に何かいるかも知れないし、何かが仕掛けられていないとも限らない。
 鎧を()けた小鬼(ゴブリン)の小隊が、船に梯子(はしご)を掛けて(のぼ)っていく。それを眺めていると、彼女の服を引っ張る狡鬼(コボルド)がいた。

『あっちで人の子が倒れていたぞ』

 連れられてその場所へ向かうと、人の子らしき男が、複数の狡鬼(コボルド)によって木陰(こかげ)のある所まで引き()られているところだった。

 メリアは近くに寄って男を見る。メリアと同じくらいの背丈だろうか、痩せ細った身体が横たわっている。長い航海を経たからか、顔は黒く焼け、髪は伸びていてべっとりと頭にこびりついている。さらに適当に伸びた顎髭(あごひげ)に、服は見たことのない緑色の生地で、身体と同じようにボロボロになっている。

「死んでる?」

 彼女の言葉に、灰色のローブを着た治癒者(シャーマン)狡鬼(コボルド)のミケ=エルスが答える。

『息は(わず)かだが、ある。ここは満潮になると海に沈むから、私の治癒所に運ばせよう』
「コイツが動けるようになった時、何かするかも知れない。見張りは付けといた方が良いよ」
『そうだな。まあ、この痩せ細った腕で何かできるとも思えないが、気を付けるよ』

 そう言ってミケ=エルスは男の(まぶた)を開けて()たり、体勢を横に向けさせて背中の褥瘡(じょくそう)に薬草を擦り潰したものを塗りこんでいる。

 男のことを彼に任せメリアが船に戻ると、先遣隊(せんけんたい)小鬼(ゴブリン)が、首を(かし)げながら梯子を下りてくるところだった。

『人の子もいないし、何も無い。交易品の(たぐい)の話じゃなくて、食糧すら無いし、(ねずみ)一匹いないんだ』
「それは残念。何か面白いことが始まる気がしたのになぁ」
『ふっ。メリアの存在だけでも、ワシらには面白いよ』

 鎧を着けた小鬼(ゴブリン)たちは、歌いながら梯子を持ち去って行った。
 この大きな船は、満潮時に流されないような場所まで引っ張っていく価値を持っていないようだ。仕方なく、魔物たちを撤収させることにした。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 三夜が過ぎ、メリアはミケの治癒所を訪れた。行き倒れの男の見舞いと、自分に(かかわ)る相談のためだった。ミケ=エルスが男の状態を説明する。

『この男は何かに生かされておるな。本来ならとっくに死んでいるはずなのに、思い出したかのように心臓が動き、顔色が戻るんだ。何度も何度も死の世界から無理に戻されているように見える』
「無理に生かす、か。海洋神の力みたいだな、それ」
『海洋神は今や、お前の中で眠っているのだろう。それとはまた違う力が存在しているのやも知れんな』

 ふーん、と気のない返事をして薬草を(つま)む彼女に、ミケ=エルスは問う。

『おや、何か他にも用事があるのか? いつもと態度が違うな』
「分かっちゃった? 実は、顔の傷痕(きずあと)を隠せないかなと思って」
『……出来ないことはないが、(みやこ)にでも行くのか?』
「そうじゃないけど、やっぱり理由が必要かな」

 ミケ=エルスは鼻を鳴らし、悪戯(いたずら)な笑みを浮かべる。

『調合しておくよ。戦神の頼みだ、引き受けぬわけにはいかないだろう』
「ありがとう。ミケ」

 突然、勢いよく扉が開けられ、一体の狡鬼(コボルド)が飛び込んできた。

『また人の子が漂着した! 今度は活きの良い奴だ!』

 大きな分厚い葉に乗せられ治癒所に運び込まれた男を見て、メリアが唖然(あぜん)とする。

「マレル……どうして」

 彼は蒼白(そうはく)な顔をしており、息をしているかは分からない。汚れている上に海藻が絡み付いたローブから潮の(にお)いが漂ってくる。
 ミケ=エルスがすぐにマレルの頭を身体ごと横に向け、口を開けさせて腹を押さえる。
 海水を吐き出したマレルは、何度か咳をして、息を吹き返した。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「ほら、薬草のスープだ。身体が温まるぞ」

 メリアがスープを木の器に入れて渡す。マレルは震える両手で受け取ると、それを少し(すす)って、ほっとしたような表情を見せた。

「これ、美味しいな。こんなスープ飲んだことないよ」
「そうだろ、ミケは料理がすごく上手いんだ」

 マレルは狡鬼(コボルド)のミケ=エルスをちらりと見遣(みや)る。他の患者を診ている様子は、外見以外は人の子の動きにそっくりだ。帝国の図書館で読んだ書物には、そんな魔物がいるなんてこと、書かれていなかった。

「マレル、あんた逃げたんじゃなかったのか」
「一度は逃げたよ、ご忠告通りにね。でも、本を忘れて取りに戻った。(とりで)の壁が崩れて、飛龍(ワイバーン)の炎が迫って来てたし、逃げ(まど)っていたら足を滑らせて海に落ちたんだ」

 メリアが溜息を()く。この男は放蕩(ほうとう)王子と呼ばれても仕方ないと思った。命よりも本を取るなんて考えられない。
 彼はスープを飲み、何かを思い出そうとするが、それを諦めて続ける。

「その(あと)はよく覚えてないけど、浮いてた大きな木の板にしがみついていたような気がする」
「木の板か、あの船の一部かな」
「船? この西の海の航路はもうずっと長い間、魔物たちが守ってるだろう。船が来るとしたら、アシェバラド、さらに西のラパドから漂流……はあり得ないな」
「ならやっぱり船はアシェバラドのものか。じゃあその男は、別の大陸にいた人の子なのかなぁ」

 ふたりが同時に患者の男を見ると、その手がぴくりと動いた。
 男の口が開き、ヒュー、ヒューと息を吸う音が聞こえた。そして、男は大きく咳をして、息を吹き返したように見えた。

「おい、この声が聞こえるか?」

 マレルは男の身体を横に向け、呼吸をしやすくして声を掛ける。
 男はしばらく深呼吸をして、ゆっくりと声を出した。

「あ、……あ。きこえ、……る」

 辿々(たどたど)しく発音して返事をする。目を開けられないのか、苦悶の表情を見せる。

「ここ……は、ど……こだ……」
「お前は今、エンドラシアにいる。分かるか、アシェバラドの遥か東の大陸だ」

 男は筋肉が落ちて骨だけになったような腕を支えに使い、身体を起こそうとする。マレルとミケ=エルスが助けに入り、その身体を支えて起こしてやる。
 木の柱にもたれかかり、しばらく呼吸に集中していた男は、もう一度ゆっくりと口を開ける。

「……俺の名は、ベルウンフ。アシェバラドの船乗りだ」
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