第23話 Lunatic
文字数 3,574文字
「帆に力を集めよ! 流されるな!」
パナタの号令で、魔道士 たちの力が帆に注がれる。飛行船は狂ってしまった精霊による強い横風を受けながら、空の神殿へ向かっていた。
「アタイは、ラピをエンドラシアに戻してやりたいんだ」
ベルウンフからキヴリの腕へ渡され、眠り続けているラピ=エルダを見詰 めながら、メリアは自身の望みをパナタへ伝えた。
「彼を故郷 に戻しても、魔導珠 の輝きが消えれば、彼の体と共に記憶や思い出も消えてしまうでしょう。なぜ死に場所にこだわるのですか?」
「じいちゃんが生きてる時に教えてくれたんだ。人の子や魔物、もしかすると精霊や神獣も、死んだら魂 ってのになるんだって。魂 はずっと同じところにいたり、彷徨 ったりするけれど、好きな場所には行けない。だから、死ぬ時には、自分の思い出の場所で死ぬべきなんだって」
パナタが目を移すと、気付いたリリシアが口を開く。
「私の中には災厄の魔導師 の記憶も少し残っているけれど、魂 っていうのは知らないわね。ルキはなぜそんなことをあなたに教えたのかしら」
メリアが俯 いて答える、
「分かんないよ。でも、アタイはじいちゃんの言葉を信じてきた。逆らったのはこの大陸に来たことくらいだ。後 は全部、今でも信じてるつもりだよ」
パナタは、彼女を追い詰 めるような話の仕方をしてしまったことを恥じ、溜息を吐 いた。
「天空神が今、我々の気持ちを理解してくれるのかも分からないが、出来る限りのことをしましょう。この辺りのおかしくなっていた精霊は、ほとんどが魔道士 たちの呼び掛けで正気を取り戻してくれたようです。同じように、天空神を正気に戻しましょう。それで、あなたたち皆 をエンドラシアへ帰してもらうのです」
パナタは話しながら、宙に緑色の魔法陣を描く。霧のような薄い雲が割れ、開いた裂け目を飛行船が通り抜け雲の上に出ると、広い空が現れた。蒼 と橙 色の混じった空は透き通り、空の神殿の姿をはっきりと浮かび上がらせていた。
神殿の近くには幾つもの魔物が、生気を失ったように当てなく飛んでいた。その異形の魔物たちは飛行船にまったく興味がない様子で、その視界に入っても近寄って来る気配は無い。
マレルがメリアに呟 く。
「僕はなんの役にも立たないけど、メリアの傍にいるからね。皆 、メリアの味方だ。だから……」
「うん。アタイは独りじゃない。皆 で天空神と話そう」
飛空船は空の神殿に到達した。ゆっくりと神殿の入り口に船底を着ける。魔道士 たちを船に残し、パナタとメリアたちは船を下りた。
石造りの神殿内部を歩く。くすんだ白い床に、見上げれば天井も装飾も柱も白く、他の色の存在を許さないかのような厳粛 さを感じる。
ただ、やはり長いこと訪問する者がいなかったせいか、歩を進めるたび、足元に白い小さな煙が上がり、くっきりと足跡が残る。
生き物の気配も、魔物の気配も無い。吹き抜ける風の音と、皆 の足音だけが聞こえる。
怪狼 のナビ=デイルは、新しい匂いを探す。
『一つだけ、メリアに似た匂いが混じってるような気がする。人の子でも魔物でもない。精霊とか、かなぁ』
やがて、神殿の奥、パナタが触れたことのある祭壇 が見えてきた。
パナタの足が止まる。メリアはよそ見をしていて、パナタの背にぶつかった。
「パナタ、どうしたんだ」
パナタの視線の先を見遣 ると、メリアの目に、懐かしい男の姿が映った。
「じいちゃん……」
祭壇の前に、白い服装で若い頃の姿のルキが立っていた。淡く白い光を放ちながら、ルキはゆっくりと口を開く。
「お前たちの心の中にはこの男がいる。呪いに翻弄 され最後は命を落とし、おれが気まぐれで彼 の大陸に飛ばしたら、今度は人の子を殺し続けた男だ。こんな間抜けな奴を、どうして皆 、愛しているのだろうな」
リリシアがメリアの肩に手をかけた。
「あれが天空神よ。私たちの思い出や記憶を見て、ルキの姿が一番話しやすい、あるいは私たちの心に入り込みやすいと思ったんでしょうね。注意して、嘘は通じないわ」
メリアが前に出て、ルキの顔を見詰 める。
「じいちゃん、いや、天空神……さま。お願いがあります。あの子をエンドラシアへ戻して欲しいんです!」
天空神は、キヴリが抱 えるラピを見る。
「なぜだ。眠ってばかりで邪魔になったからか」
「心が読めるなら、アタイの気持ち分かるだろ! 知らない場所で死にたい奴なんていない。魂 になっちまったら、もうエンドラシアに戻れないかも知れないんだ!」
天空神は蔑 みの目でメリアを見て、嘲笑 を浮かべる。ルキの口調で、ルキの声で話し始める。
「だから、おれは遺言 をしたんだ。この大陸に来てはいけないと。それを破ってお前たちはこの大陸に来てしまった。どんなことがあっても、受け入れる覚悟があったんじゃないのか。それとも、ここに楽園があるとでも期待していたのか? とんでもなく身勝手な話だよな」
メリアは俯 く。
……動揺しちゃ駄目だ。何を言われようと、ラピをエンドラシアへ戻してもらうんだ。
ルキは左手を上げ、宙に像を出現させた。メリアがエンドラシアで人の子の首を刎 ねている様子が映し出される。
「この像を観ろ。お前は今まで多くの人の子を殺してきた。彼らもエンドラシアで生まれ、エンドラシアで死んだからそれで良いと言うのか? それとも、自分は皇帝に許されたから、それまで殺してきた人の子のことは忘れて、自分と自分の周りの者だけが幸せになればそれで良いと思っているのか?」
メリアの目から涙が溢れ、白い床を濁 す。
リリシアとパナタは、像の中で躍動し人の子の首を刎 ねていくメリアの姿に驚き、憐 れみと恐怖の感情をメリアに向けた。
マレルが前に出て大声を出す。
「あなたが戦神としての役割を彼女に押し付けたから、メリアは仕方無くそれに従ったんだ! あなただってたくさんの兵を殺した! なんで、なんでメリアだけを責めるんだ!」
ルキは溜息を吐 く。足元の床を蹴り、つまらなさそうな表情を浮かべる。
「やはり、人の子と話しても無駄だったな。わざわざ長い航海を経て他の大陸からやって来た者たちだ。どんなだか話してみたかったが、所詮 は人の子。自分たちのした過去の悪い行 いは忘れて、自分勝手な願いを口にする。くだらないよ、本当にくだらない存在だ」
メリアは涙を流しながら、涸 れた声を絞り出す。
「アタイの……ワタシの罪なら、幾らでも罰してください。でも……ラピは、……ラピだけは帰して……。一緒に育った魔物たちに別れを言わせてあげたいんです……」
「お前はラピのことを特別な存在として想っていなかっただろう。今更なぜ、そこまでラピを想うふりをするんだ」
「一緒に育ったから。一緒に魔物の言葉を覚えた。一緒に魚を釣った。剣の修行だって一緒にした。ずっと一緒だった。あんたには分からないかも知れないけど、血が繋がってなくても、アタイにとってラピは家族だったんだ! じいちゃんみたいに……」
「ならばなおさら、最期はお前の顔を見せてやれば良 いじゃないか。死んだ後 の魂 だなんだと詭弁 を並べるよりも、生きている間に彼の想いを果たさせてやれ」
言葉が撥 ね返される。気持ちを知った上で揺さぶってくる。
でも、諦めない。はいそうですかと引き下がるわけにはいかない。涙はもう止まった。
「言葉で分かんないなら、アタイと戦え! その姿だってなんだって構わない。アタイは海洋神の力を全部使ってあんたを倒す!」
その時、神殿が揺れた。何かがぶつかったような振動で、皆 の足元がふらつく。
急いで祭壇のある部屋から出ると、巨大な黒い蛇が、雲を突き抜け神殿に覆い被 さっていた。
蛇は口を開けて舌を出し、飛行船に襲いかかろうとする。
だが、横から飛び込んで来た白い巨竜 が、蛇の頭に噛み付いてその動きを封じる。
パナタは祭壇のある部屋に戻り、ルキの姿が無いことを確かめ、飛行船へ走り向かう。
「あの巨竜 は天空神だ! 蛇を倒すぞ、皆 、全ての力を蛇に放て!」
たくさんの緑色の光が蛇の頭に突き刺さっていく。蛇は堪 えきれず、神殿から離れる。雲の下へ堕ちていく姿を追って、白い巨竜 も雲を分けて飛んで行った。
見送るメリアたちの後ろで、ふたりの声がした。
「おいザニド、天空神が居なくなったら意味がないだろう。オレたちの目的は何なんだ」
「まさかアレを追っていくとは思いませんでした。やはり、少しおかしくなっているのかと。まあ、戻って来るまでしばらくかかるでしょうから、ここにいる方々を皆殺しにしておきましょうか」
メリアが振り返ると、銀髪の少年イニルムと、黒ずくめのザニドが立っていた。
「メリア、だったっけ。次会ったら殺すと言ったよな。約束だから殺すぞ」
空の彼方から夕陽の光が射す。空の神殿は橙 色で染まる。イニルムとメリアの瞳が、同時に強く輝き始めていた。
パナタの号令で、
「アタイは、ラピをエンドラシアに戻してやりたいんだ」
ベルウンフからキヴリの腕へ渡され、眠り続けているラピ=エルダを
「彼を
「じいちゃんが生きてる時に教えてくれたんだ。人の子や魔物、もしかすると精霊や神獣も、死んだら
パナタが目を移すと、気付いたリリシアが口を開く。
「私の中には災厄の
メリアが
「分かんないよ。でも、アタイはじいちゃんの言葉を信じてきた。逆らったのはこの大陸に来たことくらいだ。
パナタは、彼女を追い
「天空神が今、我々の気持ちを理解してくれるのかも分からないが、出来る限りのことをしましょう。この辺りのおかしくなっていた精霊は、ほとんどが
パナタは話しながら、宙に緑色の魔法陣を描く。霧のような薄い雲が割れ、開いた裂け目を飛行船が通り抜け雲の上に出ると、広い空が現れた。
神殿の近くには幾つもの魔物が、生気を失ったように当てなく飛んでいた。その異形の魔物たちは飛行船にまったく興味がない様子で、その視界に入っても近寄って来る気配は無い。
マレルがメリアに
「僕はなんの役にも立たないけど、メリアの傍にいるからね。
「うん。アタイは独りじゃない。
飛空船は空の神殿に到達した。ゆっくりと神殿の入り口に船底を着ける。
石造りの神殿内部を歩く。くすんだ白い床に、見上げれば天井も装飾も柱も白く、他の色の存在を許さないかのような
ただ、やはり長いこと訪問する者がいなかったせいか、歩を進めるたび、足元に白い小さな煙が上がり、くっきりと足跡が残る。
生き物の気配も、魔物の気配も無い。吹き抜ける風の音と、
『一つだけ、メリアに似た匂いが混じってるような気がする。人の子でも魔物でもない。精霊とか、かなぁ』
やがて、神殿の奥、パナタが触れたことのある
パナタの足が止まる。メリアはよそ見をしていて、パナタの背にぶつかった。
「パナタ、どうしたんだ」
パナタの視線の先を
「じいちゃん……」
祭壇の前に、白い服装で若い頃の姿のルキが立っていた。淡く白い光を放ちながら、ルキはゆっくりと口を開く。
「お前たちの心の中にはこの男がいる。呪いに
リリシアがメリアの肩に手をかけた。
「あれが天空神よ。私たちの思い出や記憶を見て、ルキの姿が一番話しやすい、あるいは私たちの心に入り込みやすいと思ったんでしょうね。注意して、嘘は通じないわ」
メリアが前に出て、ルキの顔を
「じいちゃん、いや、天空神……さま。お願いがあります。あの子をエンドラシアへ戻して欲しいんです!」
天空神は、キヴリが
「なぜだ。眠ってばかりで邪魔になったからか」
「心が読めるなら、アタイの気持ち分かるだろ! 知らない場所で死にたい奴なんていない。
天空神は
「だから、おれは
メリアは
……動揺しちゃ駄目だ。何を言われようと、ラピをエンドラシアへ戻してもらうんだ。
ルキは左手を上げ、宙に像を出現させた。メリアがエンドラシアで人の子の首を
「この像を観ろ。お前は今まで多くの人の子を殺してきた。彼らもエンドラシアで生まれ、エンドラシアで死んだからそれで良いと言うのか? それとも、自分は皇帝に許されたから、それまで殺してきた人の子のことは忘れて、自分と自分の周りの者だけが幸せになればそれで良いと思っているのか?」
メリアの目から涙が溢れ、白い床を
リリシアとパナタは、像の中で躍動し人の子の首を
マレルが前に出て大声を出す。
「あなたが戦神としての役割を彼女に押し付けたから、メリアは仕方無くそれに従ったんだ! あなただってたくさんの兵を殺した! なんで、なんでメリアだけを責めるんだ!」
ルキは溜息を
「やはり、人の子と話しても無駄だったな。わざわざ長い航海を経て他の大陸からやって来た者たちだ。どんなだか話してみたかったが、
メリアは涙を流しながら、
「アタイの……ワタシの罪なら、幾らでも罰してください。でも……ラピは、……ラピだけは帰して……。一緒に育った魔物たちに別れを言わせてあげたいんです……」
「お前はラピのことを特別な存在として想っていなかっただろう。今更なぜ、そこまでラピを想うふりをするんだ」
「一緒に育ったから。一緒に魔物の言葉を覚えた。一緒に魚を釣った。剣の修行だって一緒にした。ずっと一緒だった。あんたには分からないかも知れないけど、血が繋がってなくても、アタイにとってラピは家族だったんだ! じいちゃんみたいに……」
「ならばなおさら、最期はお前の顔を見せてやれば
言葉が
でも、諦めない。はいそうですかと引き下がるわけにはいかない。涙はもう止まった。
「言葉で分かんないなら、アタイと戦え! その姿だってなんだって構わない。アタイは海洋神の力を全部使ってあんたを倒す!」
その時、神殿が揺れた。何かがぶつかったような振動で、
急いで祭壇のある部屋から出ると、巨大な黒い蛇が、雲を突き抜け神殿に覆い
蛇は口を開けて舌を出し、飛行船に襲いかかろうとする。
だが、横から飛び込んで来た白い
パナタは祭壇のある部屋に戻り、ルキの姿が無いことを確かめ、飛行船へ走り向かう。
「あの
たくさんの緑色の光が蛇の頭に突き刺さっていく。蛇は
見送るメリアたちの後ろで、ふたりの声がした。
「おいザニド、天空神が居なくなったら意味がないだろう。オレたちの目的は何なんだ」
「まさかアレを追っていくとは思いませんでした。やはり、少しおかしくなっているのかと。まあ、戻って来るまでしばらくかかるでしょうから、ここにいる方々を皆殺しにしておきましょうか」
メリアが振り返ると、銀髪の少年イニルムと、黒ずくめのザニドが立っていた。
「メリア、だったっけ。次会ったら殺すと言ったよな。約束だから殺すぞ」
空の彼方から夕陽の光が射す。空の神殿は