第17話 Adversary
文字数 2,657文字
誰も立ち入ることのない山々に囲まれた深い森の奥。小鳥が囀 り、陽の光のほとんど届かないその場所に朝を知らせる。
イニルムは身体を起こし、大きく伸びをする。木の根が集まって出来た空間から這 い出て、立ち上がり辺りを見廻 す。まだ幼さの残る顔つきに、長い銀色の髪。黄色がかった茶色の瞳。少年は、裸のままで歩き始める。
遠くから、慌てた様子で男が駆けて来る。大柄で、黒く自然に巻かれた髪に漆黒の瞳、黒い軽装。二本の剣を腰に携えている。
「イニルム様、お目醒 めの時を待っておりました」
「そうか? 今、随分と慌ててなかったか」
「そのようなことはございません。たまたま近くで新種の魔物が暴れ出したもので」
男はにやりと笑みを浮かべながら返した。
話しながら歩き、空が見える場所まで至ると、イニルムは分厚く黒い雲に覆われた空を仰ぎ、男に問う。
「ザニド、オレが寝てからどのくらい経った?」
「奈落の神を怒らせてからでしょうか。人の子の周期で言えば、およそ百年ほどでございます」
「なぜ人の子の周期で……まあ、いい。天空神に何かあったな。雲の動きが奇妙だ」
ザニドは口端を上げる。
「さようでございます。天空神はもうすぐ命が尽きようとしています。海洋神との戦いで疲弊 しきったのでしょう。今は狂ってしまい、海洋神の代わりかの如く、新たな魔物を生み出し続けています」
「海洋神の代わり、とはどういうことだ」
少年イニルムは首を傾 げる。ザニドが薄気味悪い笑みを浮かべ、イニルムに告げる。
「海洋神は貴方様がお眠りの間に消えました。人の子にかけられた呪いが全て破壊されたのです」
「あの呪いが全て……。極地に幽閉したダイフは、自分では呪いを壊すことができなかったはずだ。誰かがあいつを破壊したのか」
「はい。おそらくは天空神の神獣が、同じく呪いを持った人の子を誘導したものと思われます。本来は関わるはずのなかったそのほかの呪いたちも、その神獣に操作されたのではないかと」
イニルムは眼を黄色に光らせ、左足を上げる。力強く地を蹴り飛ばすと、その身体は高く舞い上がる。
大陸を見渡す。至る所で戦いによるものと思われる黒煙が上がっており、秩序の崩壊が見てとれた。少しばかりの血の匂いにも気付き、笑みを浮かべると地に降り立った。
「よし、退屈な時期はうまいことやり過ごせたようだな。ザニド、我が主、奈落の神の居場所に案内しろ。あやつはオレから見えない所に隠れているようだ」
「かしこまりました。その前に、服をお召しくださいませ」
一夜が過ぎて、朝陽が山の端から顔を覗かせる刻 。
鈍い光を反射して、鉄で出来たその物体は森の上を進む。四角い部屋を四本の太い脚が支え、小気味良く脚を踏み出して木々の間の地を踏み、抉 りながら歩いて行く。その物体全体の高さは、およそ大木二つ分になろうか。
「何だコレ。面白いものを開発したな」
「新種の魔物に対抗するために、人の子に造らせた物です。歯車と土の魔術で動くので、私 は魔導装甲 と呼んでおります」
魔導装甲 の部屋の中、物見用に切り取られた開口部から周りの景色を眺めていると、懐かしい匂いがイニルムの鼻をついた。
「あっちの方向に奈落の神がいるな。あやつは微睡 んでいるみたいだ。こんな面白い状況で、眠らせておくわけにもいくまい。起こしに行くぞ」
ザニドは少年を見下ろし、にやつく。
「これから楽しい宴 が始まりますねぇ。大陸中を恐怖と邪悪で包んであげましょう。千年と少し前の、あの頃のように」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
メリアが木剣を突き出す。
片手で軽く剣を払い、キヴリは蹴りを繰り出す。メリアの姿が消える。
彼女の両足が、後ろからキヴリの首を周りこむように交差する。
「おれの首は鉄より硬いぞ。折ることも捻 じ切ることも出来ない」
「知ってるよ。力を使っても剣が通らなかったんだからな」
キヴリの頭の上で両腕を組み、顎 を乗せて、メリアは海原を見渡す。
「あれから幾月経ったんだっけ。そろそろ着かないかなぁ」
話を聞いていたベルウンフが舵を取りながら大声で答える。
「帝国にあった大昔の海図だと、もう少しの辛抱だと思うぞ。あと、月のひと巡り分くらいじゃないかな」
「げえー、まだまだじゃないか。アタイ、飽きてきたよ」
マレルが船室を出て、ゆっくりと右腕を上に伸ばしながら歩いて来る。
「皆 、同じだよ。やることがたくさんあるのはベルウンフだけだからね」
甲板では、帆の影になる場所で怪狼 のナビ=デイルが寝そべり、その体毛を枕がわりにして小人のラピ=エルダが眠りこけていた。
アシュはメリアとキヴリの様子を見ながら、酒を飲んで酔っ払っていた。
「暇だなぁ……ん?」
メリアがキヴリの肩の上で伸びをしていると、異質な風が吹き抜けた。
彼女の頭の中に、幻像のようなものが入ってくる。
……海の中の、神殿?
幾人かの人の子が、言い争 っている。
中央には、何かが黒く蠢 いている。
ひとりが、黒いものに触れると、たちまち取り込まれてしまう。
他の人の子が何やら叫んでいるが、声がひどく遠くてよく聞こえない。
腕を火傷 したらしく、部屋から出される男は……キヴリだ。
残された者が恐ろしい形相 で話をしている。
ローブの女が黒いものに触れる。
さらに、従者のような小男も続く。
黒いものが肥大化し、部屋を満たし、そして破裂した。
もう一度映る部屋には、もう何者も存在しなかった。
そこで像が途切れた。
「どうした、メリア」
キヴリがメリアを見上げている。
「海洋神の記憶だ……。アタイの中の力に反応したんだ。きっと、この近くに神殿があったんだ。ううん、もしかすると、まだ残っているのかも」
ベルウンフが大声で伝える。
「確かに、この辺りに海底の神殿があったかも知れん。だが水の魔道士 がいなければ、潜ることはかなわんぞ」
「いいよ。ずっと前に海洋神は消えたんだって、じいちゃんが言ってた。アタイの中にあるのはじいちゃんから引き継いだその力だけだ」
キヴリの肩から降りて、彼の顔を見上げる。やはり、さっきの像の中で観た顔だ。
「キヴリ、何か思い出さないか? 神殿の中のこととか」
「いや、何も。おれはエンドラシアに流れ着いてからの記憶しか無いからな」
メリアは目を細めて、アシェバラド大陸があると思われる方向を睨 む。
何が待ち受けているんだろう。そして、じいちゃんが守っていたものってなんだろう。
もう一度、気を引き締める。
船は進んで行く。前方、遥か彼方には、鈍色 の分厚い雲が広がり、稲光 を放ち続けていた。
イニルムは身体を起こし、大きく伸びをする。木の根が集まって出来た空間から
遠くから、慌てた様子で男が駆けて来る。大柄で、黒く自然に巻かれた髪に漆黒の瞳、黒い軽装。二本の剣を腰に携えている。
「イニルム様、お
「そうか? 今、随分と慌ててなかったか」
「そのようなことはございません。たまたま近くで新種の魔物が暴れ出したもので」
男はにやりと笑みを浮かべながら返した。
話しながら歩き、空が見える場所まで至ると、イニルムは分厚く黒い雲に覆われた空を仰ぎ、男に問う。
「ザニド、オレが寝てからどのくらい経った?」
「奈落の神を怒らせてからでしょうか。人の子の周期で言えば、およそ百年ほどでございます」
「なぜ人の子の周期で……まあ、いい。天空神に何かあったな。雲の動きが奇妙だ」
ザニドは口端を上げる。
「さようでございます。天空神はもうすぐ命が尽きようとしています。海洋神との戦いで
「海洋神の代わり、とはどういうことだ」
少年イニルムは首を
「海洋神は貴方様がお眠りの間に消えました。人の子にかけられた呪いが全て破壊されたのです」
「あの呪いが全て……。極地に幽閉したダイフは、自分では呪いを壊すことができなかったはずだ。誰かがあいつを破壊したのか」
「はい。おそらくは天空神の神獣が、同じく呪いを持った人の子を誘導したものと思われます。本来は関わるはずのなかったそのほかの呪いたちも、その神獣に操作されたのではないかと」
イニルムは眼を黄色に光らせ、左足を上げる。力強く地を蹴り飛ばすと、その身体は高く舞い上がる。
大陸を見渡す。至る所で戦いによるものと思われる黒煙が上がっており、秩序の崩壊が見てとれた。少しばかりの血の匂いにも気付き、笑みを浮かべると地に降り立った。
「よし、退屈な時期はうまいことやり過ごせたようだな。ザニド、我が主、奈落の神の居場所に案内しろ。あやつはオレから見えない所に隠れているようだ」
「かしこまりました。その前に、服をお召しくださいませ」
一夜が過ぎて、朝陽が山の端から顔を覗かせる
鈍い光を反射して、鉄で出来たその物体は森の上を進む。四角い部屋を四本の太い脚が支え、小気味良く脚を踏み出して木々の間の地を踏み、
「何だコレ。面白いものを開発したな」
「新種の魔物に対抗するために、人の子に造らせた物です。歯車と土の魔術で動くので、
「あっちの方向に奈落の神がいるな。あやつは
ザニドは少年を見下ろし、にやつく。
「これから楽しい
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
メリアが木剣を突き出す。
片手で軽く剣を払い、キヴリは蹴りを繰り出す。メリアの姿が消える。
彼女の両足が、後ろからキヴリの首を周りこむように交差する。
「おれの首は鉄より硬いぞ。折ることも
「知ってるよ。力を使っても剣が通らなかったんだからな」
キヴリの頭の上で両腕を組み、
「あれから幾月経ったんだっけ。そろそろ着かないかなぁ」
話を聞いていたベルウンフが舵を取りながら大声で答える。
「帝国にあった大昔の海図だと、もう少しの辛抱だと思うぞ。あと、月のひと巡り分くらいじゃないかな」
「げえー、まだまだじゃないか。アタイ、飽きてきたよ」
マレルが船室を出て、ゆっくりと右腕を上に伸ばしながら歩いて来る。
「
甲板では、帆の影になる場所で
アシュはメリアとキヴリの様子を見ながら、酒を飲んで酔っ払っていた。
「暇だなぁ……ん?」
メリアがキヴリの肩の上で伸びをしていると、異質な風が吹き抜けた。
彼女の頭の中に、幻像のようなものが入ってくる。
……海の中の、神殿?
幾人かの人の子が、言い
中央には、何かが黒く
ひとりが、黒いものに触れると、たちまち取り込まれてしまう。
他の人の子が何やら叫んでいるが、声がひどく遠くてよく聞こえない。
腕を
残された者が恐ろしい
ローブの女が黒いものに触れる。
さらに、従者のような小男も続く。
黒いものが肥大化し、部屋を満たし、そして破裂した。
もう一度映る部屋には、もう何者も存在しなかった。
そこで像が途切れた。
「どうした、メリア」
キヴリがメリアを見上げている。
「海洋神の記憶だ……。アタイの中の力に反応したんだ。きっと、この近くに神殿があったんだ。ううん、もしかすると、まだ残っているのかも」
ベルウンフが大声で伝える。
「確かに、この辺りに海底の神殿があったかも知れん。だが水の
「いいよ。ずっと前に海洋神は消えたんだって、じいちゃんが言ってた。アタイの中にあるのはじいちゃんから引き継いだその力だけだ」
キヴリの肩から降りて、彼の顔を見上げる。やはり、さっきの像の中で観た顔だ。
「キヴリ、何か思い出さないか? 神殿の中のこととか」
「いや、何も。おれはエンドラシアに流れ着いてからの記憶しか無いからな」
メリアは目を細めて、アシェバラド大陸があると思われる方向を
何が待ち受けているんだろう。そして、じいちゃんが守っていたものってなんだろう。
もう一度、気を引き締める。
船は進んで行く。前方、遥か彼方には、