第7話 Deadlock
文字数 3,986文字
屋根から屋根へと飛び移り、黒いローブに身を包んだメリアは一瞬、振り返った。まだあの女を引き離せていないようだ。この小さな街で戦神としての力を使いたくない。それはマレルとベルウンフを危険に晒 すことになる。
だが、女の仲間と思われる影が左右からも迫って来ていた。目の前には、ひと回り大きな家の壁がある。彼女は諦めて、速度を落とし地上へ飛び降りた。
すぐにメリアの周りを、十人ほどの軽装の男女が囲んだ。首領 に見える、赤髪を後ろで結んで鉄製の前掛けを着けた女が、手を前に出して声を荒げた。
「さっさと盗んだものを返しな。その鍵は大事な物なんだ!」
メリアは自分の行動を振り返ってみたが、まったく思い当たることがなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
傾いた塔の屋上で、三人は帝国へ向かうことを決めた。
その日の内に、メリアは飛龍 を束ねるヴィル=ナラに会い、決して人の子の側につくわけではないと説き伏せた。ヴィルはなぜかそれほど抵抗することなく、むしろ気遣 ってくれた。もしかすると、いつかこんな日が来ることを予想していたのかも知れない。
巨躯を操ることができる小人 ラピ=エルダは、かなり文句を言った。ルキの遺言 を破るだの、あの人の子に絆 されただの、ぷんぷん怒って、終 いには不貞寝 してしまった。だが、メリアが彼の住処 から離れようとした時、泣きながら背中に抱きついてきて、何かあったら大声で呼ぶようにと言ってくれた。
賢い狡鬼 のミケ=エルスは、食糧や薬をくれた。頼んでおいた顔の傷痕 を隠す塗り薬も渡してくれた。人の子は、見方次第では魔物よりも恐ろしいから気を付けろとも言った。
小鬼 たちは一夜で馬車を作ってくれた。小ぶりだが、ちゃんと御者台 が付いていて、荷物を積めるくらいには広い。
朝早く、騒がず静かに送り出してもらったので、旅が始まるような雰囲気ではなく、ちょっとそこまでのような感じになってしまった。これは、戦神がこの地を離れることを人の子に気取 られないようにするためだが、メリアは少し寂しい気分になった。
マレルは走る馬車の中で、彼女を気遣 って話し掛けた。
「その水色の服、魔物が編んだものかい?」
「うん。小鬼 がつがいになる時の祝いの場で、片方が着る服なんだけど、それをくれたんだ。ちょっとヒラヒラするから、履き物は変えてないけど」
「すごく綺麗だよ。メリアに似合ってる」
メリアの顔が紅潮する。恥ずかしさのあまり彼の頭を拳 で吹き飛ばしそうになる衝動を、なんとか抑え込んだ。
ベルウンフは、御者台 に座っていた。若いふたりの会話を聞いて微笑みながら、ミケにもらった鎮痛草 をふかし、一頭の風馬 を操る。やはり何かを操るのが、彼にとっての生き甲斐 のように思えた。
風馬 の脚が速すぎて馬車の揺れがひどいため、加減してゆっくりと進んで行く。
道中、魔山羊 や半人半馬 の群れを見つけたが、こちらに興味を示すことなく走り去った。それを眺めていたメリアが言う。
「あいつらは人の子が嫌いなんだ。住処 を荒らそうとしなければ何もしてこないよ」
夜は道から少し外れた草場に馬車を停め、交代で見張りをして、他のふたりは馬車の中で眠った。そうして、三夜を超え、道なりに進んで行った。
四日目の夕間暮れには、帝国へ至る道の最初の小さな街に到着した。
マレルもメリアも、人に知られるべきではない存在であるため、黒いローブの頭巾 を深くかぶり、街へ入った。宿を取り、食堂で夕食を摂 る。
「……ミケの作る料理も美味 かったけど、これもすごく美味 いね」
「あっちの大陸では、乾いた肉を焼いたような物しか食べられなかったから、こんな複雑な料理は初めてだが、確かに美味 しいよ」
メリアとベルウンフが笑顔で食事する様子を見て、マレルが満足そうな笑みを浮かべる。
宿に戻り、マレルとベルウンフは同室に、メリアは別室に入る。宿を取った時、彼女は同室でも良いと言ったが、マレルが固辞していた。そのやり取りも、ベルウンフは楽しそうに眺めていた。
メリアが柔らかい清潔な布に寝転がって欠伸 をしていると、コツンと木窓に何か当たる音がした。彼女はすぐに起き上がり木窓を少し開け、外の歩道を見遣 る。人影が走り、通り過ぎて行った。
木窓を閉め、黒いローブを羽織り、足音を立てないように歩き、宿を出た。満月に照らされた街の中を、さっき見た人影を追うように歩いて行くと、物陰から赤い髪の女が現れた。
女はゆっくりと近付いて来る。メリアは部屋に長剣 を置いてきてしまったことを後悔した。初めてのことがたくさんあって、気が緩んでいたようだ。
「おい、鍵を返せ。盗賊から物を盗むなんて、ふてぶてしい奴だな」
メリアは首を傾 げる。
「何言ってんだ。アタイは何も盗んじゃいないぞ」
赤い髪の女は腰のダガーを抜く。一歩一歩じりじりとメリアに近寄って来る。
「悪いけど、あんまり時間が無くてね。殺してから持ち物を検 めるよ」
メリアは足先で土を思い切り抉 り上げ、女の顔にかける。女が怯 んだ隙に踵 を返し、逃げ出した。
その後 は、力を使うことを避けて赤い髪の女から逃げ続け、街の建物の屋根から屋根へと飛び移りながら撒 こうとしたが、結局は盗賊団と思わしき一味に取り囲まれてしまった。
「アタイは鍵なんて知らない。武器だって持ってないんだから、服を調べれば良いだろ」
そう言ってメリアは両腕を上げる。赤髪の女が彼女の服に手を伸ばした時、ふたりは同時に飛び退 った。
魔術のものと思われる蒼 色の光が幾つも飛来し、ふたりがいた場所に突き刺さった。光が当たった土は大きく抉 れ、家屋の壁は大きな低い音を立てて壊れた。
メリアも盗賊たちも、散開して遮蔽物の影に隠れる。どうやら高い場所からの攻撃のようだが、続々 と飛んでくる光のせいで頭を上げられず、出所 を見つけることが出来ない。
赤い髪の女が這 いながら、こちらへやって来た。
「あれは、お前のお仲間か?」
「だからアタイは何も知らないって言ってるだろ。ったく、迷惑な話だ」
「あたしたちから鍵を盗んだのは、今のお前と似たような黒ずくめの奴だった。追いかけたらこの街に着いて、ちょうど食堂から出るお前たちが目に入った。どうやら勘違いだったようだ。悪かったな」
メリアは素直に謝る女の肩に手を置いて問う。
「なあ、あいつらは敵か?」
女はメリアの言葉に頷 く。
「鍵を盗 ったのがあいつらなら、敵ってことになるな」
「よし、あんたはこれから起きる事を、全部忘れろ。あんたの仲間にも、そう伝えろ。いいな」
「お前、何言って……」
彼女の瞳が紅 く光り始める。赤い髪の女が驚く間も無く、視界からメリアの姿が消えた。同時に、腰のダガーが抜き取られていたことに気付く。女が見上げると、彼女は屋根よりも高く飛び上がっていた。
満月を背にして、メリアの影が街に伸びる。彼女は、屋根の上で魔法陣を光らせている黒ずくめの集団を見つけた。身体を回転させて、落ちながら軌道を変える。
一人の黒ずくめに狙いを定め、力に呼応して光るダガーを振り抜き、首を刎 ねて胴体を蹴り飛ばす。屋根に降り立った彼女は、その場で回転してダガーを振り回す。近くに棒立ちしていた三人は、胸や腹を裂かれ、剣圧で吹き飛んでいく。
鼓動三回の間に、黒ずくめは半壊した。突然の虐殺に、残りの黒ずくめは混乱し動けなくなる。
無慈悲な戦神メリアは、瞬時に走り寄り、次々に首を刎 ねていく。
最後の一人が逃げ出そうと背を向けた瞬間、ダガーがその胸を貫いた。そのまま倒れ、何度か痙攣 した後 、ピクリとも動かなくなった。
盗賊たちが走って来る。メリアは道に降り立ち、屋根の上で見つけた鉄製の小さな棒と、借りていた血塗 れのダガーを赤い髪の女に渡す。
「これがあんたの言ってた鍵って奴か」
「ああ、そうだ。そうなんだが……」
女は、道に落ちている刎 ねられた男の頭を見て、何かに気付いたような表情を浮かべた。そしてメリアの目を見て言う。
「これはあたしたちがやった。黒ずくめの奴らを殺したのは、あたしたちだ」
メリアがぽかんとしていると、女は続ける。
「お前はこの街には立ち寄っていない。あたしたちもお前のことを知らない。それで良いんだろ?」
そう言って、赤い髪の女は口の端を上げた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
街に警鐘 が鳴り響く中、メリアは宿へと戻った。
マレルとベルウンフを叩き起こし、急いで真夜中の街を走り、門の近くの係留所から風馬 と馬車を引っ張り出し、そのまま街を出た。
「何があったんだ」
馬車の中、マレルが目を瞬 いてメリアに尋ねた。彼女は俯 いたままで、辿々 しく答える。
「盗賊に襲われかけた……本当だよ。それで、知らない集団をやっつけた、かな」
マレルの顔が引き攣 る。この目で見たわけではないが、彼女はおそらく人の子を殺したのだ。残念な思いで、ついつい声を荒げてしまう。
「こんな調子じゃ、帝国に着く前に捕まってしまうよ。力は使わないで欲しいと言ったはずだ」
強く言ってはみたものの、無理なことを頼んでいるような気がして、彼は目を逸らす。
黙って聞いていたベルウンフは風馬 を操りながら、メリアを助ける。
「長く付き合ったわけではないが、この数日、君たちを見てきた。メリアは相当な理由が無ければ、人の子を殺さないと思う。きっと何かあったんだ。マレル、君はメリアを信じてやれないのか」
はっとして、マレルはもう一度メリアを見る。彼女は、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「……すまなかった。僕はまだ、君のことをあまり知らないんだ。だから、教えてくれないか」
そう言って、ゆっくりと優しく抱きしめる。
メリアは、またも彼の意外な行動に、力が抜けて動けなくなった。そして、理由は分からないが、涙が溢 れて止まらなくなった。
彼女の嗚咽 が、馬車の音と共に静かな夜の平原に溶けていった。
だが、女の仲間と思われる影が左右からも迫って来ていた。目の前には、ひと回り大きな家の壁がある。彼女は諦めて、速度を落とし地上へ飛び降りた。
すぐにメリアの周りを、十人ほどの軽装の男女が囲んだ。
「さっさと盗んだものを返しな。その鍵は大事な物なんだ!」
メリアは自分の行動を振り返ってみたが、まったく思い当たることがなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
傾いた塔の屋上で、三人は帝国へ向かうことを決めた。
その日の内に、メリアは
巨躯を操ることができる
賢い
朝早く、騒がず静かに送り出してもらったので、旅が始まるような雰囲気ではなく、ちょっとそこまでのような感じになってしまった。これは、戦神がこの地を離れることを人の子に
マレルは走る馬車の中で、彼女を
「その水色の服、魔物が編んだものかい?」
「うん。
「すごく綺麗だよ。メリアに似合ってる」
メリアの顔が紅潮する。恥ずかしさのあまり彼の頭を
ベルウンフは、
道中、
「あいつらは人の子が嫌いなんだ。
夜は道から少し外れた草場に馬車を停め、交代で見張りをして、他のふたりは馬車の中で眠った。そうして、三夜を超え、道なりに進んで行った。
四日目の夕間暮れには、帝国へ至る道の最初の小さな街に到着した。
マレルもメリアも、人に知られるべきではない存在であるため、黒いローブの
「……ミケの作る料理も
「あっちの大陸では、乾いた肉を焼いたような物しか食べられなかったから、こんな複雑な料理は初めてだが、確かに
メリアとベルウンフが笑顔で食事する様子を見て、マレルが満足そうな笑みを浮かべる。
宿に戻り、マレルとベルウンフは同室に、メリアは別室に入る。宿を取った時、彼女は同室でも良いと言ったが、マレルが固辞していた。そのやり取りも、ベルウンフは楽しそうに眺めていた。
メリアが柔らかい清潔な布に寝転がって
木窓を閉め、黒いローブを羽織り、足音を立てないように歩き、宿を出た。満月に照らされた街の中を、さっき見た人影を追うように歩いて行くと、物陰から赤い髪の女が現れた。
女はゆっくりと近付いて来る。メリアは部屋に
「おい、鍵を返せ。盗賊から物を盗むなんて、ふてぶてしい奴だな」
メリアは首を
「何言ってんだ。アタイは何も盗んじゃいないぞ」
赤い髪の女は腰のダガーを抜く。一歩一歩じりじりとメリアに近寄って来る。
「悪いけど、あんまり時間が無くてね。殺してから持ち物を
メリアは足先で土を思い切り
その
「アタイは鍵なんて知らない。武器だって持ってないんだから、服を調べれば良いだろ」
そう言ってメリアは両腕を上げる。赤髪の女が彼女の服に手を伸ばした時、ふたりは同時に飛び
魔術のものと思われる
メリアも盗賊たちも、散開して遮蔽物の影に隠れる。どうやら高い場所からの攻撃のようだが、
赤い髪の女が
「あれは、お前のお仲間か?」
「だからアタイは何も知らないって言ってるだろ。ったく、迷惑な話だ」
「あたしたちから鍵を盗んだのは、今のお前と似たような黒ずくめの奴だった。追いかけたらこの街に着いて、ちょうど食堂から出るお前たちが目に入った。どうやら勘違いだったようだ。悪かったな」
メリアは素直に謝る女の肩に手を置いて問う。
「なあ、あいつらは敵か?」
女はメリアの言葉に
「鍵を
「よし、あんたはこれから起きる事を、全部忘れろ。あんたの仲間にも、そう伝えろ。いいな」
「お前、何言って……」
彼女の瞳が
満月を背にして、メリアの影が街に伸びる。彼女は、屋根の上で魔法陣を光らせている黒ずくめの集団を見つけた。身体を回転させて、落ちながら軌道を変える。
一人の黒ずくめに狙いを定め、力に呼応して光るダガーを振り抜き、首を
鼓動三回の間に、黒ずくめは半壊した。突然の虐殺に、残りの黒ずくめは混乱し動けなくなる。
無慈悲な戦神メリアは、瞬時に走り寄り、次々に首を
最後の一人が逃げ出そうと背を向けた瞬間、ダガーがその胸を貫いた。そのまま倒れ、何度か
盗賊たちが走って来る。メリアは道に降り立ち、屋根の上で見つけた鉄製の小さな棒と、借りていた
「これがあんたの言ってた鍵って奴か」
「ああ、そうだ。そうなんだが……」
女は、道に落ちている
「これはあたしたちがやった。黒ずくめの奴らを殺したのは、あたしたちだ」
メリアがぽかんとしていると、女は続ける。
「お前はこの街には立ち寄っていない。あたしたちもお前のことを知らない。それで良いんだろ?」
そう言って、赤い髪の女は口の端を上げた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
街に
マレルとベルウンフを叩き起こし、急いで真夜中の街を走り、門の近くの係留所から
「何があったんだ」
馬車の中、マレルが目を
「盗賊に襲われかけた……本当だよ。それで、知らない集団をやっつけた、かな」
マレルの顔が引き
「こんな調子じゃ、帝国に着く前に捕まってしまうよ。力は使わないで欲しいと言ったはずだ」
強く言ってはみたものの、無理なことを頼んでいるような気がして、彼は目を逸らす。
黙って聞いていたベルウンフは
「長く付き合ったわけではないが、この数日、君たちを見てきた。メリアは相当な理由が無ければ、人の子を殺さないと思う。きっと何かあったんだ。マレル、君はメリアを信じてやれないのか」
はっとして、マレルはもう一度メリアを見る。彼女は、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「……すまなかった。僕はまだ、君のことをあまり知らないんだ。だから、教えてくれないか」
そう言って、ゆっくりと優しく抱きしめる。
メリアは、またも彼の意外な行動に、力が抜けて動けなくなった。そして、理由は分からないが、涙が
彼女の