第22話 Undone

文字数 3,298文字

 分厚い雲から降り注ぐ霧雨(きりさめ)の中、怪狼(フェンリル)のナビ=デイルと、三頭の馬が駆けていく。その少し後ろには、浮走器(ランダー)が宙を飛び、ついて来ている。

『どうだい、少し走り方を変えたんだ。もう気持ち悪くならないと思うよ』

 走りながら、ナビは背中のメリアとアシュに言う。

「そ、そうだね。うん。まあ、多少は……」

 メリアもアシュも、すこぶる気分が悪そうな表情でナビの背中の毛にしがみついていた。
 マレルが手綱を握る馬には、眠り続ける小人のラピ=エルダを紐で(くく)り背負ったベルウンフが同乗している。
 他の二頭はそれぞれキヴリとリリシアが手綱を持つ。

 静かな草原に馬の駆ける音が響く。だが、前方から異質な(にお)いが(ただよ)い始め、目を凝らすと霧雨(きりさめ)の向こうにたくさんの影が見えた。
 リリシアが(みな)に声を掛ける。

「ここから先は、天空神が生み出した魔物たちの棲処(すみか)よ! 奴らも狂ってるから、襲って来るのは倒して、あとのは無視して進むからね!」

 馬たちとナビは緩やかな傾斜を(のぼ)り始める。
 やがて影がはっきりとした輪郭に変わり、その異形の姿を認識したメリアは驚きの声を上げる。

「コイツら……(ひど)い。なんて(ざま)だ」

 様々な生物が寄せ集められたような紫色の体に、苦悶(くもん)の表情をした怪物の頭。腕は三本や四本、脚の無いものや多足のもの、めちゃくちゃな形のたくさんの魔物たちが、行く当ても無く彷徨(さまよ)っていた。
 メリアはナビの背中に乗る気持ち悪さに加え、魔物たちの苦しそうな姿に吐き気を覚えた。天空神が作り出しているのだとしたら、確かに完全に狂っているとしか思えない。

 気配を察知した魔物たちが近寄って来る。
 異形でもその動きは素早く、大きな体で馬の進路を(ふさ)いでしまう。進路を変えられず、馬はリリシアたちを乗せたまま魔物の群れに突っ込んでいく。

 宙に魔法陣を描き、リリシアはたくさんの(あお)い矢のような光を放つ。光は前方の魔物たちを貫通して飛んでいく。
 体勢を崩した魔物に、マレルの操る馬に乗るベルウンフは、右手に持った槍を突き刺し、邪魔物をどかすように(すく)い上げて後ろに放ってしまう。
 リリシアが口笛を吹いて、彼の動きを()める。

「やるじゃない。そんな力を隠してたのね」
「船の上でどれだけ魚を釣り上げたと思ってるんだ。本業の動きだよ」

 ベルウンフは力瘤(ちからこぶ)を見せつける。

 キヴリの左眼の魔導珠(まどうじゅ)が鋭く(あか)く光る。黒い腕を(むち)のようにしならせ、前方に立ち(ふさ)がる片翼の魔物や多足の魔物の異形の首を()ねていく。頭を失った魔物の体は、どろんと溶け出し濡れた地面に吸い込まれ、その上を馬が飛び越して駆けて行く。

 ナビは軽快に魔物たちを()けながら走る。背中ではアシュがメリアの長剣(ロングソード)(はやぶさ)の術をかける。メリアは襲い来る大きく太い魔物の腕を、緑色に光る剣で次々と()ね飛ばしていく。

 攻撃する(すべ)を持たない浮走器(ランダー)は、宙を彷徨(さまよ)いながら魔物たちの注意を()きつけ、群れを分散させることに集中していた。巧みに魔物の攻撃を(かわ)しながら、ナビの横で大きく揺れている。

「リリシア! 闘技場ってのはどこにあるんだ。そこもコイツらの棲処(すみか)になってるんじゃないか?」

 リリシアは腕を上の方に向けて叫ぶ。

「この山を登った所よ! 魔物がいたら……蹴散らすしかないわね!」
魔導師(アークメイジ)ってもっと賢く動くもんじゃないのか……。これじゃ戦士のやり方だよ!」
「あら、私は戦士よ。ルキと同じ、戦士よ!」

 そう言って、リリシアはついて来いと言わんばかりに馬の速度を上げる。
 魔物の群れを超えた、まさに魔物の海となった草場を、()き分けるようにして一団は進み続ける。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 黒く巨大な蛇は、ひたすら地を()い、どんな地形もものともせずに進んで行く。翼を広げた異形の魔物たちが、進行を阻むように襲い来る。

 ザニドは指を回して、虚空から幾つもの黒く大きな鳥たちを呼び出した。
 異形の魔物たちに向けて手を伸ばすと、黒い鳥たちはその先端を剣のように尖らせながら魔物の群れに突っ込んで行く。
 魔物たちは黒い鳥の攻撃で体に穴を開けられて、ふらふらと地に向かい()ち始める。
 イニルムは、頭上から降って来る魔物の残骸(ざんがい)へ土の魔術の大きな茶色の光を放つ。光は魔物を包み込み、その存在を滅却していく。

「数が多すぎる。こんな奴らと遊んでいても楽しくないぞ。もう帰らないか」

 うんざりした表情をザニドに向けて、イニルムが()だるそうな声を出す。

「おや、お戻りになるのですか? せっかくもう一度、あの女に会えるというのに」
「あいつも空の神殿に向かってるのか。オレは何も感じないけどな」

 ザニドは首を(かし)げ、目を(つむ)って海洋神の力の()()を探す。微弱だが、やはり我々と同じ場所へ向かっているようだ。
 まさか、イニルムは感情の芽生えで力を落としたのか。ならば、あのメリアとかいう女は殺さなければならない。さて、どうやって殺してやろうか……。

「ザニド、何がそんなに可笑(おか)しいんだ。とにかくオレはやる気が出ないぞ」
「それでは、(わたくし)めが皆殺しにしますので、イニルム様はそれをお楽しみいただければ何よりです」

 ふたりを頭に乗せて、蛇は道なき道を進む。雨で(かす)む視界の彼方(かなた)、微かに浮かぶ空の神殿を、イニルムは冷淡な目で、ザニドは奇妙な笑みを浮かべて眺めていた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 キヴリの馬が、ぬかるみに(はま)って激しく転倒した。キヴリは投げ出され水溜りに落ちた。ぐっしょりと服を濡らした彼に、リリシアが叫ぶ。

「闘技場はすぐそこよ! 馬はそのまま放ちなさい。きっと上手いこと逃げていくわ!」

 言われた通りに馬を起こし、首を二回叩く。キヴリの馬はいななき、森の中へ駆けて行った。
 ナビと他の馬がキヴリを追い越す。キヴリが走って鬱蒼(うっそう)とした森を抜けると、草場の先に朽ち果てた石の建造物が現れた。

「これが古い闘技場……見る影もないな」

 (つぶや)きながら、後ろの気配で振り返る。まだ魔物の残党が追いかけて来ていた。黒い腕を振り回し、たくさんの腕が生えた異形の魔物の首を()ねる。液体になりかけの黒いものを蹴り飛ばし、他の魔物に当てる。狂っており(ひる)まずに直進して来る魔物の頭を、大きくなった手で包み力を込めて握り潰す。
 さらに残党が襲い掛かってくる。キヴリは咆哮(ほうこう)を上げ、左の眼を光らせると、魔物の群れに向かい走り出した。

 ナビと二頭の馬は、崩れて大きな穴となった闘技場の入り口を通り抜ける。その先には、四方を客席に囲まれた広い空間が広がっていた。
 メリアたちは地に降り立ち、闘技場の中を見廻(みまわ)す。

「魔物がいない……なんで奴らはここに入って来てないんだろう」

 アシュは腕を上げ、手をくるりと回す。闘技場を守る風の精霊が淡く光り、全体を緑の色で包む。

「どうやらこの場所は、風の精霊たちの住処(すみか)みたいだ。あの魔物たちは純粋な精霊が苦手なんだろうね」

 雲の一部が切れ、その隙間から飛行船が現れた。陽光を(まと)い、船は闘技場へ降りるために高度を下げる。
 ぬかるんだ地面に船底が着くと、船首から白髪の老人が顔を出した。長く白い髭をたくわえており、濃い緑色のローブを身に着けている。

「パナタ! 久しぶり。随分と老けたわね」
「リリシアはまだ若々しいな。っと、懐かしがっている場合ではない」

 パナタは魔道士(メイジ)たちに指示をし始めた。すぐに木の梯子(はしご)が垂らされる。(のぼ)って来いということらしい。

「妙な気配が近付いている。土の精霊を使役しているところを見ると、奈落の神の勢力かも知れない。早くここを()つべきだ」

 ようやく魔物を片付けたキヴリが走って来た。メリアたちは全員が飛行船に乗り込む。浮走器(ランダー)もいつの間にかリリシアの傍にいた。

 パナタがメリアに向かい、伝える。

「我々風の里の者は、ルキの孫であるあなたに、再びこの大陸の未来を変えていただきたいと考えています。共に天空神の元へ参りましょう」
「未来なんて背負う気はないけど、とにかく話をしなきゃいけないんだ。それで未来が変わるってんなら、アタイに任せてくれ」

 パナタは気取らない彼女の言葉に、優しい微笑みを浮かべた。
 そして彼は腕を上げ、魔道士(メイジ)たちに命じる。

「それでは、空の神殿に向かう。天空神を正気に戻すぞ!」
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