第12話 Ventilation

文字数 3,340文字

「だから、フォークの持ち方はこう! あと、右手にナイフだからな。あっ、そうじゃなくて、こう!」
「うるさいなぁ。肉なんて腹に入ればなんだって良いだろ。なんなら手掴(てづか)みだって食べられるぞ」
「そういう事じゃない。私はお前の教育を任されてるんだ。一人前の女性(レディ)にしてやれという皇帝陛下のご命令だぞ」

 白髪の太ったヘイゲンが腰に手を当てて凄む。メリアはうんざりした表情で白織物(テーブルクロス)の上の料理と向き合う。

「こんな悠長な食べ方したこと無いんだよな。いつだって襲撃に備えてたんだから」
「もう戦いは終わったんだ。ゆっくり味わって食べれば良かろう」

 メリアは左手に持ったフォークを肉に刺し、右手のナイフで細かく切って、ぎこちない動作で小さな肉片を口へ運ぶ。
 扉を少し開けて見守っていたマレルが声を掛ける。

「随分と慣れたじゃないか。食事の仕方にもヘイゲンにも、ね」
「マレル!」

 席を立ち、メリアはマレルに抱きつく。ヘイゲンが怒り声を上げる。

「こら! 食事中に席を立つんじゃない! マレル様も(あと)にしていただけませんか。今は作法(マナー)の練習中でして」
「ごめんよヘイゲン。ふたりが仲良くしてるのが面白くて、つい」
「どこが仲良しだよ。毎日毎日、指示ばっかされて大変なんだ」
「だから仕方なかろうて。皇帝陛下が……」

 メリアがヘイゲンの耳元で(ささや)く。

「小便漏らした事、言いふらしちゃおうかなぁ」
「こっ……!」

 彼女はスカートをたくし上げて、物凄い速さで逃げ出す。

「この馬鹿者がー!!」

 すぐにヘイゲンが(あと)を追いかける。ヘイゲンの屋敷の中、ふたりの追いかけっこが続く。
 マレルは、何度も繰り返されているこのやり取りが面白くて腹を抱えて笑う。笑う度に左肩が痛むが、その痛みも忘れてしまうくらい、ふたりの様子を見るのが楽しい。

 北の海に停泊している帝国の交易船を、西の海へ運ぶのは容易ではない。途中の海はずっと時化(しけ)っているため、海路(かいろ)らしい海路が無かった。そのため、西の海へ船を運ぶには、陸路か空路を使うしかない。この大陸でそれが出来そうな手段となると、風の魔術で動く飛空挺で船を引っ張ってくるのが一番確実なのでは、ということになった。

 皇帝はダマクスを北の領地へ派遣した。飛空艇を数隻準備させ、船を西の航路へ運べるか確かめるように命令していた。
 彼の移動と、現地での調査に時間がかかるため、それまでメリアとベルウンフは城下にあるヘイゲンの屋敷で待機することになった。皇帝はヘイゲンに、メリアを人の子として教育するよう命じた。ヘイゲンを選んだのは、おそらく皇帝の悪戯(いたずら)好きな性格からだろう。

 ベルウンフが城から戻って来た。

「相変わらず、どたばたしてるな。こっちは頭を使い過ぎてへとへとだよ」
「ベルウンフ、お帰り。また父さんにアシェバラドの講義?」
「いや、今日は西の航路について話し合った。おそらく幾月もかかるからな、およその方角と、途中の過ごし方やら(なん)やらを考えていたんだ」
「父さんもずっと行きたかったんだろうなぁ。連れて行くことはできないけどね」
「どちらかと言うと、君を心配しているんだろう。皇帝もただの父親ということだな」
「そうだね……。母さんが若くして亡くなってからは、ずっと父さんが僕たちを育ててくれたから、きっと大事に想ってくれてるんだ。だからあの時、兄さんの首を()ねられなかった」
「彼は今や、メリアのことも実の(むすめ)のように想っているみたいだ。とにかく色々上手くいって良かったよ。あとはアシェバラドへ戻ることさえ出来たらな」

 メリアとヘイゲンが廊下を駆けて行く。ふたりは笑ってその光景を眺めていた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 夜の闇が夕暮れを追い出す(とき)、メリアは部屋の木窓を開けて3階からの景色を眺めていた。堅苦しい衣装を脱ぎ、軽装で休憩している。

 西に置いてきた魔物たちの事を考える。元気にしているだろうか。まだ忘れられてはいないだろうか。もう帝国は攻めてこないって、早く伝えたい。

 大きな溜息を()いて、木枠にもたれ両腕に(あご)を乗せて外を見廻(みまわ)す。すると、緑色に光る蝶がぱたぱたと飛びながら目の前にやって来た。
 蝶は淡い光を放ちながら、屋敷の外をふわふわと漂い、歩道の向こうへと飛び去って行く。

 メリアはローブを羽織(はお)り、音を立てないように廊下を歩き、階段を下りて屋敷を出た。昼間はヘイゲンの監視によって外へ出られないので街の様子は分からないが、この時間であれば皆きっと寝静まっているだろう。

 光る蝶を見つけて近付いていくと、暗闇の向こうから人影が現れた。道を照らすための灯火(ランプ)の明かりが、見知った顔を照らし出した。

「あんたは……」

 赤い髪を後ろで縛り、少し吊り上がった目、(ほの)かに赤い鉄の前掛けを着けた女が、口の端を上げてゆっくりと歩いて来る。

「よう、元戦神さん。あたしの名はアシュ。久しぶりだな」

 鍵の件で巻き込まれた時の盗賊だ。

「また鍵を無くしたのか?」
「アッハハハ! もう鍵は使ったよ。その事でお前に会いに来たんだけどね」
「アタイはメリアってんだ。またアタイを追いかけ回す気か」
「名は知ってるよ、有名だからな。あの時はまさか戦神様だとは思わなかったよ」

 アシュは親指で行くべき方向を示す。

「メリア、ついてきて欲しい。お前に会いたがってる奴がいるんだ」
「なんでアタイが行かなくちゃいけないんだ。そいつが来たらいいだろ」
「街に入るには目立ち過ぎるんだよね」

 道に落ちた石を蹴って、アシュは暗闇を見詰(みつ)める。

「……戦神に成り損ねた男が、メリアに会いたがってる。一目見たら、きっと彼にも分かるさ。あたしは彼に、戦神が本当に居なくなったって教えてやりたいんだ」
「戦神に……」

 事情はよく分からないが、アシュの口調は真剣だ。だが、何かあったらマレルたちに迷惑がかかる。

「本当に、一目会うだけか。信用して良いんだな」
「おう。何かあったらあたしを好きなようにして良いよ」
「なんだよ、それ。気味の悪い約束だな」

 アシュに連れ立って歩き出そうとすると、後ろから声が掛かった。

「おい、メリア。どこへ行く気だ」

 振り向くと、ヘイゲンが三人の兵と共に立っていた。

「ちょっと、そこまで? エヘヘ」
「エヘヘ、じゃない。外は危険だといつも言っておるだろうが」
「大丈夫だよ、何かあったら全力で逃げるから」
「私は、皇帝陛下からお前の身を守れと言われてるんだ。どうしても行くなら、私たちも行く」
「は?」

 メリアはアシュをちらりと見る。アシュはヘイゲンに告げる。

「問題ない。あんたらもついて来たらいい。別に隠し事ってわけでもないしな」
「よし、では行こうか。あと、メリア、これを持っておけ」

 そう言って、ヘイゲンは鞘に収まったメリアの長剣(ロングソード)を渡す。

「自分の身を守るためには、それが必要になるかも知れんからな」
「……ヘイゲン、ありがとう」

 ヘイゲンは鼻を鳴らし、アシュについて歩いて行く。メリアもそれに続いて歩き始めた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 街を出た一団は、アシュの案内で平原を突っ切り、森の手前まで歩いた。
 ヘイゲンが疲れた様子でアシュに問う。

「おい、姉さん。どこまで行く気だ」

 アシュは立ち止まると、指笛を吹いた。数名がばらばらと木の影から出て来る。一度、最初の街で見た連中だ。
 彼女はメリアを見て忠告する。

「大丈夫だと思うけど、一応、心の準備だけはしておいてくれ」

 メリアが答える間も無く、森の奥の漆黒の闇から、(あか)い光が飛び出してきた。
 瞬時に剣を抜き、最初の攻撃を受け止める。硬い音が反響し、メリアは後ろへ飛ばされる。
 一回転して、両足で土を(えぐ)りながら勢いを止める。
 左手と両足で身体を支えて前を向くと、(あか)い光は大男の左眼から出ていることに気付く。

「なんなんだ、コイツ……」
「おい、姉さん! 話が違うぞ、図ったのか!」
「キヴリ……あたしの風の束縛を破りやがった」

 キヴリと呼ばれた大男は、前のめりに倒れた姿勢からその身体を起こし、メリアに向き直る。

「戦神……。おれと(たたか)え。お前を倒して、おれが戦神の呼び名を引き継いでやる!」

 叫んで地を蹴り、黒く鈍い光沢を放つ右腕を大きく振りかぶりながら、メリアに突っ込んで来る。

 メリアはただならぬ予感に、その両眼を(あか)く光らせ、力を解放した。
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