第2話 Freaks
文字数 2,170文字
青年マレルは森の中を走っていた。
自然に巻かれた金色の髪、くっきりとした目鼻立ち。長旅でボロボロだが元々は高貴な者が羽織るはずの、白地に大きな柄の刺繍が施 されたローブ。
その腕には一冊の大きな本を抱 えている。
頭上から光が漏れ射す一面の緑の世界を、彼は何かから逃げるように、振り返りながら足を動かす。
足音だけが響き渡る中、時々、ガサッと葉を掻 くような音が混じる。
その音は、徐々にマレルに近付いてくる。
「魔物か……!」
走りながら呟 く。自分が人の子の領域を超えた場所にいることは分かっているが、帝国での暮らしでは、魔物というのは文献でしか目にしたことがない。だからあの音がそれだったとしても、逃げるという対処方法しか思いつかないのだ。
重い本を抱 えながら息を切らしていた彼は、ついに足がもつれて転んでしまう。本は彼から離れて前に吹っ飛んでいく。
マレルは身体を起こそうとして、本を拾う影があることに気付いた。
顔を上げて凝視し、驚いて声を出す。
「人の……子?」
本を取り上げ珍しそうに眺めるのは、ひとりの少女だった。彼よりも汚れた軽装に、傷の跡がたくさんある幼い顔。なぜこんな所にいるのかということよりも、その悲惨な姿に驚いてしまう。
「あんた、こんなトコで何してんのさ。魔物に襲われるぞ」
「……君こそ、子供がひとりで、危ないじゃないか」
ローブに付いた土を払いながら彼が放った言葉に、少女は吹き出して笑う。
「アタイのこと心配した人の子は、じいちゃん以外ではあんたが初めてだよ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「こんな風に火を点けるのか。魔術みたいだな」
マレルが点火棒を擦 って焚き木に点火すると、二重の眼をキラキラさせて少女が呟 く。ほのかに瞳が赤く見えるのは、火を見つめているからだろうか。
「寒いなら、これ貸そうか?」
かつては純白に輝いていたと思われるボロボロのローブを広げて見せると、彼女は物凄く嫌そうな顔で首を横に振る。
「それよりさ、それは何? 大事そうに持ってるやつ」
「これは本だよ。図書館にあったのをくすねて来たんだ」
「本を盗んで逃げたのか? 変な奴だな」
「本を読んで、西の海が見たくなったのさ。少しでも近付きたくなってね」
マレルは苦笑する。本を広げ、少し離れたところに行儀の悪い姿勢で座っている少女に中身を見せる。
「遥か彼方の大陸アシェバラドの、高名な魔導師 が記した本なんだ。彼 の地の英雄ルキの冒険譚 さ」
「ルキ? アタイのじいちゃんの名と同じだ」
彼はその言葉に、ふと一つの不安が頭をよぎる。
この大陸エンドラシアにおけるルキという名としては、戦神ルキが一番有名だろう。その子の子、つまり孫に当たる人の子は、帝国の兵団を何度も退けた、戦神メリアと呼ばれる女……。
「メリア……?」
「おっ。アタイの名を知ってるのか。有名になったもんだなぁ」
メリアは足をバタつかせて喜ぶ。彼女の仕草が可愛らしくて、マレルの心では恐怖よりも安心が勝り、逃げ出そうとは思わなかった。ただ、少し背中が冷たくなった気がした。
「なあ、それは何て書いてあるんだ? アタイ、人の子の字が読めないんだよ」
「なら読んであげるよ。最初からだと長いから、僕が面白いと思ったところだけで良いかな」
メリアが本を覗き込むために、身体をくっつけてくる。血の匂いに被 さるように、薬草の良い香りがする。マレルの鼓動が少し大きくなる。これは恐怖なのか、それとも別の感情なのか、よく分からなかった。
彼はゆっくりと本を読み聞かせる。ルキが仲間と共に北へ、東へと旅をして、大陸の平和を脅 かす呪いや黒い獣を退けていった話。だが、呪いの詳しい話を聴いていたメリアは、笑顔から真剣な表情に変わる。
「両腕に呪い、海洋神の力って……。やっぱり、じいちゃんじゃないか」
「戦神ルキと、この英雄ルキが同じ人の子だってこと?」
「じいちゃんは、腕がほとんど動かなかったんだ。それでもこの大陸でじいちゃんに敵 う奴はいなかったけどな」
「戦神ルキの腕は動かなかったのか。そんな話、聞いたことなかったな」
「それに、アタイは海洋神の……あっ」
彼女は何やら秘密を口にしてしまったかのように、手で自分の口を塞いだ。
「でも、この本を記したのは英雄ルキと一緒に旅した人の子で、記述によれば、英雄ルキがアシェバラドで冒険したのは百年も前のことだよ。同じ人だとしたら、君のおじいさんは長く生き過ぎてる」
彼女はうーん、と唸 り、両腕を枕にして草の上に寝転がる。
「ちょっと頭痛くなってきた……」
その言葉に、マレルは狼狽 える。
「やっぱりそんな薄い服着てるから、寒くて病気になったんじゃないか」
「違うよ。こんなに考え事したことないから、頭を使い過ぎたんだ」
メリアはそう言って大声で笑う。
「あんた、本当に面白い奴だ。こんな人の子もいるんだな」
マレルも微笑む。少し、彼女の事を知りたくなった。
「君はここに住んでるの?」
「そうだよ、あの塔に住んでる」
彼女は木々の間から見える、斜めに傾いた塔を指差す。
「今にも倒れそうじゃないか。あんな所で怖くないのか」
「怖かないよ。だって……」
その時。
ふたりが眺めていた塔の一番上の部分が光り、大きな炎が上がった。少しして、轟音 が響いてくる。
マレルが彼女の顔を見遣 ると、その瞳は紅 い光を湛 えていた。
自然に巻かれた金色の髪、くっきりとした目鼻立ち。長旅でボロボロだが元々は高貴な者が羽織るはずの、白地に大きな柄の刺繍が
その腕には一冊の大きな本を
頭上から光が漏れ射す一面の緑の世界を、彼は何かから逃げるように、振り返りながら足を動かす。
足音だけが響き渡る中、時々、ガサッと葉を
その音は、徐々にマレルに近付いてくる。
「魔物か……!」
走りながら
重い本を
マレルは身体を起こそうとして、本を拾う影があることに気付いた。
顔を上げて凝視し、驚いて声を出す。
「人の……子?」
本を取り上げ珍しそうに眺めるのは、ひとりの少女だった。彼よりも汚れた軽装に、傷の跡がたくさんある幼い顔。なぜこんな所にいるのかということよりも、その悲惨な姿に驚いてしまう。
「あんた、こんなトコで何してんのさ。魔物に襲われるぞ」
「……君こそ、子供がひとりで、危ないじゃないか」
ローブに付いた土を払いながら彼が放った言葉に、少女は吹き出して笑う。
「アタイのこと心配した人の子は、じいちゃん以外ではあんたが初めてだよ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「こんな風に火を点けるのか。魔術みたいだな」
マレルが点火棒を
「寒いなら、これ貸そうか?」
かつては純白に輝いていたと思われるボロボロのローブを広げて見せると、彼女は物凄く嫌そうな顔で首を横に振る。
「それよりさ、それは何? 大事そうに持ってるやつ」
「これは本だよ。図書館にあったのをくすねて来たんだ」
「本を盗んで逃げたのか? 変な奴だな」
「本を読んで、西の海が見たくなったのさ。少しでも近付きたくなってね」
マレルは苦笑する。本を広げ、少し離れたところに行儀の悪い姿勢で座っている少女に中身を見せる。
「遥か彼方の大陸アシェバラドの、高名な
「ルキ? アタイのじいちゃんの名と同じだ」
彼はその言葉に、ふと一つの不安が頭をよぎる。
この大陸エンドラシアにおけるルキという名としては、戦神ルキが一番有名だろう。その子の子、つまり孫に当たる人の子は、帝国の兵団を何度も退けた、戦神メリアと呼ばれる女……。
「メリア……?」
「おっ。アタイの名を知ってるのか。有名になったもんだなぁ」
メリアは足をバタつかせて喜ぶ。彼女の仕草が可愛らしくて、マレルの心では恐怖よりも安心が勝り、逃げ出そうとは思わなかった。ただ、少し背中が冷たくなった気がした。
「なあ、それは何て書いてあるんだ? アタイ、人の子の字が読めないんだよ」
「なら読んであげるよ。最初からだと長いから、僕が面白いと思ったところだけで良いかな」
メリアが本を覗き込むために、身体をくっつけてくる。血の匂いに
彼はゆっくりと本を読み聞かせる。ルキが仲間と共に北へ、東へと旅をして、大陸の平和を
「両腕に呪い、海洋神の力って……。やっぱり、じいちゃんじゃないか」
「戦神ルキと、この英雄ルキが同じ人の子だってこと?」
「じいちゃんは、腕がほとんど動かなかったんだ。それでもこの大陸でじいちゃんに
「戦神ルキの腕は動かなかったのか。そんな話、聞いたことなかったな」
「それに、アタイは海洋神の……あっ」
彼女は何やら秘密を口にしてしまったかのように、手で自分の口を塞いだ。
「でも、この本を記したのは英雄ルキと一緒に旅した人の子で、記述によれば、英雄ルキがアシェバラドで冒険したのは百年も前のことだよ。同じ人だとしたら、君のおじいさんは長く生き過ぎてる」
彼女はうーん、と
「ちょっと頭痛くなってきた……」
その言葉に、マレルは
「やっぱりそんな薄い服着てるから、寒くて病気になったんじゃないか」
「違うよ。こんなに考え事したことないから、頭を使い過ぎたんだ」
メリアはそう言って大声で笑う。
「あんた、本当に面白い奴だ。こんな人の子もいるんだな」
マレルも微笑む。少し、彼女の事を知りたくなった。
「君はここに住んでるの?」
「そうだよ、あの塔に住んでる」
彼女は木々の間から見える、斜めに傾いた塔を指差す。
「今にも倒れそうじゃないか。あんな所で怖くないのか」
「怖かないよ。だって……」
その時。
ふたりが眺めていた塔の一番上の部分が光り、大きな炎が上がった。少しして、
マレルが彼女の顔を