第1話

文字数 1,234文字

「それでね、今日はパンを二つも食べたんだって」
 開け放してある窓から、さわやかな秋の風が吹き込んできた。
「でも、まだスープに浸したパンって言ってたけど……」
 勢い込んだものの、言ってから小さく息をはいた。
 目の前の石組みの壁にそっと手を伸ばす。なめらかな手触りに指を沿わせる。
 まだやせ細ってはいるが、カレルはしきりに外に出たがってマルテさんを困らせているらしい。
「目がぱっちりとしていてね、栗みたいな茶色で」
 痩せているから、余計に目が大きく見えるのかもしれない。シーラは、抱え込んでいるひざをゆっくりと左右に揺らした。
「髪はちょっとヘストの髪の色に似てるかも。父さんは、ヘストの髪は胡桃色だって言ってたけど」
 一番上の弟を、シーラは思い出した。いつもその髪はくしゃくしゃで、シーラがといてあげようとすると嫌がって逃げ回っていた。
―やだよう!
―なんで。ちょっとヘスト、待って。
―だって姉ちゃんがやると痛いんだもん。
 シーラは、うつむいてひざに額を乗せた。風のせいか、板戸ががたんと揺れた。
「このあいだ聞いたらね……」
 少しだけ顔を上げて、冷たい灰色の壁をじっと見る。
「十歳だって言ってたよ。でも、見た感じはレンと同じくらいに見えるよね。十歳とは思わなかった。ちょっとびっくりした」
 二番目の弟のレンはシーラの五歳下だから、あの頃で七歳くらい。
「でも、なんだかよくしゃべる子。マルテさんのことも、おばさんなんて言うから、どきどきしちゃった」
 ふふ、と思わずシーラは笑ってしまった。何日か前、夕食前に様子を見に行ったときのことだ。
―おばさん、おれ、腹減ったんだってば。
―わかっていますよ。そのパンをお食べなさい。
―だっておれ、スープにつけたパンは嫌いなんだよ。
―我慢しなさい。まだあまり堅いものはお腹によくないのよ。
―えー。もう大丈夫だって。なんかほかのにしてよ、おばさん。
―だめ。無理するとまたお腹が痛くなるわよ。
 ぶう、と音が出そうにほっぺたを膨らまして、ようやくカレルはしぶしぶと器のパンに手を伸ばしていた。
「おもしろい子だなあ」
 家族をなくし、一人で街や村をさまよって物乞いや人足仕事のようなことをしていたと聞いた。今度もお腹をすかして道の途中で行き倒れていたということらしい。それなのに、カレルにはそのことで思い悩む様子が全然ないように見える。
「シーラ? シーラ、いる?」
 急に呼ばれてシーラは振り向いた。戸口からファイーナが顔を出している。
「ファイーナ、どうしたの?」
 ベッドを下りていくと、ファイーナは顔をしかめた。
「ねえ、あの子、カレル、見なかった?」
「え、見てない、けど……」
 小さく舌打ちしてファイーナは廊下の入り口の方を振り返った。
「どうしたの?」
「ちょっと目を離したすきに、部屋からいなくなっちゃったんだって」
「え……」
「こっちの方に来たのかも、って思ったんだけど」
 言いながらファイーナはまた廊下を戻っていく。シーラもそれを追いかけて外に出た。

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