第11話

文字数 2,551文字

 シーラの父親は港で荷役をして働いていた。無口だが優しかった。母親は反対に話し好きで陽気だった。いつもくるくると家の仕事や子供の世話をしていた。
 小さい弟たちがいるから、シーラはいつも母親の手伝いをしていた。
 弟たちは元気で騒がしく、しょっちゅうけんかをしていた。一番下のマーシュはまだ小さくて相手にならなかったが、ヘストとレンは、ちょっと仲よく遊んでいるかと思うとすぐに取っ組み合いのけんかになって、なだめに入ったシーラが今度はヘストとけんかになったりした。
「シーラ、なーんであんたがけんかしてるの。それよりちょっと手伝って」
 半分呆れて笑う母さんに言われて、ヘストを無視して台所に駆け込んだりした。マーシュをおぶってかまどの火を見ていた母親に、「お姉ちゃんなんだから、がまんしてよ」などと言われるたびに、「なんであたしばっかり……」と口を尖らせていた。
 その頃、街にはおかしな噂がはやっていた。シーラは最初、それを近所の友達に聞いた。それは、東の異国から珍しいものを扱う商人がねずみを引き連れてやってくる、というものだった。その商人が去ると、みんながそのあとについていってしまって誰もいなくなってしまうのだという。商人は香料の商人だったり、連れているのもねずみではなく蜘蛛だったり、多少違う話もいくつかあった。同じなのは最後の部分で、結局街には誰もいなくなってしまうのだ。
「だからね、道端で商売している人には近づいちゃだめなんだって」
 その友達は物知り顔にそうシーラに話した。
「そうなの? 近づくとどうなるの?」
 すると友達はちょっと困った顔になって、とにかくだめなの、と繰り返した。
 そんな噂のことなんてもう忘れた頃、街の寄り合いから戻った父さんが、北の方で疫病にやられた街があるらしいと真面目な顔で言った。まだはっきりとはわからないがいつルマーリアにもやってくるかもしれないと言って、母さんを怖がらせた。
「おーやだやだ、疫病なんて。ちょっと、あんたたちも気をつけてね。むやみに知らない人に近寄ったりしちゃだめだよ」
「知らない人も道端の商売人もだめだ。旅芸人もだ。できれば港には近づかない方がいい」
 父さんの重々しい言い方で、シーラにはやっと現実味を帯びて聞こえた。それでもまだ半信半疑というか、疫病がどういうものがシーラにはよくわかっていなかった。
「ちょっとシーラ!」
 ある日、部屋にいたシーラは母親に呼ばれて台所に行った。母親はマーシュを足元にまとわりつかせたまま、野菜箱をのぞいていた。
「シーラ、青菜と卵を買ってきてって言わなかった?」
 しまった、とシーラは思った。いや、買いに行くのを忘れていたわけではない。それは弟のヘストが行くことになっていたのだ。その数日前、遊びに行きたがったヘストの代わりに留守番をして、その代わりに今度のお使いはヘストが行く、ということになった。それで、母さんにお使いを頼まれたとき、シーラはヘストに頼んでおいたのだ。ところが。
「ヘストは?」
「ヘスト? さあ、どっか遊びに行ってるんじゃないの。ヘストのことじゃなくて、シーラ、頼んだことはちゃんとやってくれないとだめじゃない」
「だって……」
「だってじゃないよ。もう、母さんは大変なんだから、シーラがちゃんと手伝ってくれなきゃ困るよ。お姉ちゃんだろ? それくらいわかると思ってたのに」
 ぶつぶつと言われて、シーラはむっとした。いつでもがんばってお手伝いしているのに。それに、今日のお使いはヘストが行くことになっていたのだ。悪いのはヘストなのに。
「ほら、すぐ買ってきて。早くしないと食事の時間に間に合わないよ」
 シーラは無言のまま走って外に出た。
 無性に腹が立った。腹が立って腹が立って、シーラはめちゃくちゃに走った。
 なんで。なんでいつもあたしばっかり。そう思うと胸の中が黒々といやな気持ちでいっぱいになって、シーラはただ走った。今までがまんしてきたあんなことやこんなことが次々と思い出されて、なおも走った。
 気がつくと、シーラは港に来ていた。このところ父さんの話があってからは来ていなかったので、ずいぶん久しぶりという感じがした。荷揚げが一段落したのか、港は閑散としていた。なんとなく少し我に返ったような気分で足を緩め、ぼんやり歩いていると、どこからか軽快な笛の音がする。シーラはいつのまにか引き寄せられるように、その音の方へと歩いていた。
 積まれた荷の間の一角で、男が一人、笛を吹いていた。どこから来たのか、ひらひらとした変わった服を着ていた。男の前には小さなからくり細工のおもちゃがいくつか並べられていて、男は笛を吹きながら時折片足のつま先でそのおもちゃをつつく。すると、あるものはかたかたと歩き出し、あるものはくるくる回り出し、またあるものは小さな旗を上げたり下げたりした。
 なんとなくその前でシーラは足を止めた。
 明るい色でにぎやかに塗られたからくり細工は、動きもおもしろくて見ていて飽きない。シーラは吸い込まれるように見入っていた。
「あーあ、まったくだめだなあ」
 やがて笛を止めて、男はお手上げというような顔で天を見上げた。
「ここんとこどこ行ってもさっぱりだよ。お嬢ちゃん、悪いね、今日はもう引き上げだ」
 男は、並べてあったからくり人形を手早くまとめて袋にしまい始めた。
 シーラがなおもその場でじっとそれを見ていると、男はひょいと顔を上げ、「これ、やるよ」と馬に乗っている男の細工人形を差し出した。
「……いいの?」
「いいよ。持っていきな」
 シーラはおずおずとそれを受け取った。黒くて小さな馬の目が、シーラをじっと見た。
「……ありがとう、おじさん」
「どういたしまして。今度会うときゃ、買ってくれな」
 袋をかついで手を振って立ち去る男を見送って、シーラは手の中のからくり人形をじっと眺めた。
 普段おもちゃなどめったに買ってもらえなかったから、それはまるでシーラの手の中で宝物のように輝いて見えた。
「かわいい……」
 ちょっと振ると、かたかたと手を上げ、尻尾が揺れる。自然に顔が笑ってしまって、シーラはそれを大事に服のポケットにしまった。それから、やっと当初の目的を思い出して、飛び跳ねるように市場へ向かった。
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