第3話

文字数 1,924文字

「怪我はどうだ?」
 カレルはヘルベルトの剣を抱えたまま振り向いた。
「うん、全然たいしたことない」
「痛くないか」
「ちょっとだけ。でもすぐ治るって」
「そうか」
 カレルは部屋の隅の架台にずっしりと重みのある剣を乗せた。ヘルベルトのところに戻って、鎧を外すのを手伝う。
 身軽になったヘルベルトはぐーっと伸びをし、それからカレルが出しておいた茶を口に運んだ。
「茶を入れるのがずいぶんうまくなったな」
「ほんと? やった!」
 おれも味見すると言うと、ヘルベルトはカップをぬっと突き出してきた。受け取って口をつける。
「おい、全部飲むなよ」
「けちなこと言うなよ。まだあるから入れてやるって」
 カレルは顔をしかめた。どうもヘルベルトはなんというか、領主のくせにけちくさい、と最近わかってきた。そして、本当はお茶なんかより葡萄酒の方がいいと思ってることも。
 結局全部飲み干してから、カレルはもう一度カップに茶葉と湯を注いだ。
「で、どんな感じ? 峠の方」
「ふん……」
 カップを手にしてヘルベルトは立ち上がり、窓から外を見下ろすように窓辺に立った。すっと遠くを見る目になる。
 うす曇りの空から、冷たい風が吹き込んできた。
「今まではちょっとした小手調べという感じだったが、そろそろ本格的に来るだろうな」
 山の雪がとけ始めている、とヘルベルトは言った。あれで小手調べなのかと、カレルはついこのあいだの雨中の戦いを思った。
「馬をそこそこ操れる奴なら、峠道からでなくてもあの尾根は越えられる」
 カレルは、あのとき馬が四苦八苦しながら山を越えたのを思い出した。
「あんなに足場が悪いのに?」
「確かに悪いが、雪がなければそれほど無理なことじゃない」
 あのときの雨は、結局一晩続いた。雷は夜半前には遠ざかっていたが、雨は明け方になってようやく止んだのだ。その雨で、山の雪はずいぶんとけてしまったらしい。この先は雪より雨が多くなるのだろう。
「おれもそれくらいうまく馬に乗れるようになりたい」
「おう、いつでも特訓してやるぞ」
 ヘルベルトがうれしそうに振り向くのに、カレルはちょっと顔を背けた。
「じゃあ……、おれがもう少し大きくなって、一人で馬にまたがれるようになったら、ヘルベルト様のところで使ってくれる……?」
 ゆっくりと手のカップを卓に戻すヘルベルトの表情を、カレルはそっとうかがう。
「あの娘の方がいいか」
 聞きようによってはどこか拗ねたような口調で、ヘルベルトはあごをしゃくった。
 どう言えばいいのかと、カレルは少し考えた。
「おれ、ヘルベルト様のこと、好きだよ」
「……そりゃ、ありがたいが、お前も変わり者だな」
 ヘルベルトが苦笑する。
「おれ、もうどうでもいいって思ってた。なにするのも疲れて、なにもしたくなかった。腹も減って力も出なくて。シーラがおれを見つけてここに連れてきてくれたから、おれ、ちょっと元気が出た。ここで面倒見てもらって、仕事して、けっこうおれもいけるのかも、って思えてきた。ヘルベルト様のところで仕事するようになって、もっといろいろやりたいって思った。でも……」
「……でも?」
「でも、おれ……。おれ、まだまだ全然子供で、一人じゃなにもできないんだ。この間だって、結局シーラが飛び込んでこなかったら……」
 降りしきる雨の中、後ろから腕をつかまれて引っぱられた。そのままシーラがカレルをかばうように自分から覆いかぶさってきたのを、覚えている。
「……そんなんでヘルベルト様のところにいても、役に立たない」
 あのときはお前にしろあの娘にしろ無謀という点ではたいした違いはないと思うが、とヘルベルトはひょいと肩をすくめてつぶやいた。
「それに、おれ、二回もシーラに助けてもらったから、今度はおれがシーラを助けたい。別にシーラはおれがいなくても困らないかもしれないけど……、でも、シーラが……、本当に一人で平気になるまでは、一緒にいたいんだ。ヘルベルト様のところじゃまだ足手まといかもしれないけど、シーラと一緒にいて……助けることなら、きっとできると思うんだ」
 言葉につかえながら、カレルはやっとの思いで言った。
 ヘルベルト様もおれのことを心配してくれる。うぬぼれでなくそう思える。そう思えることが、うれしい。そのヘルベルトにこう言うのは、少なからず胸が痛んだ。
「ま、しょうがないな、お前のしたいようにすればいい」
 意外にあっさり答えるヘルベルトの顔が、ふと緩む。
「しかし、十歳のガキでもいっちょ前のことを言うもんだな」
「ガキって言うなよ……」
 ちょっと唇を尖らせて抗議する。
 だが、それにはかまわずヘルベルトは破願した。
「よくわかった。あの娘はお前が死んでも守る、とそういうことか」
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