第5話

文字数 2,407文字

「本当は十五になった娘が修道女になるという誓いを立ててやってくるのに、シーラは親戚の者に年足らずのまま連れてこられたんだ」
 もちろん、とディークスさんは続ける。
「そういう娘が別にシーラだけってわけじゃない。ここの修道院だって、年はともかくとしても恵まれない境遇の娘が多いからなあ。リーゼにしろファイーナにしろ」
「え、リーゼ? ファイーナも?」
「そうだよ。リーゼは義理の父がひどい大酒飲みの乱暴者でな、しょっちゅう殴られたり怒鳴られたりしていたらしい。病弱な母親には止められなかったそうだ。それで心配した母親が連れてきた。ファイーナは兄弟が多くて生活が苦しくて、自分から来たという話だ。まあ修道院の趣旨から外れているといやあそうだが、そうじゃないと生きていけない、っていうこともあるんだな」
 カレルは、ちょっと意外な気がした。リーゼのあの不機嫌そうな顔や意地悪な物言いが、なんとなくわかるような気がしなくもない、ような気がしたが、やっぱりよくわからなかった。それに、ファイーナだって、普段のあの明るい様子からは、そんなことはちっともわからない。
「だからまあ、シーラだけが特別かわいそうなわけでもないと思うが、とにかく話さない子だったな。話さない、笑わない。それに、泣きもしないんだ。いつも小さくなって震えてるような感じだった。なにか聞いても黙って首を振るだけ。下手をすると逃げてしまう」
 リーゼの言葉に黙ってうつむくシーラ。
「濡れるよ」と言ってカレルに上着を着せてくれるシーラ。
 熱を出して赤い顔で眠るシーラ。
 自分の知っているシーラの姿が、脳裏に浮かぶ。
「それを思うと、今のシーラは見違えるくらい元気になったと思うね。話すようになったし、それになあ、笑うじゃないか」
 ディークスさんは、本当にうれしそうな顔になった。
「おれはな、それは、お前のおかげだと思ってるんだ」
「ええ? おれ?」
 カレルは思わずのけぞった。
「いや、もちろん少しずつシーラは元気になっていたがな」
 それでも、この一、二ヵ月でシーラは本当に楽しそうに笑うようになったぞ、とディークスさんに言われて、カレルは自分でも意外なくらいに照れた。
「な、なんでおれの?」
「まあ、確かにお前はいつも騒々しくておもしろいやつだがなあ」
「……それって、誉められてんのかなあ?」
 ディークスさんは声を上げて笑った。そして、穏やかな表情をカレルに向ける。
「お前みたいなやつから見れば多少じれったく思えるかもしれんが、それがシーラなんだ。なんていうか……、みんな、自分だけのものを持っているから、みんなそれぞれ違うんだ。それはいいとか悪いとかじゃない。わかるか?」
 ためらいつつもカレルは頷いた。
 それになあ、とディークスさんは優しく続ける。
「シーラはたぶん、お前のことがひとごとじゃないのだろうな。心配であれこれ世話をやいて、それがときどき行き過ぎてしまうのかもしれんなあ」
「それは……、わかってるよ」
 つい、声が小さくなる。それはわかってる。
 はじめてここで目を覚ましたとき、それはもうずいぶん昔のことのような気がしたが、そのときそばについていたのはこの子だと、そのあとまた部屋をのぞきに来たシーラを見てカレルはすぐにわかった。
 目を覚ましたときはなんだか朦朧としていて腹も気持ち悪かったから、あんまり周りの様子はよくわからなかったが、それでも、そばに誰かがいるのはわかった。
 長いこと忘れていた布団の感触で、寝かされているということはわかったものの、いったい誰に拾われたんだろうと不安だった。人使いの荒い農夫か、子供の稼ぎを巻き上げるごろつきか。
 だから、そばにいたのが女の子だとわかったときは、驚いた。のぞき込んでいる顔が、目を覚ましたからには稼いでもらうぞという顔ではなく、本当に心配そうな顔だったので、なんだかずいぶんほっとした。
 立ち上がろうとしたその子の服を、思わずつかんでいた。すると、また座ってくれた。あの時シーラはなにか言った気がする。それを聞いてなんだかすごく、こう、落ち着いたというか、不安な気持ちが消えていった。なんて言ったんだったっけ。
 ……そうだ。
―大丈夫、どこにも行かないから。
 そう、シーラは言ったんだ。
 あーあ、とカレルはため息をついた。
「ディークスさん、おれ……」
「なんだ?」
「シーラに言っちゃったんだよ。おれはシーラの弟じゃないって……」
「ははあ……」
 ディークスさんがおもしろそうな笑顔になる。
「で?」
「で、って……、そのまま……」
「なるほど」
「なあ、そんなふうに言わないでくれよ」
「悪いと思ってるのか?」
「まあ……。でも、ほんとのことだろ? おれ、シーラの弟じゃないもん」
「まあなあ」
 ディークスさんはそう言ったきり、にやにやとカレルを見ている。
「なんで笑うんだよう」
「いやすまんすまん。じゃあお前は本当のことを言ったからいいと思ってるんだな」
「それは……」
 そうはっきり聞かれると、カレルはなんと言っていいかわからない。本当のことを言ってる、それはそうだと思うが、それがいいのか悪いのか、と言われると、よくわからない。本当のことでもよくないことだっただろうか、やっぱり。
「ま、よく考えてみるんだな。馬のブラシ終わったら、水、頼むぞ」
「あ、うん……」
 ディークスさんはゆっくりと立ち上がって、ぽんぽんとカレルの肩をたたくと、片足を引きすりながら馬屋を出て行ってしまった。
「えー、やっぱまずかったのかなあ……」
 カレルは、ぽふ、と馬の首に頭をのせた。首といっても、カレルの身長ではもうほとんど肩というか胴のあたりだったが。
「あーあ……」
 馬がひぶぶと鼻を鳴らし、首を回してカレルの方に鼻面を向けてくる。
「ありがとよ。お前はいいやつだな」
 カレルは、そのなめらかに黒く光る首筋を、手をいっぱいに伸ばして優しく何度もなでてやった。
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