第14話

文字数 1,410文字

 シーラはそのとき、敵兵の背後の空になにか白いものを見たような気がした。
 すぐに、目がくらむほどの光に覆われてあたりの様子がわからなくなる。それとほとんど同時に、天が落ちるのかと思われるような雷鳴があたりに轟く。
 次の瞬間、またあたりがもとのように薄暗くなった。そしてその暗い空に、なにかが、悠然と身をくねらせていた。筆ですうっと描いたような細長い体が白く浮かびあがる。
「あ、あれ……」
 シーラの舌はもつれた。
 黒い雲が空を覆っていて、あたりは日暮れ時のようだ。
 そこを、白く光る長い体を優雅に泳がせる、竜の姿があった。
 不思議な竜だった。いや、竜など見たことがないから、それが不思議なのか普通なのか本当はよくわからない。ごつごつしたうろこのようなものに覆われ、一瞬の稲光に白銀色に光る。曲線を描く蛇のような長い体に、その大きさには不似合いな小さな一対の翼があり、そしてその少し後ろの方に一対の足がちょこんと突き出ているのがわかる。トカゲかなにかのような長い口が威嚇するようにゆっくり開いたり閉じたりしていて、そのすきまからとがった牙がちらりと見えた。その貧弱な翼さえなければ、いっそ本当に蛇かトカゲに思えた。
 シーラは振り下ろされる剣のことも忘れて、まるでおとぎ話にでも出てくるようなその姿に目を奪われた。
 その間にその竜もどきはぐっと体を折り曲げ、シーラたちの方に急降下してきた。見る間に目前に迫り、敵兵の剣をかいくぐるようにして、シーラの目の前でその巨大なあごをぐっと突き出すと、目の前を横切りざま、その鋭いカギ爪のついた脚で、カレルごとシーラの体をぐいとつかんだ。
 あっという間もなく、シーラの体はすごい勢いで宙高く舞い上がっていた。はね飛ばされて地面に転がる敵兵の姿が、みるみる遠くなる。激しい雨にたたかれる山の木々がどんどん遠くなる。峠の方から何頭もの馬が駆けてくるのが見えた。修道院の方からも、一団となった馬の姿が見えた。
「なんだ、これは」
 ずいぶん間の抜けた、呆けたような声に、シーラは心臓が飛び上がるほど驚いた。
 振り向くと、ご領主様が一緒に竜につかまれていた。
「……ご領主様……」
 シーラも、なんと言っていいのかわからない。と、抱え込んでいたカレルがもぞもぞと動いた。急いでなんとか腕を緩めると、カレルが水から上がるときのようにがばっと顔を上げた。
「ふわあ、苦しかった」
 そう言ってきょろきょろとあたりを見回し、頭の上の白いものにぎょっとした。シーラの後ろも見て、また目を見開く。
「ヘルベルト様……」
「……どうやら、一緒に同じ夢を見ているらしいな」
 ご領主様の声は、苦々しかった。
 三人は、白い竜の脚につかまれたまま、雨降る宙を飛んだ。風がいっそう激しくて、顔にあたる雨粒が痛い。頭上の竜の白い体は、右に左に優美な曲線を描いて、風雨の中を滑空する。
 雨の中にいると水の中にいるみたい、とカレルは言った。雨の中に沈む山の木々、その上を泳ぐシーラたち。濡れた山並みや灰色の雲がどんどん視界を流れていく。
 それは、なんという不思議な光景だっただろう。
 稲光が同じ高さでまるで空のひび割れのように光る。その間を縫うように、シーラたちはエトレ峠や峠に向かう道や修道院の塔を見下ろして飛んでいる。
 また空が青白く光った。同時に耳をつんざく雷鳴が轟く。シーラは思わず目をつむった。
 シーラの記憶は、そこで途切れた。
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