第4話
文字数 1,773文字
「どうなさるおつもりですか」
「どうもこうも、仕方あるまい。ルマーリアの予備兵と北のレイビーの兵に急ぎ準備させている」
「……間に合いましょうか」
「……そなたはどう思う」
院長は、手のカップを応接机に戻した。
「そうですね……。サナーレス伯が雪どけまで待ってくれるかどうか、でございましょう」
言ってついまたため息が出た。
ヘルベルトが、なぜかうれしそうににやりと笑う。
「そうだ。今年はいつもより雪が少ないようだからな」
それには答えず、院長は黙ってヘルベルトのカップに茶葉を足した。
湯を注ぎ、ヘルベルトのカップに茶がなみなみと美しい色を浮かべるのを確かめる。
「それにしても、そなた」
新しい茶の注がれたカップを持ち上げて、ヘルベルトはにやりと笑う。
「なにか」
「修道院長などにしておくにはもったいない女だ。私のところに来ないか」
その意図するところをはかりかねて、院長は黙って首をかしげた。
それは、わたくしにヘルベルト殿の女になれ、ということだろうか?
今日の話の本筋は真面目で危機感あふれるものだったはずなのに、院長は、思わず笑いそうになるのをなんとかこらえる。
ヘルベルトにはそう年の違わない奥方がいるし、まだ幼いが二人の男子もある。
副院長がいなくてよかった、と内心胸をなでおろした。今日のヘルベルトは妙に笑えることばかり言うが、副院長はそうは思わないだろう。ここは素知らぬ振りをしておくことにした。
「それこそわたくしには務まりません」
「そんなことはない。そなたは頭もよいし、分別を知っている。話していても退屈せぬような女はなかなかおらぬぞ。そなたになら、私もあれこれ相談しがいがあるというものだ」
「そのように言っていただくのはまことに恐れ多いことではございますが……」
どうも誉められているようなのだが、今一つヘルベルトの言葉の真意をつかみきれず、院長は用心深く答えた。
「それに、せっかくいい女なのに無駄にすることはあるまい」
にやり、とヘルベルトは意味ありげな笑みを浮かべる。
院長はがくりと力の抜ける気がした。
それはそれで、いかにもヘルベルトらしいといえばらしいのだが。
「……あなた様がそんなふうでは、この戦の先が思いやられますね」
思わず、あからさまにあきれた口調になってしまう。
「きつい女だ」
ヘルベルトは、またうれしそうに笑った。
「そうやってこのかび臭い修道院にこもって生きていくつもりなのか」
「あなたこそ、王と反王派の争いなどとるに足らないことが原因ではありませんか。お金のために命を無駄にするなど馬鹿げたことです」
「馬鹿げたこと、か。確かにそうかもしれぬがな」
「領主の地位など捨てて、神に仕える道を選ぶこともできるのですよ」
思わず力をこめていた。しかし、ヘルベルトはそれを鼻で笑った。
「神など、なんの助けにもならん」
信じていない者にとっては神の存在など、なにもないのと同じなのだ。ため息をついて、院長は祈りの言葉をつぶやいた。
「……ヘルベルト殿とともに、聖なるお方がおられんことを」
「そんなやつはいらん」
「神はどこにでもおられます。神を信じていない者のところにも」
ふと、ヘルベルトが不思議な光をたたえた目で院長を見つめた。院長ははっとした。
「……院長、そなたは……、私の幸運を祈ってくれるか」
院長はしばらくの間、黙ってヘルベルトの顔を見つめた。ひげだらけで深いしわの刻まれた、いつになく真剣なその顔を。
戦は、どうなるのだろう。ヘルベルトはどう思っているのだろう。どのくらい……勝算があると踏んでいるのだろう。下手をすれば、国を二分する大きな戦になるかもしれない。その端緒になるかもしれない戦なのだ。
思わず口に出しそうになった言葉を、院長は飲み込んだ。
「……わたくしはいつも、わたくしに関わりのある方々すべての幸運を、心からお祈りしております」
そう言ったときにヘルベルトの目に走ったものを、どう受け止めればいいのか、院長にはわからなかった。
いっときそうして互いに無言で見つめ合っていた。やがて、ヘルベルトが小さく笑う。
「ふん、強情なやつめ」
院長が、先に目をそらした。ヘルベルトもゆっくりと窓の方に視線を移す。
外では、相変わらず雪が斜めに降っていた。
しばらくの間、ただ黙ってそうして、窓の外の雪を見ていた。
「どうもこうも、仕方あるまい。ルマーリアの予備兵と北のレイビーの兵に急ぎ準備させている」
「……間に合いましょうか」
「……そなたはどう思う」
院長は、手のカップを応接机に戻した。
「そうですね……。サナーレス伯が雪どけまで待ってくれるかどうか、でございましょう」
言ってついまたため息が出た。
ヘルベルトが、なぜかうれしそうににやりと笑う。
「そうだ。今年はいつもより雪が少ないようだからな」
それには答えず、院長は黙ってヘルベルトのカップに茶葉を足した。
湯を注ぎ、ヘルベルトのカップに茶がなみなみと美しい色を浮かべるのを確かめる。
「それにしても、そなた」
新しい茶の注がれたカップを持ち上げて、ヘルベルトはにやりと笑う。
「なにか」
「修道院長などにしておくにはもったいない女だ。私のところに来ないか」
その意図するところをはかりかねて、院長は黙って首をかしげた。
それは、わたくしにヘルベルト殿の女になれ、ということだろうか?
今日の話の本筋は真面目で危機感あふれるものだったはずなのに、院長は、思わず笑いそうになるのをなんとかこらえる。
ヘルベルトにはそう年の違わない奥方がいるし、まだ幼いが二人の男子もある。
副院長がいなくてよかった、と内心胸をなでおろした。今日のヘルベルトは妙に笑えることばかり言うが、副院長はそうは思わないだろう。ここは素知らぬ振りをしておくことにした。
「それこそわたくしには務まりません」
「そんなことはない。そなたは頭もよいし、分別を知っている。話していても退屈せぬような女はなかなかおらぬぞ。そなたになら、私もあれこれ相談しがいがあるというものだ」
「そのように言っていただくのはまことに恐れ多いことではございますが……」
どうも誉められているようなのだが、今一つヘルベルトの言葉の真意をつかみきれず、院長は用心深く答えた。
「それに、せっかくいい女なのに無駄にすることはあるまい」
にやり、とヘルベルトは意味ありげな笑みを浮かべる。
院長はがくりと力の抜ける気がした。
それはそれで、いかにもヘルベルトらしいといえばらしいのだが。
「……あなた様がそんなふうでは、この戦の先が思いやられますね」
思わず、あからさまにあきれた口調になってしまう。
「きつい女だ」
ヘルベルトは、またうれしそうに笑った。
「そうやってこのかび臭い修道院にこもって生きていくつもりなのか」
「あなたこそ、王と反王派の争いなどとるに足らないことが原因ではありませんか。お金のために命を無駄にするなど馬鹿げたことです」
「馬鹿げたこと、か。確かにそうかもしれぬがな」
「領主の地位など捨てて、神に仕える道を選ぶこともできるのですよ」
思わず力をこめていた。しかし、ヘルベルトはそれを鼻で笑った。
「神など、なんの助けにもならん」
信じていない者にとっては神の存在など、なにもないのと同じなのだ。ため息をついて、院長は祈りの言葉をつぶやいた。
「……ヘルベルト殿とともに、聖なるお方がおられんことを」
「そんなやつはいらん」
「神はどこにでもおられます。神を信じていない者のところにも」
ふと、ヘルベルトが不思議な光をたたえた目で院長を見つめた。院長ははっとした。
「……院長、そなたは……、私の幸運を祈ってくれるか」
院長はしばらくの間、黙ってヘルベルトの顔を見つめた。ひげだらけで深いしわの刻まれた、いつになく真剣なその顔を。
戦は、どうなるのだろう。ヘルベルトはどう思っているのだろう。どのくらい……勝算があると踏んでいるのだろう。下手をすれば、国を二分する大きな戦になるかもしれない。その端緒になるかもしれない戦なのだ。
思わず口に出しそうになった言葉を、院長は飲み込んだ。
「……わたくしはいつも、わたくしに関わりのある方々すべての幸運を、心からお祈りしております」
そう言ったときにヘルベルトの目に走ったものを、どう受け止めればいいのか、院長にはわからなかった。
いっときそうして互いに無言で見つめ合っていた。やがて、ヘルベルトが小さく笑う。
「ふん、強情なやつめ」
院長が、先に目をそらした。ヘルベルトもゆっくりと窓の方に視線を移す。
外では、相変わらず雪が斜めに降っていた。
しばらくの間、ただ黙ってそうして、窓の外の雪を見ていた。