第4話

文字数 2,017文字

 ひととおりの話し合いが終わると、ヘルベルトは茶菓を運ばせて二人に振舞った。自らも菓子をほおばりながら、ヘルベルトは上機嫌だった。
「しかし、そなたもここに来てずいぶんたつな」
「そうですね。十年になろうかと思いますが」
「私が父を継いで五年か六年かしたくらいの頃だったな、こちらへ来られたのは」
「そうなりましょうか」
 少しの間、院長は昔を懐かしむように首をかしげて宙を見た。
 十年前は、パウアの修道院は今よりもっと寂れて、修道女もわずかしかおらず、閉鎖もやむなしというような状態だった。いったいなにをどうすればいいのか、途方に暮れたものだ。
 他の大きな修道会が、貴族や裕福な家からの志願者を高額な支度金とともに受け入れているのとは異なり、この修道院が属するアラニア修道会では、神に仕える希望がある者は支度金の有無に関わらず受け入れてきた。そのため金を用意できないような貧しい家の者たちが多く集まるようになり、資金繰りには常に苦労することになった。
 本部の助けは期待できず、修道院から赴いて礼拝を行う村も、このあたりにあるのは、貧しいという意味では修道院とたいして変わらない、パウアの村だけだった。
 どうやって修道院を建て直していけばいいのか、院長は必死に知恵を絞った。その結果が葡萄酒であり、他にも焼き菓子や多少保存のきく堅パンなどで、なんとか独自に収入を得られるようになった。修道女たちの不満はいまだ大きいようだが、それでも以前に比べれば格段によくなっているのだ。
 葡萄酒や菓子、パンなどを売るのに、ヘルベルトにはずいぶんと助けられた。一修道院の力では、たとえいい葡萄酒や菓子ができてもその先はどうしようもなかっただろう。せいぜい近くの村々に売り歩くくらいが関の山だ。
 それが、そこに領主が介在するというだけで、葡萄酒も焼き菓子もあっという間に街の有力商人の手へ、そこからさらに大きな街や各地の市場に運ばれていく。
 もちろんその見返りとして、常に領主には売上の一部が渡っていくわけなのだが。
「では、もうすっかりブレニーの者となっておるのだろうな」
「ですが、わたくしはもともとルマーリアの出でございますので」
「そういえば、そうであったか」
「はい、ですから、ヘルベルト殿のお名前も以前から存じ上げておりましたよ。もちろんその当時はお目にかかることなどはございませんでしたが」
「なるほど……」
 ヘルベルトはまた菓子を一つ手に取った。
「では、この後はもうブレニーに骨をうずめるつもりか」
「どうでしょうか。本部からそのような指示があればそのように、と」
「また別の修道院に行くこともあるのか」
「もちろんございましょう。でも、私はここが好きでございますので、ここに長くいられるのなら、それに越したことはございませんが。ルマーリアも近いですし」
「そうだろうとも。ここは美しいところだからな。山は蒼く、海も碧く、葡萄酒はうまい」
 ヘルベルトは、顔をほころばせた。
「よし、いい考えがあるぞ」
「はい? なんでございますか」
 隣でせっせと菓子に手を伸ばす副院長を横目でたしなめながら、院長はヘルベルトにつられて微笑を浮かべた。
「この地で所帯を持ってはどうか。修道女などやめてしまえばよい。そうすれば、いつまでもここで暮らせよう」
「まあ……」
 院長はあきれて言葉が出なかった。隣で副院長が驚きと憤慨で目を白黒させている。
「そなたが望むなら、いつでも私がよい男を紹介してやるが」
 ヘルベルトはさらりとそう言って、大きな声で笑った。
 院長は内心ため息をつきつつ、なるべく穏やかに答える。
「お気遣いはありがたいのですが、わたくしには不要なことでございます」
「無理せずともよい」
「無理などしておりません。わたくしは神にお仕え申す者でございますから、もうそのようなことは不要なのでございます」
「ふん、相変わらず情のこわいことよ」
 ヘルベルトはなおもにやにやと院長を見た。
「修道院でも、その調子でさぞやびしびしとやっておるのだろうよ」
「修道院長としての勤めを果たしているだけでございますよ」
「いまどきそのようにうるさい修道院はあるまい。パウアの院は堅苦し過ぎると院の者らがこぼしておるそうだぞ」
「誰がそのようなことを……」
「いろいろと聞こえてくるわ。牢獄の女子(おなご)らが訴えているのが」
 院長は小さく嘆息した。修道院の生活に満足できない者は、どこにでもいるものだ。ましてあの二十やそこらの娘たちには、牢獄のような不自由な暮らしと思われてもやむをえないのかもしれない。
「そのような戯言に本気で耳をお貸しにならないでください」
「まあよいわ」
 まだ少し笑いを含んだ声で、ヘルベルトは話を切り上げるように腰を上げた。
「では、先の件、頼むぞ」
「できる範囲で、としかお答えできませんが」
 渋い表情で、院長は答えた。
「よい、今すぐどうということはない。そのときにはまた知らせる」
「わかりました」
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