第2話
文字数 2,291文字
レンガを積んで板を乗せただけの小屋のような粗末な家の前で、一行は足を止めた。
「ここか?」
「はい、そうで」
レゴルは扉の前に立って、こぶしで乱暴にたたいた。
「ギドーさん、ギドーさん、いねえかい?」
扉の奥からはなんの反応もなかった。
「家族はいるのか?」
「奥さんと、子供が確か四人かそこらいるって話ですが」
ルキーブは懐から布を取り出して、鼻から首にかけて巻きつけた。一緒についてきた役員たちも、それぞれ鼻と口を布で覆った。
「お前も、念のためにこれしとけ」
渡された布を手に、レゴルはいっとき戸惑った。どうにも大袈裟なように感じる。同時に、本当にこんなものをしなければいけないような事態になっているのだろうかと思うと、この扉の向こうが恐ろしい空間のような気がした。
レゴルが布を巻くのを待って、ルキーブは大家から借りてきた鍵でそっと扉を開けた。
古びた木の扉が、重たげにゆっくりと開く。
ルキーブが他の者たちを手で制して、自身が最初にゆっくりと部屋の中に踏み出した。そのあとに、役員とレゴルが足音を忍ばせるようにして続く。
入ってすぐの部屋が台所だった。奥にかまどと洗い場があり、部屋の中央には広い食卓が据えてある。食べ物のにおいとよどんだ空気が混ざってむっとした。
食卓には誰かが突っ伏していた。その周りにいくつかの食器が転がっていて、羽虫がぶうんとかすかな音を立てた。
「あ……」
レゴルは、思わずルキーブを追い越して食卓に近づいた。一瞬早く、ルキーブの声がレゴルを止める。
「レゴル、さわるな!」
伸ばしかけた手を、レゴルは宙で止めた。
「こいつがお前の仕事仲間か?」
レゴルの隣に並んで、ルキーブは突っ伏している男の顔をのぞき込んだ。
レゴルは無言で首を縦に振った。ぐっと唇をかみしめる。
「ギドーさん……、なんてことだ……」
苦しそうにゆがんだ顔はすでにろうのように白くなっていて、のどのあたりに小さな腫れ物が見える。息絶えているのは見て明らかだった。
「世話役、こっちに……」
食卓の向こう側に回った役員の一人が、床にしゃがみこんで、震え声でルキーブの方を見上げた。
床に、小柄な女性がうずくまるような格好で倒れていた。のどのあたりにやはり不吉な腫れ物がある。近くにからの器が転がっていた。
「世話役、こちらに部屋が……」
役員の一人が、奥に通じる扉をそっと押し開けた。
窓の板戸がみな閉めてあり、部屋の中は薄暗かった。
手前から布団が並べて敷いてある。それぞれが小さな盛り上がりを作っていた。掛け布団の端からは、くしゃくしゃの髪の毛がのぞいている。
「もしかして、みんな……」
役員が、言いかけて言葉につまった。
レゴルは、ふと宙を見つめた。なにか聞こえた気がしたのだ。だが耳を済ませてみると、自分や役員たちの呼吸の音と外の雑踏の音だけだった。
手前の布団のかたわらにかがみ込み、少しだけ布団をめくってルキーブは低く唸った。すぐに向きを変えて、隣の布団にそっと手をかけ、声もなく息をはく。
役員が、おろおろして顔を見合わせた。
「なんとむごいこと……」
ルキーブは布団を一つまたいで、その向こうの布団もそっとめくった。黙って、首を横に振る。
一番奥の布団は部屋の反対側の壁にくっついていて、掛け布団がそれまでの三つより大きく盛り上がっていた。座ったまま息絶えてしまったのだろうか。
ルキーブが壁と布団の間からのぞき込むようにその布団をゆっくりめくる。
と、ルキーブの目が大きく見開かれた。布団をめくった手が止まる。どうしたのかと役員とレゴルはルキーブを見つめた。
またなにか聞こえてきた。今度は、前よりはっきりと。
「ねえ、誰か来たのかな」
つぶやくような、かすかな声だった。
「もう、朝かな。お母さん……って言ってた。……と……しようって。でも……」
ところどころかすれて、なんだかわからない。
「君、大丈夫かい?」
ルキーブが、優しい声でそっとささやいた。
布団の盛り上がりが、小さく動いた。役員とレゴルは顔を見合わせ、無言で喜びに体を震わせた。
生きてる!
「誰?」
さっきよりはっきりした声がした。
「驚かせてごめん。私はルキーブというんだ。君はギドーさんの娘さんかな?」
布団が、小さく頷いたようだった。
「その、いったいなにがあったのかな。私たちは、ギドーさんが仕事に来ないので、心配で見に来たんだよ」
布団がまた、小さく動いた。
「わかんない。あたし、熱が出て寝てたから。起きたら、みんな、動かなくて……」
そのまま、少女がうつむいた気配がした。ルキーブが布団の上からそっと少女をなでた。役員が、あ、という顔をして心配げに眉を寄せた。
「そうか……。一人で心細かっただろうね。もう大丈夫だよ」
ルキーブは少女の背をさすりながら、役員に向かって片手を大きく振った。
「役員全員集めてくれ。消毒用の薬液と担架の用意を。さっき言ってた空家をとりあえず救護所にしよう。それから、家の外に張り紙を頼む」
役員が、ばらばらと部屋を走り出ていった。
レゴルはおろおろとそれを見送った。
「かわいそうになあ……」
ルキーブは、布団をゆっくりなでながら、レゴルを見上げた。
「ルキーブさん、っていう人が来たよ」
また、つぶやきが聞こえてきた。
少女が壁に向かったまま、誰にともなく続ける。
「なんだろうね。あとで、お父さんに聞いてみよう。お父さんなら、きっと知ってるよ。毎日、いろんな人に会うって言ってたから。港にはね、たくさんの人が来るんだって。遠い国の人も来るって言ってた。遠い国って、どんなふうなんだろうね」
「ここか?」
「はい、そうで」
レゴルは扉の前に立って、こぶしで乱暴にたたいた。
「ギドーさん、ギドーさん、いねえかい?」
扉の奥からはなんの反応もなかった。
「家族はいるのか?」
「奥さんと、子供が確か四人かそこらいるって話ですが」
ルキーブは懐から布を取り出して、鼻から首にかけて巻きつけた。一緒についてきた役員たちも、それぞれ鼻と口を布で覆った。
「お前も、念のためにこれしとけ」
渡された布を手に、レゴルはいっとき戸惑った。どうにも大袈裟なように感じる。同時に、本当にこんなものをしなければいけないような事態になっているのだろうかと思うと、この扉の向こうが恐ろしい空間のような気がした。
レゴルが布を巻くのを待って、ルキーブは大家から借りてきた鍵でそっと扉を開けた。
古びた木の扉が、重たげにゆっくりと開く。
ルキーブが他の者たちを手で制して、自身が最初にゆっくりと部屋の中に踏み出した。そのあとに、役員とレゴルが足音を忍ばせるようにして続く。
入ってすぐの部屋が台所だった。奥にかまどと洗い場があり、部屋の中央には広い食卓が据えてある。食べ物のにおいとよどんだ空気が混ざってむっとした。
食卓には誰かが突っ伏していた。その周りにいくつかの食器が転がっていて、羽虫がぶうんとかすかな音を立てた。
「あ……」
レゴルは、思わずルキーブを追い越して食卓に近づいた。一瞬早く、ルキーブの声がレゴルを止める。
「レゴル、さわるな!」
伸ばしかけた手を、レゴルは宙で止めた。
「こいつがお前の仕事仲間か?」
レゴルの隣に並んで、ルキーブは突っ伏している男の顔をのぞき込んだ。
レゴルは無言で首を縦に振った。ぐっと唇をかみしめる。
「ギドーさん……、なんてことだ……」
苦しそうにゆがんだ顔はすでにろうのように白くなっていて、のどのあたりに小さな腫れ物が見える。息絶えているのは見て明らかだった。
「世話役、こっちに……」
食卓の向こう側に回った役員の一人が、床にしゃがみこんで、震え声でルキーブの方を見上げた。
床に、小柄な女性がうずくまるような格好で倒れていた。のどのあたりにやはり不吉な腫れ物がある。近くにからの器が転がっていた。
「世話役、こちらに部屋が……」
役員の一人が、奥に通じる扉をそっと押し開けた。
窓の板戸がみな閉めてあり、部屋の中は薄暗かった。
手前から布団が並べて敷いてある。それぞれが小さな盛り上がりを作っていた。掛け布団の端からは、くしゃくしゃの髪の毛がのぞいている。
「もしかして、みんな……」
役員が、言いかけて言葉につまった。
レゴルは、ふと宙を見つめた。なにか聞こえた気がしたのだ。だが耳を済ませてみると、自分や役員たちの呼吸の音と外の雑踏の音だけだった。
手前の布団のかたわらにかがみ込み、少しだけ布団をめくってルキーブは低く唸った。すぐに向きを変えて、隣の布団にそっと手をかけ、声もなく息をはく。
役員が、おろおろして顔を見合わせた。
「なんとむごいこと……」
ルキーブは布団を一つまたいで、その向こうの布団もそっとめくった。黙って、首を横に振る。
一番奥の布団は部屋の反対側の壁にくっついていて、掛け布団がそれまでの三つより大きく盛り上がっていた。座ったまま息絶えてしまったのだろうか。
ルキーブが壁と布団の間からのぞき込むようにその布団をゆっくりめくる。
と、ルキーブの目が大きく見開かれた。布団をめくった手が止まる。どうしたのかと役員とレゴルはルキーブを見つめた。
またなにか聞こえてきた。今度は、前よりはっきりと。
「ねえ、誰か来たのかな」
つぶやくような、かすかな声だった。
「もう、朝かな。お母さん……って言ってた。……と……しようって。でも……」
ところどころかすれて、なんだかわからない。
「君、大丈夫かい?」
ルキーブが、優しい声でそっとささやいた。
布団の盛り上がりが、小さく動いた。役員とレゴルは顔を見合わせ、無言で喜びに体を震わせた。
生きてる!
「誰?」
さっきよりはっきりした声がした。
「驚かせてごめん。私はルキーブというんだ。君はギドーさんの娘さんかな?」
布団が、小さく頷いたようだった。
「その、いったいなにがあったのかな。私たちは、ギドーさんが仕事に来ないので、心配で見に来たんだよ」
布団がまた、小さく動いた。
「わかんない。あたし、熱が出て寝てたから。起きたら、みんな、動かなくて……」
そのまま、少女がうつむいた気配がした。ルキーブが布団の上からそっと少女をなでた。役員が、あ、という顔をして心配げに眉を寄せた。
「そうか……。一人で心細かっただろうね。もう大丈夫だよ」
ルキーブは少女の背をさすりながら、役員に向かって片手を大きく振った。
「役員全員集めてくれ。消毒用の薬液と担架の用意を。さっき言ってた空家をとりあえず救護所にしよう。それから、家の外に張り紙を頼む」
役員が、ばらばらと部屋を走り出ていった。
レゴルはおろおろとそれを見送った。
「かわいそうになあ……」
ルキーブは、布団をゆっくりなでながら、レゴルを見上げた。
「ルキーブさん、っていう人が来たよ」
また、つぶやきが聞こえてきた。
少女が壁に向かったまま、誰にともなく続ける。
「なんだろうね。あとで、お父さんに聞いてみよう。お父さんなら、きっと知ってるよ。毎日、いろんな人に会うって言ってたから。港にはね、たくさんの人が来るんだって。遠い国の人も来るって言ってた。遠い国って、どんなふうなんだろうね」