第9話

文字数 2,491文字

 左右の木々の合間から、にぎやかな鳥のさえずりがしている。山道にはもう雪はほとんどなく、歩きやすくなっていた。
 そこを、ぴょんぴょん跳ねるようにカレルが歩いている。
 その後ろ姿を見ながら、シーラは何度も繰り返し自分に言い聞かせていた。二人でなんとか都まで行く。懐に気をつけて、カレルを守って、何事もなく本部修道院にたどりつく。それがシーラのするべきことだ。
 みんなが無事でありますように。
 いつかまた、ここに戻ってこられますように。
 お祈りだけはしよう、と思っていた。お祈りをすれば、みんなが無事でシーラもまた戻ってこられると、信じられる気がした。
 見えない神様より、そっちの方を信じたかった。
 そう思って、ふとなにかを思い出した。
「ねえ、カレル……」
 思わず声をかけてから、少し考えた。
「なに? シーラ」
 道の端へ行ったり、少し先んじては戻ってきたり、相変わらずふらふらしていたカレルは、少し先で振り向いた。
「……その……、あたし、見たよ」
「なにを?」
 カレルは後ろ向きのまま歩き出し、そして石につまづいてよろめいている。
「前にカレルが言ってた……、あの……」
「なんだっけ」
「ほら、……白い、竜っていうか、蛇……みたいな……トカゲ、みたいな……」
 カレルが足を止めた。ぽかんと口を開いて、それからはっとしたように少し目を見開く。
「シーラ、覚えてたの? あのときのこと……」
 嵐のような激しい雨の中、兵士の振り下ろす剣と、抱え込んだカレルの小さい体と……。
「……あとから、思い出した」
「へえ……、じゃあ、やっぱおれの気のせいじゃなかったんだ。じゃあ、船でおれを助けたやつも、やっぱり気のせいじゃないんだ。やった!」
「……気のせいだと思ってたの?」
 少し驚いて声が大きくなる。
「いやあ、おれは絶対見たって思ってるけど、でも、普通に考えたらそんなわけないよなあ、って思うし」
 そう思うのは、わかる。シーラも、かなり考えた。ベッドの中でそれを思い出したときは、夢なのかなんなのかわからなかった。あの痛いほどの雨や、ごうごうと吹いていた風は? あれも夢なのだろうか、と悩んだ。
「じゃあ、本当にあたしたち、白い竜に助けてもらったんだ……」
「そうだよ。あれ、やっぱり神様なんだよ。おれたちが祈ったから、助けてくれたんだ」
「……カレルは祈ったの? あの時……」
 カレルは少し首をかしげた。
「どうだったかなあ。でも、ヘルベルト様がやばいって思ってたよ。なんとかしなくちゃって必死だった」
 シーラも、必死だった。誰も死んでほしくない、と必死で思っていた。ご領主様も、カレルも、兵隊の人たちも。
「カレルの話を最初に聞いたときは、稲光を見間違ったのかと思ってた……」
「うーん、おれも最初はそう思ったんだけどさ」
 でも、とカレルは前に向き直って歩き始める。そのあとをシーラはついていく。
「おれ、あいつにくわえられたとき、痛かったんだ。歯のあたったところとか」
 今でも痕が残っているとでもいうように、カレルはわき腹のあたりをさすった。
「だから、やっぱほんとかなって思って」
 あのとき、シーラは痛かっただろうか。覚えていない。覚えているのは、あの雨と風と、浮遊感、といえばいいのか。それから、ご領主様の驚いた声。
「ご領主様とその話、した?」
「あー……、してない」
「え、してないの?」
 うん、とカレルは頷く。
「そういえばなんか言いかけたときがあったけど……。した方がよかったのかな」
 でも、とカレルはまた後ろ向きになる。
「きっとまた戻ってくるから、じゃあそのときに聞いてみる」
「え……」
 カレルも、戻ってくると思ってるんだ。シーラはなんだか少しうれしくなった。
「うん、あたしも絶対また戻ってくる」
「だろ? じゃあそのときに聞いてみるよ。でもまあ、そんときゃもう覚えてないかもしれないけど」
 本当に、なんだったんだろう。
 院長様の話を聞いても、だからと言って今この瞬間も神様がシーラのことを見ているとは、正直やっぱり信じられない。
 でも、あの不思議な竜のことはなぜだかそんなに無理なく信じられた。
 実際に目にしたのだから信じて当然と思わないでもないけれど、本当に夢でなく見たのだろうか、と思い始めると、少し自信が揺らいでしまうのが正直なところだった。
 でも、あれは信じていいのだとシーラは思った。
 白い、竜(いや、蛇?)。
 また目にすることがあるだろうか。それは、またなにかカレルの命に関わるような危機のときなのだろうか。それなら、そんなことは起こらない方がいいのだけれど。
 ふと気づくと、カレルの姿が見えない。
「カレル?」
 返事がない。少し足を速めると、道がちょっと下った先の道端に、しゃがみこんでいるのが見えた。
「どうしたの?」
 早歩きで追いつくと、カレルはしゃがんだままシーラを見上げた。そこから道を外れた向こうは葉を落とした木々が斜面を埋めている。あまり近づくと転がり落ちそうで、シーラはちょっとあとずさった。
「見て」
 カレルの指差した先にはとけかけた雪の固まりがあり、そのはしっこから、細長い緑色の葉が数本のびていた。
「あ……」
 春になると、山道の両側を埋めるようにして咲くユキワリスイセンだ。ラッパの形をした小さな黄色の花をたくさん咲かせる、春の使者。
「へえ……、もう生えてきたんだ」
 言われてみれば、殺風景な木々の枝には小さな黄緑色のぽつぽつがたくさんついている。
「早く、もっと暖かくなるといいな」
 言ったとたん、まだ冷たい風が吹きつけてきた。
「わ……」
 カレルは身を縮める。
「やっぱちょっと寒。シーラ、早く行こう」
「自分が道草してたくせに」
 ばたばたと足踏みするカレルに、シーラは笑った。
 カレルの手を取る。
 道は、くねくねと曲がりながら、少しずつ下りながら、ずっと先まで続いている。
 この道をずっと、カレルと一緒に行く。
 ちゃんと、カレルと二人で本部修道院に行く。
 大丈夫。
 カレルとつないだ手に、少し力を込める。
 あたしは、一人じゃないから。
 シーラはすっと背筋を伸ばして、再び足を踏み出した。
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