名前 #2

エピソード文字数 4,473文字

サームラたちの部屋もちゃんとあるからよ。

馬鹿いってんなよ。

 沢村たち=おれと聖香。そんな暮らしは夢でも見たことがない。

オマエら意地張りあってるだけだろ。見てりゃわかんだよ。ふたりでちゃんと話せばすぐにもとどおりだぜ。

 なんにもわかっちゃいない武田。ことはそんなに簡単じゃない。

勘でものいうな。

あ? ちがうのかよ。んじゃ、先に岡崎さらっちまうか?

だからそういうんじゃねんだって!
 思わず出たでかい声。自習グループ、日本シリーズのグループ、プロレスのグループそれぞれから飛んでくる目線。そのなかには聖香のそれもあった。みぞおちがちくっとする。

サームラ、オメエまさか真奈美を狙ってんじゃねえだろうな。

 誰にも予想できない話のぶっ飛び方。今の今まで聖香の話をしておいて、どうしたらそんな変化球をぶん投げてこれるのか。

お前の脳みそのしくみがわからねえよ。

ノーミソの話なんかしてねえだろ。

児島を狙う話もしてねえぞ。

 睨みあった――武田が折れた。

わかった。んじゃ、信じとくわ。

 信じるもくそもない。おれは武田の彼女と口を利いたこともなかった。

とにかく――

やっぱ、狙ってんのか。

しつけえな! おれは聖香しか――

 またしてもでかくなる声。特急でボリュームを絞る。

好きじゃねんだよ……

だろ。だから協力するっていってんじゃねえか。

 もとのぶっ飛び話にようやく戻ってきた。

……その話にしたってあれだ。さらうんだったら、もっとどこだかわかんねえとこへ連れてかなきゃ意味ねえだろ。臥竜山なんてすぐ近くじゃねえか。

そこまでやっちまったらマジでやべえ。シャレんなんねえよ。

なんだそりゃ。

 マジでもない。やばくもない。近所から近所への誘拐。そんなもの、鬼ごっこの後でままごと(・・・・)をするのとなにも変わらない、ただのレクリエーションだ。来年中学へあがる年にもなってやることじゃない。

けど、やることはやんぜ。

 しらけてきたおれは黒板の上の時計に目をやった。針はきっちり十時を指している。休み時間まであと十分。時間割表の真ん中あたりに目を持っていった――三時間目は理科。なにかの実験をやるとなったら居眠りはしづらい。どうするか。どうもしないで聖香の横顔でも見ているか。

おい、やることやるっていってんだろ。

あ?

聞いてねえだろ、人の話。

誘拐ごっこだろ。いいわ、もう。

ごっこじゃねえよ。ミノシロキンとかそういうのはやんねえけど、連れてきたらウチへはぜってえ帰さねえ。

 垂れ目を垂れ目に見えないぐらいの位置まで吊りあげてくる武田。わかりやすくていいやつだとは思う。が、自分の考えに横槍が入るとすぐムキになってくるところは正直ちょっと面倒くさい。

親や教師どもが黙ってねえよ。

あのへんはアニキたちのナワバリだからな。親もセンコーも勝手なマネはできねえよ。

 また兄貴。おれは不良のそういう、自分より強いやつに頼る考えがどうしても好きになれない。なにかやらかすなら、その責任は全部自分で負うべきだ。

そうなりゃ、おまわりが来るだけだ。

上等だぜ。

どうすんだよ。

気合で勝負してやんよ。

 ちょっと男子、まじめに自習しないと後で怒られるわよ=豚の声。

おっと――

 武田がかばん置き場から降りた。

生徒番長(・・)のおでましだ。

 豚番長の号令で席に着くやつら。同い年の、しかも女に命令されて従う気弱なガキども。まるで羊飼いと羊――いや、豚と羊か。どっちも似たようなもんだ。

女のくせにでしゃばりやがって。

 教卓に両手を突いてえらそうにしているメス豚=おそろしく肥えたそいつを見おろしながらいってやった。

よせ、聞こえんぞ。

かまわねえよ。

 例のことが頭に浮かんだ――今どきの小学生はけっこう吸ってるよ。松本と豚はどこで一緒にタバコを吸ったのか。

武田お前、タバコ吸ってんだろ?

しっ! でけえ声でいうなよ。

別にそんな大声出しちゃいない。

吸うんだったらあるぜ、マイセン。

 マイセン=マイルドセブン。そいつをプカプカやる生徒会長。本当ならとんでもない女だ。

いや、そういうんじゃねえからいい。

なんだよ。カラダに悪りいからやめろとか、センコーみてえなこというんじゃねえだろうな。

 人の健康に興味はない。武田が自分でいいと思うならなんだってやればいい。

シンナー飲んでたってそんなこといわねえよ。心配すんな。

あんなもん飲めるか! バカヤ――

 豚の羊飼い攻撃がはじまった。

聞き耳立ててっからうるせんだろ。

 鋭い目つきで睨んでくる豚。まじめに自習していたやつらも似たような顔つきになっている。

沢村くんさ、どれだけ人に迷惑かけてるかわかってる?

 腕相撲やプロレス――きちがいみたいに暴れてるやつらもいるのに、どうしておれだけが迷惑なのか。

わかんねえよ。別に騒いでるわけじゃねんだ。勉強してるやつの邪魔んなっちゃいねえだろ。

そういうのが迷惑だっていってんの! 馬鹿じゃないの、あんた!

 あんた呼ばわりされたうえに馬鹿扱いまでされたおれ。振り子のように足を動かして跳び降りた。

やめとけって。あんまりやると番長カンシャク起こすぞ。

 武田のいうとおり。豚のかんしゃく=ヒステリーは小学生でありながら静恵(きちがい)といい勝負をする。

無理だな。ああいうのは腹が立ってだめだ。

後でどうなっても知らねえぞ。職員室とツーカーだからな、番長は。

 心配なんか一ミリもしていない感じで武田が耳打ちしてくる=低い声。おれも早くそんな声が出せるようになりたかった。

あの女とタバコ吸ったことあんだろ?

あ? バカいえよ。そんなことしたら職員室から帰ってこれなくなるじゃねえか。

 聞いた話とちがう――心のなかで松本に文句をいった。

武田くんも、そこでこそこそやらないで!

おおこわ。オレは職員室行きたくねえから黙るわ。

 気合が足りねえな――いって、三歩前へ出た。

お前の声のほうがよっぽどうるさくて迷惑じゃねえか。

あんたにお前なんていわれる筋合いない!

おれもお前にあんた呼ばわりされる筋合いじゃねえと思うぞ。

屁理屈いわないで!

自分はどうなんだよ。

 細く吊りあがった目と口。ただでさえ豚みたいな顔が本物と見分けがつかないぐらいに似てきた。顔のところどころに赤みも差してきている。ヒステリーの前ぶれだ。

あんたが一番問題児なの! 先生だってすごく迷惑してたわ!

さっきから迷惑迷惑って、おれがいったいなにしたってんだよ。

出てって! もうこのクラスから出てってよ!

 いわれなくても今夜そうする。豚の願いを叶えてやるのはしゃくだったが成り行き上、しかたがない。

ねえ! みんなもそうでしょ! 迷惑でしょ!

 喚き散らしながら羊どもを見渡す豚――どっちも家畜のくせしやがって。頷くやつをひとりでも見つけたら、走っていってぶっ飛ばしてやるところだった。

ほらみなさいよ! みんなそう思ってるのに、口に出したら後でひどい目にあわされるんじゃないかって、誰もなにもいわないじゃない!

 ものはいいようだ。タバコのことをいったら松本に脅されたとでもいうんだろうか。

お前のことがみんな面倒くせえだけだ。

そんなわけないでしょ! 変ないいがかりやめて!

 豚をかまうのもそろそろ飽きていた。だいたい、ここにいるやつらと顔を合わすことはもう二度とない。豚はもちろん、聖香も武田も、松本以外はみんなそうだ。今日は傷の手当てと鍵の確認。あとは万が一に備えて小銭をちょっと稼ぎに来ただけ。それ以外のことはどうだっていい。

だっておれ今、すっげえ面倒くせえもん。お前の相手してんの。

あたしは岩倉先生の代わりなのよ!

 女は大人も子供も、しまいにはわけがわからなくなってくる。それにむかついたからといって、男でも年上でもない相手をぶん殴るわけにもいかない。これ以上いい争いをしても疲れるだけだ。

……わかったわかった、んじゃ静かにするよ。それでいんだろ?

席へ着きなさい。

 羊飼いの命令=教師が生徒にそれをさせるときの口ぶり。

早くしなさい。

 あんた呼ばわり、馬鹿扱いときて、今度は羊にされたおれ。よた者のせがれ、やくなし、うじ虫、ごったく、奴隷。どうして人はおれをなじる? けなす? 馬鹿にする?

どうしたの? あたしのいってること、わかったんでしょう。早く席へ着きなさいよ。

……指図するな。

 低い声でいった。武田のそれには遠くおよばない。

聞こえないの? あたしは生徒会長――

おれに指図すんじゃねえよ!

 目の前の机を蹴り倒し、ひとつ脇の机に引っかけられていた誰かの絵の具箱を豚目がけてぶん投げた。短い悲鳴――クラスの女子のほとんどが同じ声をあげた。豚とそのまわりにいたやつらが背中を丸めて頭を抱える。絵の具箱はおれの狙いとはまるで見当ちがいの方向=黒板の『日直』と書かれているあたりへぶち当たり、中身を派手にばら撒いた。

ノーコン、退場、ピッチャー交代。

 暴投を野次ってくる武田。そのおかげで気分が少し落ち着いた。

すっぽ抜けた。

すっぽ抜けすぎだろ、アレじゃ。

 絵の具箱の持ち主が恨みがましい目をおれに向けながら、バラバラになったチューブや絵筆を拾いにいく。謝る気にはなれなかった。

ピッチャーは無理か、おれ。

ムリムリ。キャッチャーがちゃんと捕れるタマ投げねえと。

 あの程度が捕球できないようじゃ、そのキャッチャーも大したことはない。

職員室行きケッテーだな。

そんなもんは慣れっこだ。

 教壇の脇へ屈みこんで泣いている豚を見ながらいった。保健委員の女子=坂巻(さかまき)寛子(ひろこ)がその肩を抱いて慰める――いらぬ世話。タバコでも吸わせてやればとっとと泣きやむ。そう教えてやりたかった。


 教室の空気がじっとりしていることに気づく。関係ないやつら=羊どものささやき声が耳にまとわりついてきた。なにをいってるのかまでは聞き取れない。声のひとつひとつは小さいのに、数がまとまるとそれなりにやかましかった。そいつはやがてひとつの言葉になっていき、じわじわとおれに向かってきた。


《謝りなよ》


――ふざけるな。


《謝りなよ、謝りなよ》


――なんでそんなことしなくちゃならねんだよ。


《謝りなよ、謝りなよ、ほら、謝りなよ》


――いいかげんにしろ、てめえら。


 おれを取り囲むささやき。誰かれかまわず睨みつけてやった。誰もおれと目を合わせなかった。羊どもの輪唱だけが続く。

うるせんだよ!

 椅子をつかみあげると呪文のようなささやきはぴたりとやんだ。羊の群れが窓の側と廊下の側とに分かれていく。


 豚の正面にラベンダー色の背中を見つけた――安らいでいく心。持ちあげていた椅子を床へ転がし、おれは自分の机の上へまたがった。


 また一歩、遠い存在になった聖香。だけどまだ手の届くところにいる聖香。その距離は今夜を境に死ぬまで……いや、死んでも会えないそれに変わる。


 ぐずりだすみぞおち。眺めるだけならいつだってそうしていられた背中を見える範囲の一番隅に置く――早く懐かしく思えるときがくればいい。念じるように思いながら、おれは藤色でもあやめ色でもない紫を心の奥へと焼きつけた。

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登場人物紹介

沢村怜二《さわむられいじ》


問題児兼主人公。非常に残念な脳みその持ち主。12歳。

松本亨《まつもととおる》


怜二の友人で計画の発案者。頭の回転は速いがうそはあまり得意じゃない。早生まれの11才。

顔なし女《かおなしおんな》


怜二の心のなかに居つく思念体。人の不幸が大好き。

出脇静恵《いずわきしずえ》


怜二を生んだ女。ノリノリのきちがい。バッティングセンスはなかなか。息子思いの34才。

武田眞路《たけだまさみち》


怜二の悪友で金持ち。話があらぬ方向にぶっ飛んでいきやすい。少年野球チームにも所属。12才。

染川蘭子《そめかわらんこ》


美滝小学校の生徒会長。正義とプライドのかたまりかと思いきや、意外と清濁併せ呑んじゃうタイプだったりする。12才。

岡崎聖香《おかざききよか》


怜二とは瞬間的に恋人関係だったことがある。清廉潔白風味。イモ欽トリオの真んなかが好きな12才。

児島真奈美《こじままなみ》


怜二の悪友の彼女。自称スパイ。好奇心旺盛な不思議系少女。もうじき12才の11才。

相馬秋子《そうまあきこ》


美滝小学校の養護教諭。真面目でやや過干渉気味も多少の融通はきく。趣味でリッターバイクを乗りまわしている。29才。

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